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友部正人ライブ2023「あの橋を渡る」

これまで友部正人という名前はいろんなところで目にしてきたけれど、曲をきちんと聴いたことはほとんどない。

初期の「誰もぼくの絵を描けないだろう」だけは知っているものの、これだって、あがた森魚のカヴァーのほうを愛聴しているわけで……。そこからさかのぼって、オリジナルのほうを聴いたこともあったが、ロマンティックに歌いあげるあがたとは異なり(バッキングはたしかムーンライダーズの面々だったか)、友部の演奏はギターとハーモニカのみ。ガレージパンクに近しい、荒涼とした印象だった。いま聴き返すとどうなんだろうな。

ちなみに「誰もぼくの絵を描けないだろう」が収められている同名のアルバムには坂本龍一が参加しており、ジャケット裏面には、高円寺駅のホームで撮られた友部と教授の写真が使われている。教授がスタジオミュージシャンとして活動するきっかけになった一枚でもある。

で、たまたま那覇でライブがあるということで、「誰もぼくの絵を描けないだろう」の印象だけに導かれ、なんとなく会場に足を運んでみたら、これがなかなかよかったのですよ。ふだん、フォークソングを好んで聴くようなことはないんだけど、そんなわたしでも、友部正人のうたにフォークの、というよりも、ソングの最良の部分が凝縮されていることは、よくわかった。

数曲聴くうちに、目の前でうたっている友部の身体が、なんだか邪魔っけだなあと感じてしまい、それからあとは、ほとんど目を瞑っていた。歌詞で用いられていることばが平明で、けれども、ことばとことばの組み合わせ方に、友部らしさというのか、独特の質感があり──たとえば、道端の石ころを拾って並べているだけなのに、うつくしいかたちがうまれてきたような──そこに耳を傾けたいと思ったのだ。

その「ことば」と「こえ」は、誰にも何にも似ていないし、友部正人という人間にしか表現できない「うた」として結晶している。
唯一無二の音楽家だと思う。

誰にも何にも似ていない、と書いたばかりだが、聴いているあいだ、平明なことばづかいという点で、山之口貘を連想し、ぼんやり貘の詩碑がある与儀公園のことを思い浮かべていたら、そのタイミングで、友部が半世紀前に沖縄を旅したころの思い出を語りだし、与儀公園にある蒸気機関車を眺めながらつくったという「公園のD51」を歌いはじめたので、このふしぎなめぐりあわせに胸がざわつく。

さまざまな曲を聴きながら思ったのは、友部のうたには、いくつかの傾向があるようで、ざっくりいうと、街のうた、旅のうた、夜のうた、この三つの流れがあるんじゃないかな。あるいは、友部のそういう側面に、わたしが強く反応しているだけかもしれないけれど。感情ではなく情感を、心情ではなく風景をうたうところもすばらしいと思う。

最新アルバムは2020年9月リリースの『あの橋を渡る』。フライヤーによれば、おおはた雄一、芳垣安洋、伊賀航、澁谷浩次、マヒトゥ・ザ・ピーポーが参加しているそう。この面々との共演も興味深い。 (O)

与儀公園のD51。1938年(昭和13年)小倉工場でつくられた。

日時 2023年10月14日(土) 18:30開演
会場 桜坂劇場ホールB(沖縄県那覇市)


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