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歌三線稽古しない日記(20230605〜)

2023年6月5日(月)
満湖公園をジョギング8.8km。速いペース400m、遅いペース400m。これを何度も反復。
思いのほか疲れあり。稽古せず就寝。
後から考えるに、この尋常ではない疲労感があった時点で、既にコロナウイルスに感染していたと思われる。

6月6日(火)
教室で1時間ほど稽古。
先月入会した方は基礎がしっかりしており課題曲も難なくこなしている。見習いたいものである。そんなに弾けるのに何故にアナタは初級に? とも思うが。
自分は中級に進もうか迷っている。そうしないと上達が見込めない為。稽古後、断りを得て見学。難曲ばかりで少々不安。
深夜に調子悪くなる。寒気感ずる。念の為と風邪薬服用。

6月7日(水) 発症1日目
終日調子悪く、仕事にならず。朝昼晩と食事毎に風邪薬服用。好転する気配無し。病院へ行かなければ。だが気力体力奪われ動けず。ひたすら寝ているのみ。

6月8日(木) 発症2日目
新川クリニックに発熱外来の電話予約。体力無くタクシー移動。院内に入れず屋外での問診。念の為とコロナウイルスとインフルエンザウイルスの検査を受けたところコロナ陽性。呆然。何処で感染したのか。心当たり無し。
5日間は自宅療養するよう云われる。但し5月に5類感染症に移行した為、法的な強制力は無い。
タクシーで家に戻り、身の回り品まとめて仕事場へ。同居の母は後期高齢者。感染させたら一大事。そうは云っても既に濃厚接触者であるが……。

6月9日(金) 発症3日目
母のPCR検査結果陰性。ひとまず安心。
夕方から復調気味。
この3日間、軽いインフルエンザのような症状が続いた。喉の痛み、発熱(37度台)、倦怠感、節々の痛み等々。時々空咳。鼻水や痰は無し。味覚嗅覚が失われることも無し。軽症で済んだのはワクチン接種4回のおかげか。

6月10日(土) 発症4日目
復調。後遺症らしき症状見られず。
仕事進める。集中しすぎるのも良くないと思い、2時間経ったら1時間横になる。その繰り返し。
睡眠時に空咳が出る為、咳止め服んで寝る。

6月11日(日) 発症5日目
仕事進める。昨日と同じく2時間経ったら1時間横になるのを繰り返す。日常生活に関して問題無し。引き続き咳止め服む。

6月12日(月) 発症6日目
薬局でキット購入し抗原検査。結果はコロナ陰性。
ではあったが、病み上がりで判断力が低下していたのか、陽性と勘違い。隔離生活続けてしまう。盆暗。

6月13日(火) 
仕事進める。
教室休む。

6月14日(水) 
再びキット使って抗原検査。コロナ陰性。
午後から自宅戻る。

6月15日(木) 
通常の生活に戻る。
午前中、琉球銀行へ行くと、ATMに長蛇の列。五十日だからかと思ったが、母によれば「今日は年金が振り込まれる日」との事。高齢者が多かったのはその為か。成程。サンエーのシニアデーも支給日を当て込んだものらしい。
通常通りに戻ったとは云え、普段の調子で動くと疲れる。体力の低下著しい。

6月16日(金) 
琉球楽器またよしで野村流工工四・上巻購入。市場の古本屋ウララで勝連繁雄『改訂 歌三線の世界』購入。
稽古再開。寝る前45分ほど。「渡りざう」「安波節」「安里屋ゆんた」「秋の踊り」「てぃんさぐぬ花」。課題曲総ざらい。10日近く三線に触れていない為、指の動き悪く、一からやり直し。

6月17日(土)
亡父の三回忌。和尚に読経してもらう。焼香に訪れる親族多数。
中に野村流師範の親族が居り、顔を合わせるのは2年ぶり。3月から習い始めた事を伝え、「気軽に始めたものの、大変な世界に足を踏み入れたと実感しております」と云ったら、「努力しなさい。少しづつでいいから」と真っ当なアドバイス。この方は70代になっても那覇マラソン等参加していた強者でもある。
終日気忙しく、稽古する気力体力残っておらず。YouTubeでリュウカツチュウの演奏動画2本見てから寝る。

6月18日(日)
母親と香典の確認。軽い認知症を患っている叔父からの香典袋が分厚い。中身を確認したら10万円。仰天。電話入れると、先日1千万円の振込があったから気にせずともよいとの返事。大分前に数百円で購入した杖が、実は国宝級の逸品と判明、国が買い上げてくれたそうである。
「正常」の側から云うと、これは「妄言」である。だが叔父の中では叔父なりの論理や筋道があるように思う。いずれにせよ金を返しにいかねば。
病み上がりの為ジョギングはせず。その代わり60分ほどウォーキング。
寝る前に45分ほど稽古。課題曲5曲を軽くおさらいした後、工工四を見ながら「かぎやで風節」「恩納節」を辿ってみる。運指の確認。難しい。

今週の凡句:黄経の七五度か三回忌 (I)


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