見出し画像

歌三線稽古したりしなかったり日記(20230619〜)

2023年6月19日(月)
寝る前30分ほど稽古。工工四見ながら「かぎやで風節」「恩納節」。旋律に歌をどう乗せるのか見当つかず。
気分変えようと「秋の踊り」。思えばこの曲も2番と8番に歌をどう乗せるのか最初のうち戸惑っていたが、そのうち流れを掴めるようになった。
ツメを当てる場所をずらしたところ格段に鳴りが良くなる。吃驚。或いは三線が徐々に乾燥し、馴染んできたのか。

6月20日(火)
教室で稽古。
来月から中級に上がることを告げ、予習のため課題曲の工工四を貰う。「かぎやで風節」を辿ってみたものの難しいと云うと、先生にあれは上級者でなければ歌えない曲だと諭され、逆に安心する。
又、コンクールで新人賞を目指す場合は「安波節」を2年かけて稽古するそう。成程。例えば「源氏物語」や「失われた時を求めて」等古典に向き合う際は1年程かけて読み進める訳だが、其れと同じ事なのであろう。

6月21日(水)
夏至。今日は青空も見え、そろそろ梅雨明けの気配。
昨夜貰った教則用の工工四を見ていくと「かぎやで風節」や「恩納節」は中級でも最後の課題曲であった。納得。
寝る前45分ほど稽古。今夜は「肝がなさ節」のみ。指の動きをゆっくり辿る。少し慣れた所で歌を乗せてみる。無論歌えないが。今週はこの曲に集中するか。週1曲を目標に。
「肝がなさ節」は饒辺愛子によるヒット曲。新民謡。

6月22日(木)
夕刻、母と連れ立って叔父の家へ。香典が多すぎた為、一部を返そうとするも、頑として受けとらず。無理強いするのも良くないから、近々予定している墓の修繕に使わせてもらう事にする。
軽い認知症とは云え、一から十まで奇妙なことを口走っている訳では当然無い。「正常」という海の中、所々、岩礁の如き「妄言」が波間に見え隠れする程度である。幾つかの「妄言」も、殆ど必ずと云っていいくらい、実際の出来事と結び付いている(たとえば「地下都市」の話は、海岸近くの「病院」と「壕」の記憶が入り混じったものかと思われる)。何れにしても多額の香典は父や母に対する叔父の「気持ち」の現れである事が分かった。
コロナ感染で思っている以上に体力が落ちている。大したことはしていないのに疲れ果て、稽古せずに早寝。

6月23日(金)
慰霊の日。NHKで沖縄全戦没者追悼式の中継。正午に1分間の黙祷。
夕刻、遠縁の方の法事へ出向く。此の所、法事が多い。生者の世界と死者の世界は地続きになっているとつくづく感じる。慰霊の日だから余計に強くそう思う。この80年近く沖縄は死者の島であり続けている。
本調子ではない為、ウォーキング60分程。
途中ブックオフがあり、なんとなく立ち寄った所、沖縄本のコーナーで目取真永一・糸数正男・佐久川政要『手習い 沖縄の三線』という私家本が目に留まる。2月に三線を購入した後、何冊か入門書を見てみたが、どれも今一つで買わずじまい。この本は痒い所に手が届く作りになっており即購入を決めた。著者3名は高校教員。刊行は1995年。30年近くも前の本である。
一緒に福地曠昭『沖縄の幽霊』も購入。著者は沖教組や祖国復帰協議会等で活躍した闘士。何故に幽霊話を採集したのかという興味と、昨今の怪談ブームの先駆けかもしれぬという期待から。
夜、新良幸人の一合瓶ライブに行こうかと考えていたが取り止める。
寝る前15分ほど「肝がなさ節」のみ稽古。

6月24日(土)
満湖公園をウォーキング90分。
寝る前15分ほど「肝がなさ節」のみ稽古。

6月25日(日)
疲れを取るべく牧志のりっかりっか湯へ。3週間ぶり。サウナ室のテレビで梅雨明けしたことを知る。これから少なくとも3か月は暑苦しい時期が続く。夏は1年で2番目に嫌な季節である。
寝る前15分ほど「肝がなさ節」のみ稽古。


今週の追悼句:死者の声漂ふ真昼夏来たり (I)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?