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歌三線稽古日記(20240101〜)

2024年1月1日(月)
新しい年を迎えて、お慶び申し上げます。みーどぅし んけーてぃ うゆるくび うんぬきやびーん
今年もよろしくお願いいたします。くとぅしん ゆたさるぐとぅ うにげーさびら
首里や那覇の言葉、要するにうちなーぐちで表記してみたが、普段から此の様な挨拶を交わして居る訳では無い。
元旦の沖縄タイムス、主に地元の企業や団体、数十社の新春広告が大小並ぶ。其の殆どは「謹賀新年」「謹んで新年のお慶びを申し上げます」等、日本語の定型を採用。此れも時代の流れ。
其の様な中、大山タタミ店とアケダ空調食品設備は「いい正月でーびる」とうちなーぐち。更に照屋漆器店は「笑い福いぬ一年でないる事う願げーさびら」と工夫。逆に云うなら、地域性を鑑みているのは此の3社のみ。

一年の計は元旦に有り。然う云う事で、午前、ウォーキング6km。奥武山公園は年頭の参拝客でごった返して居るであろうから、本日は満湖公園へ。
暖冬の所為か、満湖公園では緋寒桜ポツポツ咲き始めて居る。例年より 1か月以上早いのではないか。正月に桜。如何にも新春の光景の様にも見えるが、旧暦(太陰暦)の上では未だ11月である。
午後、三線稽古30分程。此方も一年の計は元旦に有りを実践。
夕刻、能登半島で大地震のニュース。震度7を記録したと云うから恐ろしい。新年早々、暗然たる気分。
夜は老母、弟一家と共に、サムズ・バイ・ザ・シーにてステーキ食す。正月にステーキとはこれ如何に。
隣席も家族らしき集団が卓を囲むも、口数少なく黙々と食して居る。高校生らしき男子二人は、共に耳にイヤフォン嵌め、スマートフォン弄って居る。今時と云えば今時の光景。些か不穏な空気すら感じるが、我ながら映画的想像力を働かせ過ぎであろう。


1月2日(火)
午前、天気が良いので近隣を散策。
帰途、何とは無しにブックオフ寄る。角川書店編『俳句歳時記』第五版購入。俳句の勉強サボりがち。今年はもう少し真面目に取り組みたい。山里将人『アンヤタサ! 沖縄・戦後の映画1945〜1955』はサイン本。

夕刻、羽田空港で航空機事故のニュース。昨日は地震、本日は大事故。今年は先行きが思いやられる。海の向こうでは戦争が続いて居る。

1月3日(水)
昨日、暖かさに油断し薄着で出歩いた事に加え、夜、稽古で声を張り上げた事もあり、鼻や喉やられる。午後、ルル服用し寝る。文字通りの寝正月。
今年の目標如き物を幾つか。

・歌三線の稽古。昨年から引き続き。
・青竹踏み。昨年12月から開始。足裏に刺激与えるだけなのに、脚の疲れが軽減され、大層驚いて居る。
・朝晩のストレッチ。今年1月から始めたばかり。各20分。此の時間を捻出するのが意外と難儀。頑張ろう。
・体力作り及びダイエットの為、ジム通い。昨年12月から開始。現状、週1〜2回がやっとだが、3月辺りには週3回に増やしたい。
・俳句の勉強。サボりがちなのを反省し一から再開。並行して琉歌の勉強。この辺は3月くらいから取り掛かろう。


1月4日(木)
調子戻らず。昨夜寝る前にもルル服用すれば良かった。後の祭。車の運転をする為、風邪薬服むのを躊躇したのである。
午前、老母と波上宮参拝。三が日過ぎて居る為、人出も少ないであろうと思いきや、かなりの混雑。隣の臨時駐車場に空きが有ったのは幸い。個々の参拝客に加え、仕事始めと思われる会社員の集団が目立つ。神籤は吉。三十一文字は以下の通り。英訳有り。

ゆきくれてまよえる野辺のほそみちにさやけき月のかげはさしけり

On the field path where I was overtaken by night and got lost, the moon began to shine quietly.

波上宮の神籤は昔から日英併記


1月5日(金)
午前、老母をかかりつけ医へ。月に一度の検診。診療中、近くのカフェでモナドワーク。此れが仕事始め。
別の喫茶店で昼食をとった後、サンエーで買物。
夕食時、老母調子が悪くなり、早々に就寝。前日の参拝で体が冷えたのが原因か。年末年始の疲れも溜まって居る様に思われる。


1月6日(土)
老母、昨夜はぐっすり眠れた様子。但し、未だ本調子では無い為、此の三連休は室内でゆっくり過ごすよう促す。そんな折、朝っぱらから電話が鳴り、古い知り合いより、近々食事でも如何かと誘われたらしい。体調不良である事を伝え、断った模様。
近所の青年……では無いな、中年がオールドスクールなヒップホップを大音量で流して居る。恐らくRUN-D.M.Cであろう。こちらも負けじと、小さなボリュームで大島保克を聴く。
年明けから保克ブームである。20年以上前に『島時間』というアルバムを初めて聴いて、当時、大層好ましく感じたのだが、久し振りに聞き返し、此れは沖縄音楽史に残る傑作と感ずる。3曲目「流星」は嘉手苅林昌を悼んだ歌。


1月7日(日)
子供向け週刊紙「ワラビー」、琉球歴史研究家、賀数仁然かかずひとさが那覇の〝龍脈〟を解説。

 最初に訊ねたのは那覇市の泉崎交差点。陸橋を上って久米方面を眺めると、久米大通りの入り口に、龍の頭をかたどったような広場が見えます。
 久米村クニンダには琉球王朝時代、主に中国の福建省から移り住んだ人とその子孫「久米三十六姓」が住み、通訳や船頭などの役職に就いて王府を助け、活躍していました。
 広場を龍の頭、久米大通りを龍の体に見立てると、「龍を寝かせたように見えますよね」と賀数さん。かつて、しっぽの部分には「西武門にしんじょう」、頭の部分には「久米大門うふじょう」がありました。「海から西武門に入った不思議な力・気が龍脈(龍の体)を通り、龍の頭の部分の久米大門に流れていく。中国の風水に基づいた考えです」と説明してくれました。
(中略)
 「龍広場」から国道58号を挟んだ那覇市泉崎、商業施設や県立図書館などが入るカフーナ旭橋のすぐ隣。ここに高さ約6メートルの巨大な石が鎮座しています。「仲島の大石うふしー」と呼ばれる琉球石灰岩は昔、この付近が海岸だった名残です。沖縄県の指定史跡、天然記念物として再開発後も保存され、訪れる人が手を合わせます。
 大きな石は主にアジアの龍が持つ、「球」にも見えます。「久米大通りの龍が狙っている球、ドラゴンボールのようですね」と賀数さん。「風水」を基にまちづくりを考える発想がここにも感じられます。

「ワラビー」2024年1月7日(日) 第1面

賀数先生、新年に再放送されていた(地震報道の影響で最後の第3話は見られず)琉球歴史ドラマ「尚巴志」の考証を担当して居り、今年2月にはシリーズ最新作「阿麻和利」が放送されるとの事である。現代物なら兎も角、歴史物の制作は大変であろう。一ローカル局に過ぎず、予算も人材も限られて居るであろうRBCが頑張って居る。感心感心。


今週の凡句 淑気あり緋寒桜や昼日中 (I)



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