東松照明写真展「キャラクターP」
沖縄県那覇市に東松照明の名を冠したライブラリー&ギャラリーがある。
晩年の東松は那覇で暮らし、2013年にこの世を去ったのだが、配偶者の東松泰子が亡夫の志を継ぐべく、2019年「INTERFACE - Shomei Tomatsu Lab.」を立ち上げたのである。
今回開催された東松照明写真展「キャラクターP」は、1996年から1998年にかけて撮影されたシリーズ。
当時、東松は心臓のバイパス手術を受けた直後で、重い機材を持ち歩いての撮影が思うようにできなかったらしい。
それで手慰みとして電子部品や集積回路を組み合わせたクリーチャーを造り始め、それらを九十九里浜の廃船にあしらって撮影したのだという。
なぜ九十九里浜かというと、療養場所が千葉だったから。
病後、少なからず死を意識していたであろう人間に、こんなことを言うのは憚られるけれども、東松照明は「転んでもただでは起きない人」だったのだなあとつくづく思ってしまう。
なんというか、写真家としての業を感じてしまうのよね。
どんな状況におかれてもなお、写真を撮らずにはいられないという。
ただし、そうした背景知識はいったん退ける。
というのも、いまあらためて「キャラクターP」を目にすると、あざやかな色彩感覚と、幾層も重なりあったテクスチャーが印象的で、つまりとんでもなくフレッシュな写真だから(60代後半の写真家がこれほどまでに活きのいい写真を撮っていたことにも驚かされるが)。
なんならベルクソンをひっぱってきて「生命の躍動(élan vital)」と言ったっていい。
じゃあ「死の予感」が皆無かというとそんなこともなくて、「キャラクターP」の世界観は、全体としてはテクノロジーの廃墟がネイチャーに侵食されている風景という印象が強い。
さらに言えば、テクノロジーの側にもネイチャーの側にもホモ・サピエンスは含まれてはおらず、おそらくすでに絶滅した後だろうという予感さえおぼえるのだが、だからといって東松はそうした状況を否定的にとらえているわけではない、とも思うのね。
そのあたり、J・G・バラードやウィリアム・ギブスンとの類縁を感じる。
わたしはニューウェーヴやサイバーパンクが好きだったから、このSF的なイメージには、ただただ魅了されてしまう。
まあ、これはわたしの受けとめ方であって、東松自身が何を考えていたのかはわからないけれど、いずれにしても、東松の造形力や構築力というものがよくわかる作品群であることはたしか。
結局、東松照明という写真家は、個別具体的な地点、またはきわめて私的な関心といってもいいだろうけど、そういうところから着想を得たとしても、それがけっして「私写真」に堕しないという潔癖さがあったように思う。
「キャラクターP」の場合も、自身の療養中に撮られたものという条件はあったにせよ、写真が「私」に閉じていくなんてことにはならず、結果として「社会」や「世界」に開かれていった気がするんだよね。
ところでこの「キャラクターP」という作品、接するのは二度目である。
1999年、水戸芸術館で「日本ゼロ年」という企画展が開催された。
美術評論家・椹木野衣によるキュレーションの下、〝日本・現代・美術〟のメルクマールとなった(もしくはならなかった)展覧会。
出品作家は、会田誠、飴谷法水、大竹伸朗、岡本太郎、小谷元彦、できやよい、東松照明、成田亨、村上隆、ヤノベケンジ、横尾忠則。
おどろいたことに「キャラクターP」は水戸と那覇でしか公開されていないらしい。
わたしはそのどちらにも足を運んでいる奇特な人間なのであった。(O)
会期 2023年5月4日(木)〜6月4日(日)
会場 INTERFACE - Shomei Tomatsu Lab.
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