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非合理な特殊解 22

夏子は大きなリュックを背負い、大きなキャリーケースを引き上げた。その瞬間山手線のドアが閉まった。ものの数十分の電車移動、あっけない引越しだった。

エマの家を出る瞬間を思い起こした。玄関のドアが閉まる瞬間のエマを思い出した。もっと悲しくなると思っていた。でも実際は、そんな事は無かった。あっけなかった。

目白駅から徒歩数分のところにある引越し先の白いシェアハウスのビルへ着くと、自分の部屋番号の302の番号が書かれた下駄箱へ靴を収納し、すれ違う人に挨拶をしながら自分の部屋に向かった。3階への階段の手前の2階の廊下を歩いていると、近くのドアから金髪のボブの白人の女の子の頭が急に飛び出し、辺りを見回した。目が合った夏子ニコリと笑って軽く挨拶をした。

金髪のその女の子は口と耳に大きなシルバーのピアスをつけていた。その口が僅かに動くと、後ろから腰までのツインテールの金髪の白人の女の子が、ボブの女の子の後ろに隠れるように出てきた。そして2人のゴスロリな女の子たちは腕を組み1階へ降りて行った。

夏子は急いで302の自分の部屋へ向かった。鍵を開け、6畳ほどの小さな部屋へ荷物を運び終えると、ベッドの上に倒れ込み、携帯を取り出し、電話をかけた。

「エマ。このシェアハウスは、内緒で見つからないように、泊まりに来ても大丈夫みたい。明日おいでよ。」
「そうなの?何時ごろならいい?」
「そうね、調べてみるね。また連絡するね。」
「うん。じゃあね。」

電話を切り、部屋に鍵をかけると、夏子は1階にある共有のリビングへ下りた。リビングのからくり時計が午後3時を知らせた。広いリビングには、先ほど廊下ですれ違った金髪のボブの女の子が一人、ダイニングの椅子に座り、牛乳を飲んでいた。夏子は話しかけた。

「こんにちは。私は夏子と言います。今日引っ越してきました。」
「そう。」
女の子のあまりのそっけ無さに声をかけたことを後悔したが、夏子は続けた。
「もう一人の女の子はどうしましたか?」
「シャワー。」
女の子は携帯でメッセージを打ちながら、面倒そうに答えた。夏子は一瞥も無いその女の子をじっとしばらく見つめてから言った。

「そう。今日引っ越してきたばかりで妙な質問かもだけど、友人が泊まりに来る場合って、何時ごろならここへ連れてきたらいい?」

一瞬沈黙した後、その女の子は顔を上げて、ニヤリとして言った。
「平日の今頃。管理者の人は午前中しか来ない。16時くらいからこのリビング混む。2時から3時くらいならリビングも廊下も空いてる。」
「ありがとう。」
夏子はその女の子の日本語の上手さに少し驚いた。
「私はローラ。宜しく。」
ローラはほんの10秒くらい前とは別人のような可愛い笑顔になった。
「宜しく。」
ローラが差し出した手を握りながら答えた。
「私スペイン人だけど、一緒にいる女は、私のスペインの女。明日帰っちゃう。」
「私の彼女ももうすぐフランス行っちゃう。」
「そう。」
ローラは椅子に座ったまま顔を腕の中に埋めた。沈黙の中、夏子は何か悪いことを言ってしまったかなと思った。
「お互いちょっと寂しいけど頑張ろう。」
と夏子が言うと、ローラは急に顔を上げて目を大きく見開いて言った。
「え、私寂しくない。日本に沢山彼女いるし、新宿行けばイケメンいるじゃん?人間なんて沢山いるじゃん?」
ローラはそう言うと、ケラケラと笑い出した。
「そうなの?ローラ、あなた面白い。」
夏子もつられて笑った。
「あのさ、名前なんだった?」
「夏子。」
「夏子はさ、今まで何人と付き合ってきたの?」
「分かんない。1人とか、2人とか?」
夏子は付き合ってるとか付き合ってないとか確かめたことがないから、どうカウントしていいか分からないなと思った。
「は?冗談でしょう?人生損してる。あのね、人生1回なんだよ?分かる夏子?しかも、いつ死ぬかもわかんないのに?日本なんてさ、駅の床で眠っちゃったとしても、どこかへ運ばれないし、殺されないんだよ?何でも出来るじゃん?」
「うん?」
ローラの勢いに圧倒されながらも、何とか相槌を打った。
「夏子は全然分かってない。彼女いつフランス行くの?」
「来週の水曜日。」
「じゃ、来週の金曜日の夜と土曜の夜、朝まで空けといてよ。」
「その時間仕事してるな。土曜日は休みだから大丈夫そうだけど。」
「じゃあ、そこね。あとさ、来週週末近くなったら、私に今言ったこと言って。私忘れてることあるから。毎日何あるか分かんないじゃん?違う予定入れてるかもしれないから。教えてくれたら、後から入れたやつ、やっぱ予定あったからごめんって断れるじゃん?」
「そうなの?」
何だこのローラの自由さは!と夏子は思った。
「そうなの。」
髪の長い金髪の女の子が濡れた髪をタオルで拭きながらリビングへ入ってきた。ローラはスペイン語で彼女に何かを説明した。髪の長い女の子は急に微笑んで夏子に言った。
「Don't be discouraged. Cheer up.」
夏子は
「ありがとう。」
と言うと、2人は冷蔵庫からおにぎりやパンの入った袋と牛乳パックを取り出して、部屋へ戻って行った。
夏子はエマへメッセージした。
「14時半〜15時頃、リビングとか廊下とか通れそう。その頃来てね。着いたら電話してね。」

その夜、職場の席替えがされていた。西田が夏子に紙の玉をぶつけていると、誰かが高橋に言ってくれたようで、西田と席が遠くなった。夏子は、困った事に高橋の隣になった。
西田は高橋の休憩中、以前にしたように、夏子のと自分の管理下のキャラクターの何人か交換した。西田が高橋のPCでその交換をしてる間、夏子はKyoko_Mizunoと鈴木恵一のやり取りの中の、裏メッセージの読み方を紙に書き、作業を終えた西田に渡した。
西田はその紙を引ったくるように私の手から引き抜き、不敵な笑みを浮かべながら席へ戻った。

すると数分後、
「えー!気持ち悪っ!」
と西田が叫んだ。夏子が西田の方を見ると、西田の口が
「いいよ。」
と言って頷いた。
夏子はほっとして仕事を再開した。

次の日の午後、エマはシェアハウスに泊りに来た。あっけないほど穏やかな2人の最後の時間を数日過ごした。最後に別れた新宿駅のホームでも、二度と会えなくなるという実感が無かった。呆気なくすぎた。お別れは、そんなもんなのかなと夏子は思った。


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