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多数決

ランドセルに付けてあるお守りの鈴の音に足音を合わせながら、私は家路を急いでいた。早く帰らなければならない理由は無かったが、何となくやるせない気持ちでいた。

墓場の入り口を通り過ぎようとした時、丸い石が突如視界に現れ、私はつまずきそうになった。私はムシャクシャした気持ちを込めてその石を蹴飛ばそうと、足を振り下ろそうとした。でも、足が石に当たる寸前、蹴るのをやめた。丸い石に顔が見えた。それは地蔵の頭だった。

私はその地蔵の頭を両手で持ち上げながら、顔を上げた。墓場の入り口に、地蔵が立っていた。首が無い。私は拾い上げた地蔵の首をそっと戻し、また帰り道を歩き出そうとした。

その時、頭上から「カァー」と大きな声が聞こえてきた。驚いて見上げてみると、電線に止まった大きなカラスが二羽、私を見下ろしていた。

私は少し怖くなり、黄色の安全帽を目深に被り直しながら、家に向かって駆け出した。

家に着くと、お母さんは玄関の前のお花の手入れをしていた。物が乱雑に散らかったリビングを通り、私は子供部屋の机の上へランドセルを置いた。そして、学校での出来事をお母さんに話そうか、迷っていた。


今日の朝は、学校へ着くと、クラスの雰囲気がいつもと違っていた。少し皆んな清々しい様子だった。昨日の放課後、一部の児童の保護者会があったそうだ。どうやらそれが関係しているらしかった。

私のクラスの4年2組では去年の秋頃からいじめが繰り返されていた。季節が変わるように自然と次々いじめのターゲットが変わっていった。クラスの多くが、明日は自分がいじめられるかもしれないと思いながら、毎日誰かをいじめている、そんな毎日だった。その解決のための話し合いが、その保護者会なようだった。そこで、「いじめをしない」と皆で取り決めたらしい。

私はずっと酷い思いをさせられてきた気がしていた。だから、後ろの席の子たちがこの保護者会について話しているのを聞いて、私は嬉しくなった。これで何も無くなる、そう思った。

でも少し不安が過った。私のお母さんは保護者会に呼ばれていなかった。なぜだろうか、そう思う気持ちもあったが、すべてが終わるなら、そんな事はもうどうでいいとも思ったので、考えるのをやめた。

私は3時間目の算数の時間に、トイレへ行くことにした。気持ちが落ち着かなくなると、すぐにお腹が痛くなるからだ。トイレに行くと、もう教室には戻りたくなくなる。一人でいられて嬉しかった。

ついついゆっくりし過ぎて、授業が終わってしまった。4時間目は体育なので着替えなければならない。トイレの個室から出る支度をしていると、何人かがトイレのドアを開けて入ってきた。次の瞬間、上から水が降っきて、笑い声が起こった。そして、その何人かは笑いながらトイレの外へ出て行った。私は全身ずぶ濡れになった。

4時間目からは体操服で過ごした。4時間目が終わり、給食や5時間目以降も体操服を着ている私を、一部の女子がクスクス笑っている。嫌な予感は的中した。いじめをしないようにする取り決めをしたにもかかわらず、私への嫌がらせは続いている。という事は、この私への嫌がらせは、やめると取り決めた「いじめ」ではないという事だ。

先生は、私だけ体操服でいるこの異様さに、きっと気づいている。このクラスの状況にうんざりしているのだろう。気がついていないふりをしている。でもそれは正しい。私の親は、学校に文句などは決して言わない、世間体第一主義だ。チョロいものだろう。もう解決したはずの問題も、蒸し返されたく無いだろう。私や私のお母さんは入れてもらえてなかったけど、それは大勢で取り決められたのだから。

帰りの会が終わり、みんなが帰った教室で、私は体操服から生乾きの洋服に着替えた。


家に着いた頃には、洋服は乾いていた。お母さんは、玄関先のお花の手入れと玄関先の掃除を終えると、ご飯を作り始めた。そんなお母さんの背中を眺めながら、今日起こった、服をずぶ濡れにされた事を、言おうかどうか迷った。

迷って、迷って、やめた。私や家の中より、どう他から見られているかを気にして生きてる人間、それが私の親だ。相談したところで、私の味方になってくれるか心配だった。「恥ずかしい」なんて言われてしまったら、私はこの上ないショックを受けることは必至だった。

私はこのやるせない気持ちをしまっておくことにした。たかが子供1人のこんな気持ちは、多数決で無にされてしまいそうな気がしていた。多くの人にこの気持ちが分かってもらえる、そんな場所へ行けるまで、心にしまっておくことにした。絶対勝てない戦は、あえてしなくてもいい、とにかく疲れたくなかった。


次の日の学校では、階段を降りているときに突き飛ばされた。4段踏み外して転んでしまった。でももう私は、昨日のように悲しくなったりしなくなった。周りから私は無にされた気がしたから、私からも無にしてみようと思った。もう反応したり、悲しくなるのが無意味に思えた。


帰り道に、また地蔵の頭が転がっていた。大きなカラスが二羽、その地蔵の頭を小突いて遊んでいる。

私は一瞬、カラスを追い払って元に戻そうかと考えた。

でも、やめた。カラスにも多数決で負けていたから。

彼らにとっては、地蔵の頭がサッカーボールか何かだと取り決められたのだよね。

私はそんな事を思いながらカラスたちを避け、墓場を通り過ぎていった。

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