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7 Kawasaki GPZ250Rを駆る・その1

 GPz250からGPZ250Rへ

 Kawasaki GPZ250Rをご存知でしょうか。もう誰も知らないですよね。いわゆる不人気車で1年かそこらで次のモデルにチェンジしたと記憶しています。すれ違った記憶もありません。
Kawasaki初の水冷並列ツインエンジンを搭載し後のクオーターNinjjaの出発点となったバイクです。
 
 1983年夏頃、その頃たくさんのバイク雑誌があって僕は「ヤングマシン」という月刊誌を読んでいました。その雑誌の裏表紙に先代のGPz250が掲載されていまして一目惚れしました。ベルトドライブなんてその時初めて知ったものです。

 珍しいですよね、普通あの頃でしたらZ400FXやCBXだったり。クォーターでしたら RZとか VTなんですけど。中免しか持っていないので大型は対象外です(汗)

 GPz250、買おうかどうしようか考えているうちに他社がマルチエンジンを搭載するようになり、次はKawasakiも、と期待して待っていたら水冷化されたもののパラレルツインエンジン。「クォーターはツインエンジンがベストマッチ」という信念のもとGPZ250Rは世に出されたのでした。4バルブ化しDOHCにもなりましたけどね。

 男だったらKAWAに乗れ?

 そんなキャッチフレーズ聞いたことあります。
 バイク屋に行ってGPZ250Rのカタログをもらって見てみたらおしゃれなカラーバリエーションと女性ライダーが。当時の開発スタッフも女性が活躍したと何かの記事で読んだことを覚えています。硬派イメージのkawasakiも開発や販売の戦略が変わったのでしょうね。
 ボディカラーも白、赤、黒、銀色とあり狙っていたライムグリーンはラインアップされていなくて残念でしたけど。
 
 結局、白を選択しまたまたローンを組んで購入いたしました。

 納車3ヶ月で半壊しました。

 ある程度は自分で整備できなきゃな、と自宅から1時間ほどのKawasakiの営業所に整備マニュアルを買いに行きました。
 その帰り道、信用金庫の駐車場から急に出てきたソアラを避けきれずクラッシュ。ぶつかる直前のことは何も記憶になく身体が飛ばされてからスローモーションです。あんなに空中に身を置いたのは後にも先にもあの時だけです。誰かが110番してくれたみたいですが、管轄する警察から一番遠い地域でしたので警察が到着するまで1時間以上待ったのを覚えています。

 幸いケガは軽い打撲だけで済み、アタマは打たなかったみたいです。その後何回かバイクでの転倒を経験しましたがヘルメットが傷つくようなことはなかったです。また後続車などに接触もなかったのはただ運が良かっただけですが。 

 自分で整備を、と整備マニュアルを買いに行った帰りに右半分が大きくダメージを受けフロントフォーク、ハンドル、ブレーキ(前後)、マフラーはじめ右半分全取っ替えとなり、心のダメージも大きく負ったのでした。治っても真っ直ぐ走るのかな、と。

 このバイク冷え性?

 とにかく暖気に時間がかかるバイクでした。暖まらずに走りだすと途端にエンスト。信号でエンストなんてアリアリでしたね。
 例えば仲間と食事に行った時など、そろそろ帰る雰囲気を読み取って5分くらい先に出てエンジンをかけていました。チョークレバーのさじ加減も本当に微妙でカブらせたことも頻繁でした。予備プラグもいつも収納していましたし。

 友人がYAMAHAのXS250Eでよく遊びに来たのですが、セル一発、大きく空ぶかし3、4回、全開で帰って行くの羨ましく見送ったものです。
 
 KAWASAKI水冷エンジンの初期ロットなんで仕方ないかと当時は納得して乗っていたのですが、いろいろと調べてみれば良かったと今になって思います。

 その2に続く

 

 

 

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