コンスタブル展と私の13歳がシンクロした日。

画像1

 三菱一号館美術館で、「コンスタブル展」が開催されるというニュースを知った時のこと。
 ここ十数年で色々な絵画に触れ、なんとなく自分の好きなタイプってのもわかってきたので、
「風景画中心なら、行かなくてもいいかなー」
 なんて思ったのだけど。
 ところが。
 チラシの作品のタッチを眺めているうちに、頭の中で閃いたことがあった。
「もしや・・・」
 インターネットで検索かけて「コンスタブル」と入力するだけで、たくさんの作品がヒットして。
「やっぱり!」
 あった! それは、「麦畑」というタイトルの作品で、のどかな森の中、動物や人間がちらほら描きこまれていて、完全なる風景画とは違う一枚。この絵、私にとってはとても大切な作品なのだ。

画像2

 あれは、遠い昔。
 中学一年生の13歳の頃。公立中学に通っていたのだけれど、ある時昇降口の空スペースに3~40枚ほどの絵画(サイズはA3くらいだったと思う)が床に並べられ、業者の人が販売していた。今は、そんなこと許されているのかどうか。芸術教育の一環だったのかな?   

 薄暗く湿っぽい場所で、低い椅子に男の人が座って店番をしている。商売っ気は全くなく、生徒たちが足をとめても、声をかけるでもなく、今みたいにスマホをいじれるわけでもないので、ただぼーっとしていた。
 それをいいことに、私は休み時間中絵の前にしゃがみこんでずっと見ていた。たしか数日間にわたって販売されていたと思う。
 並べられた絵は「モナリザ」や「ひまわり」など有名どころは、当然あっただろう。
 ルノワール、モネ、セザンヌもあったはず。
 私はなぜか必ず一枚買うことを先に決めて、それを選ぶのに多くの時間を費やしていた。当時は、絵画の知識なんて全然なくて、だからどの絵が有名かなんて知るはずもない。
 全くフラットな視点で、お気に入りを選び出そうとしていた。今思えばある意味、正しい方法かもしれないけれど。
 値段は、400円くらいだったような。中学生のお小遣いから、この金額をひねり出すのはけっこう大変だった。必ず買わなくちゃいけない「りぼん」とかの月刊誌もあったし、時に部活帰りに友達とジュースを飲む小銭も残しておかなくてはいけない。
 だからこその真剣さ。選びに選ぶ必要があった。
 覚えているのは、ずっとしゃがんでいたために、しびれた足の痛み。「もうこれに決めよう」と思ったそばから「あと一日あるから、もうちょっと考える?」という自問自答。
 そうして、選んだのが・・・。

「麦畑」だった。不愛想な男の人は、絵の説明をしてくれるわけでもなく、無言でお金を受け取っただけ。その絵には、作者、タイトルが印刷されていなかったのだろうか? 全く記憶にない。どの時代のどこの人が描いたのかも全く知らず、それでも大切に家に持ち帰り、壁に飾っていた。
 私がこの絵に惹かれたのは、たぶん左下の少年のせい。けっこう良い服を着ているのに、腹ばいに寝そべって、小川の水面を眺めているのか、水を飲んでいるのか。その大胆さが、単純に羨ましかったのだと思う。
 今なら、ちゃんと認識できるけれど、当時は少年にばかりフォーカスして、右にいる犬や羊がまったく目に入っていなかった。
 ずっと後になって、聖書の詩編23編の、
「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる」
 の箇所を読んだ時、この少年の姿を思い出した。
 とは言え、数回に及ぶ引越しに紛れ、その絵はとっくに手元を離れてしまっていたので、もう一度見ることはできなかった。
 いくらインターネットが発達したとは言え、探す手立てがない。
「風景画 少年 寝そべっている」
 なんて検索かけても、出てこないから。
 なんとなく気にはしていたけれど時は流れて・・・。そうして、コンスタブルの他の絵を見た時に、筆の感じがそれっぽいな、と思ったら当たりだったわけだけれど、そんなことがわかるようになった自分の成長をちょっと褒めてあげた。 


画像3

 「ウォータールー橋の開通式」


画像6

「ユトレヒトドシティ64号艦船」

会場には、コンスタブルだけでなく、色々な風景画も飾られていたけれど、ライバルとされていたターナーの作品もいくつかあった。1832年のロイヤル・アカデミー夏季展で並べて展示された「ウォータールー橋の開通式」(コンスタブル)と「ユトレヒトドシティ64号艦船」(ターナー)。ロンドン以外では、初めての二作品展示ということで、その情報だけでわくわくするけれど、細かいところまでじっくり見たくなるのは、コンスタブル作品。
 目を凝らしてみると、黒いとんがり帽子に赤いユニフォームの近衛兵があちこちに描かれていたり、色々発見あり。 
 ターナーは、いつもの淡い感じの色彩でほわーっと船が描かれている。こうして並べられると、ライバルとは言え雰囲気は大分違う、というのが感想。
 先程風景画はあんまり見てこなかった、と書いたけれど、ターナーだけは別で。と言うのは、夏目漱石の「坊ちゃん」の中に愛媛の松山から見える島を、登場人物たちがターナーの絵にそっくりだ、と言い出して勝手に、
「これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんか」
 と提案するくだりがあって、ずっと気になっていた。松の木が生えている島で、今では本当にそう呼ばれているらしいけど、そのせいで2013年の東京都美術館の大回顧展にも足を運んだ。

それで、光の加減がすてきだなと思っていたので、今回思ったより多くの作品が出展されていて、嬉しかった。

これが今でも小説のお陰で「ターナー島」と呼ばれている本当は「四十島」

画像6

 

 さて。
 お目当ての「麦畑」は、来日していなかった。そのかわり他の人に頼んでモノクロの版画にされた大きな作品が飾られていた。
 白と黒だけの濃淡で表現された「麦畑」は、オリジナルとはまた違う趣きがあって、こちらも好きになった。
 左下にはやっぱりあの少年が小川のそばで、腹ばいになっていた。何十年かぶりの再会。よりくっきりとした輪郭で、なんとなく凛々しい。この絵を選んだ理由も今では推測の域を出ないけれど、ずっと謎だった作者とタイトルがわかって良かった、と思う。
 実は、日本で35年ぶりの大回顧展とのことで、こうして過去の思いに導かれ、他の作品(特にウォータールー橋)も好きになることができたのも、大収穫ってことで、三菱一号館美術館さん、ありがとう。

次の写真は、会場で唯一撮影OKだった一枚。

画像5

 ずっと見ていたかった。雲の光に包まれて。


【特別付録】
2013年のターナー展に一緒に行ったお友達へのLINE
私「コンスタブル展に行ったら、ターナーのライバルだったとのことで、10点くらいターナーあったよ」
 ここで、中学時代のエピソードも披露。画像も添付。
友「コンスタブル展には行こうかなと思ってた。倒れている少年に何かを感じたのかなww」
私「え…ずっと水飲んでるんだと思ってた」
友「あ、お水飲んでいるのか! 私は、行き倒れていて、犬が心配して見ているのかと・・・。
 アートのセンス無さすぎだねww」
私「絶句! 笑わせすぎだよー。
  のどかな雰囲気なのにー」
 本当に悶絶するほど笑わせてもらった。だけど、彼女には犬の姿がちゃんと見えていて、私とは違う視点を持っているんだな、と思った。
 このようにして一枚の絵は色々な人のまなざし、状況、想像力により、無限の広がりを見せてくれるわけで、これこそがアートの醍醐味。
 次回から「麦畑」を見たら、このLINEを思い出して、ちょっとだけ笑っちゃう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?