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Day 15 ベトナム戦争中の地下都市へ

出発

ホーチミンに住んでいた友人におすすめされた「クチトンネル」なるものに行ってみようと、昨日ホステルの窓口でツアーに申し込んだ。ツアー費用は入場料、バス代、ガイド代込々で580,000 VND (約3500円) 往復2時間以上の交通手段を自分で確保するよりこっちの方が楽で安そうだ。

朝8時に出発したマイクロバスは、途中複数のホステルでツアー参加者を乗せ、総勢20名ほどでホーチミン郊外の目的地に向かう。ツアー参加者は、喋っている言語や発音から推測するに、アメリカ、フランス、スペイン(もしかしたら南米)の順で占められていて、アジア系は俺と一組のカップルがいるだけだ。ベトナム人の男性ガイドが冗談を交えながら挨拶と注意事項を述べた後、ベトナム戦争とクチトンネルの概要を説明する。アメリカ軍の空爆と枯葉剤の攻撃から逃れるために地下に掘られた交通網兼住居らしい。なんでも、ただの逃げ隠れするためのものではなく、アメリカ兵を攻撃用に色々と工夫もなされていたらしい。ベトナムゲリラがアメリカ軍に勝利した理由を実際に垣間見ることができそうだ。

600円ホステルでもこのくらいの朝食が付いてくる

伝統工芸品工房にて

一行は途中で休憩所を兼ねたベトナムの伝統装飾品の工房に立ち寄る。木の板に卵の殻を張り付けて絵柄を表し、何度も研磨することで上品な光沢をまとった見事な絵になる。一枚お土産にとも思ったがバッグと財布にそんな余裕はない。

工房内を見て回る中で、手足だけが身体に比して異様に短い女性が板に模様を作っていた。枯葉剤の影響は何世代にも渡って続いているというガイドの言葉を思い出す。

顔料も全て自然由来だそう

クチトンネル到着

伝統工芸館から進むこと40分くらいだろうか。田舎道を抜け、目的の森に到着した。鬱蒼と茂る木々と、今も射撃場から響いてくる銃声から戦時下の状況が思い起こされる。この辺りは一度爆撃と枯葉剤で更地になっており、今見えている木々は戦後に生育したものらしい。

入場ゲートになっている地下スロープをくぐり、森の中を進んでいくと、当時の現地住民やベトミン(南ベトナム解放戦線の兵士)の生活の様子などが、再現された展示が点在している。料理の際に出る煙を目立たなくするための蒸気の温度を下げる排気管や、雨水や敵の水攻めの影響を抑えるU字型の排水管など、ベトナムの人たちの知恵が強調されていた。

先述のように、ここはただの避難場所ではなく、攻撃設備も兼ね備えていた。敵軍アメリカに対しては、投下された爆弾を再利用した鉄串つきの落とし穴が至る所に作られていたらしく、進軍するのを心理的にもとどまらせるような工夫がされていた

不発弾を解体し、落とし穴に仕掛けるの鉄串を作る様子
内部圧力を弱めるため冷却を加わえながらの地道な作業だったそう
落とし穴の構造を説明するガイドさん
かなり容赦ない仕掛けで、聞いているだけで身体がゾクゾクする
米軍地上兵は戦闘意欲失せたことだろう

実際に当時使われていたトンネルを100 m ほど通ってみた。段々になっていて、水を窪地に逃がす仕組みが作られていた。ガイドさんに聞くと、観光用に拡張されたらしいがそれでも十分狭く、100mが恐ろしく長く感じたが。これがカンボジアに至るまで250km も掘ったというから驚きだ。

トンネルの入り口
中に身を沈めた後、木の板に枯れ葉を乗せた状態で蓋を閉じる

この公園内には射撃場があり、当時のアメリカが使用したM14とベトナムが使用したAKが実弾で試射できる。1発撃てれば充分だったが10発が最低単位とのことで、600,000VND(約3600円)でM14用の5.56mm弾を購入。実弾を撃つのは初めてだったが、M14は思ったほどの反動が無く制御しやすかった。

まとめ

近代兵器を擁した米軍にどうしてベトナム兵が勝てたのかずっと疑問に思っていたが、このクチトンネルに来ることでその謎の一片が解けた気がした。戦争の悲惨さというよりも、少ない資源の中、知恵と工夫を凝らし、米軍に勇敢に立ち向かっていた当時のベトナムの人たちの力強さを感じた。

しかし、そうした知恵は多くの人たちの犠牲の上に成り立っていているということも同時に考えなければいけないと思った。明日訪れるベトナム戦争証跡博物館では、この戦争における「悲惨さ」というのが具体的にどういうことを意味するのかを目で見て感じてきたい。

クチトンネル内部構造
三角形の部屋は赤ちゃん用とお母さん用
泣き声が外に響きにくい構造らしい


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