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★キャンピングカー生活まであと227日★「都会の嫌いなところ」

あした何の日?

今回のテーマは「都会の嫌なところ」です。

私は新大阪の近くの実家に生まれ、21年過ごした後に社会人で上京し、一時期は転勤で名古屋で過ごしました。なので今までの人生、ずっと都会にいたようなものですから良い部分も悪い部分もかなり見えてきました。

こと日本、そして世界でもトップクラスに都会とされる東京に引っ越してからは、その嫌な部分が多く感じられてしまうことが多いのも事実。

あえて今回は私が思う都会の嫌な部分を文字に起こしたいと思います。

これから引っ越す人などは参考にしてみてください。

①人の関係が疎遠・薄い

関西に比べて東京の人が冷たい、とはよく言ったものですが人自体の情の部分以外にも原因はあるのではないかと思っています。それは人が多すぎるが故の自分が所属するコミュニティの多さ、人脈の広がり、他人への無関心。

気軽にコミュニティに所属できるのは都会ならではの良さである反面、その中でも多くの人と接触していると一人当たりと交流する時間が減少するのも事実。
知り合いは増えたけど親友と呼べる存在が増えない状態ができてしまったのは私も例外ではありません。

個人的な人脈も増えますが、同じくして向こう側でも人脈が広がっているわけです。そうなると一緒に会える時間が減るし、複数人でしか会う機会がない、ということにつながります。

するとやはり、深く話をする機会が増えず、知り合い止まりになることも少なくありません。

②何をするにも並ぶ

これもやはり人の多さ故の弊害です。
例えば飲食店なんかは、店の数自体が多いのにも関わらず並ばず入れるところは少ないです。店の数以上に人の数が飽和しているのがよくわかります。

例えば美術館では人が多すぎて、じっくり鑑賞していると後ろに人が詰まってしまい、ゆったり楽しむことができません。
例えばスポッチャでは、室内コートを使うのに毎回20分ほど待って、いざコート使用するとなったら制限時間が10分。遊ぶ時間よりも並ぶ時間が多い。
食フェスに行っても同じでした。1時間並んで帰るのが一品だけ。多すぎる来場者に店側がさばききれず列は全く動かない始末。

だからこそシフト制の仕事のありがたさも感じます。
人が多く出てくる土日を避けて色々な場所の店や施設を楽しめるのは都会ではかなり貴重ですね...。

③満員電車

なんといっても都会の代名詞、満員電車。
これは身体的にも精神的にも苦しい厄介な問題です。

すし詰め状態とはよくいったもので、満員と思われる電車にも容赦なく人が詰められていきます。
内部で起こっているのは「物理的圧迫」です。

華奢な体格の人は本当に押し潰されるんじゃないかと恐怖を抱くことでしょう。降りたい駅で降りれない、なんてこともあるでしょう。

運良く座席に座れたとしても、ドア付近や自分の前が混雑しすぎていて、駅に停まった時にスムーズに立ち上がれない。実際に私もそれで目的の駅で一回で降りれなかった経験があります。

別の問題として、温度、におい問題。
周りの人との距離感が近くなってしまう満員電車では、人の体温が密集し風通しが悪い。汗っかきの人が近いときは余計に感じるのが人のにおいです。

正直、これが一番きつい。逃げ場がありませんから、次の駅まで身動きが取れないまま我慢するしかありません。

ピーク時間の設定や料金設定など工夫はありますが、その考慮を軽々と超えるほどの人口飽和が問題で、現実的にはほぼ解消につながっていないのが現状です。

④モノ・サービスが充足しすぎている

一見、物やサービスが行き届いていることは良いことと思われそうですが、良いことばかりではありません。

充足していることが当たり前になってしまうのです。

裏を返せば、モノやサービスを不自由なく買ったり受けられていることに疑問を持たなくなった人々は、感謝を忘れてしまうのです。

自分たちが受けている恩恵は、全て誰かの労働やボランティアの上に成り立っています。ネットでポチった買い物が届くのも、運送の仕事をしてくれてる人がいるから。電気や水道が使えるのもインフラ業者が電線や配管をメンテナンスしてくれているからです。
さらにスーパーにいつも商品が並んでいることだって、電車が時間通りに来ることだって、すぐにラーメンが出てくることだって、全てそうです。

結果、街中で「ありがとう」という言葉を聞くことが少ないなと私は問題視しているのです。

外食でご飯が運ばれてきても無言。コンビニでレジ会計をしてもらっても無言。

感謝がなければ、手を差し伸べたい気持ちもいつの間にか薄らいでしまう。

和をもって貴しとなす。
日本人は本来「和」という調和をもって感謝し合える「結束力」が強い民族であるはずなのです。

今の都会人、どうでしょうか?

⑤情報に溢れすぎている

インターネットの進歩で1日に入ってくる情報量は10年前の約6000倍以上になったとされています。

都会ではインターネットを使わずしても電光掲示板の表示や街中のアナウンス、映像広告、店の広告、人々の会話...いたるところに情報が溢れかえっており、耳栓と目隠しでもしない限りそれら全てを取捨選択、シャットアウトすることは限りなく100%に近く不可能です。

有益な情報は少なく、時に有害な情報(いたずらに時間を奪ってきたり詐欺である情報など)も入ってきてしまいます。
それを判断する力を養うことは重要ですが、都会にいると何かと多忙に追われ判断する時間さえ容易に取ることができません。
その結果、都会には中々自分の思う通りに生活をしていけないような人が一定数いるのも事実です。

格差が多いのもまた、都会の特徴と感じます。

⑥なんでもかんでも高い!!

さいごに、物価。
家賃も高いし、電車賃もタクシー代も、美味しいものを食べるにも、髪を切るにも、車を借りるにも、色々なものが高すぎる。
安いなぁ〜と思っても地方のそれと比べると必ず高くなっています。

競争相手の多い都会の企業は、広告費用を多く使います。そして店舗ビジネスは家賃が高いため、採算を取らなければいけないので我々がモノを買ったりサービスを受ける代金が高くなってしまう。

金銭的な負の連鎖です。賃金が高くても生活出費が高騰するのではイーブンどころかマイナスです。

しかし物価を全国均一にしようものならまた別の問題も起きてしまいますから一筋縄にはいかない。
そんな悩みにモヤモヤしてる間に、怪しい情報が入り込んでくるから油断できません。

まとめ

実力主義の色が濃い都会では、「この人は自分にデメリットな情報を流してこないか」「時間やお金を奪ってくる存在ではないか」など猜疑心が渦巻いているような気がします。そして、仕事ができない、騙される人たちに人権はないと言わんばかりの心理的冷たさ。

言葉が強いですが、都会には搾取し蹴落とそうとする人たちが多いのではないかと、私個人は感じています。負のオーラが街を取り巻いているのではないかと。
そんな中で本心から仲良くできる人と出会えたならどれだけ幸せか。そう思うんです。

都会に身を置いてきたことによって改めて人間関係の尊さや当たり前の感謝を考える機会となりました。
人口が多いところに仕事や物や情報、さらなる人数が集まるものですが、メリット以上にデメリットが多くなってきたのかなと私自身は思うことが増えました。

嫌いな部分が多いのも事実だけど、学ばせてもらうことも多かった。そのデメリットをどう解釈して逆手にとってメリットに変えてしまえるかは、その人次第。

しかし人口集中だけは避けられませんから、人混みが苦手というのを克服できない私ははやく脱出したいと思っています。

<<<あと227日>>>
和を以て貴しとなす

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