夢よりも深い覚醒へ

大澤 真幸 2012.3 

○日本の戦後史
・理想の時代 1945〜1970 安保の闘争マデ
 個人、社会にとって理想の状態の社会的な合意があり、到達する確信が共有されていた。

・虚構の時代 1970〜1995 サリン事件マデ

 ・不可能性の時代 1995〜

○原則的にはpである。ただしqは例外である。
日本人は九条や3原則に関して、この原理を徹底的に活用してきた。
自衛のための戦力は軍隊ではない。
原子力の平和利用は核武装ではない。
気が付いたときには、すべてが例外qとなってしまい、pのための領域はゼロになってしまうだろう。

○現代の日本社会においては、下層の労働者や失業者が大規模な政治行動、階級闘争にコミットする可能性は非常に小さい。
なぜならば、労働者階級は政治への関心が低く、政治の知識も乏しい。
若者の大半は、革命への呼びかけよりも、職業への階級構造の内部への呼びかけを待っている。
労働者の最も重要な闘争手段はストライキであったが、ストライキが有効なのは、労働者が稀少で、貴重だからである。
労働が機械や海外にアウトソーシングされると、労働者はもはや稀少ではなくなる。

○現代の後期資本主義社会において、労働者はコンピューターを所有し、そして何より資格や知識や技術を持っている。そもそも、そうしたものを持っていなければ、労働者としてすら認められない。しかし彼らは、なお搾取されており、自らの労働の実質をわがものにしているとは言えない。こうした状況を、従来の概念では十分に把握することができない。

○資本家がもっぱら関心を持つのは、流動資本と固定資本の区別である。
流動資本とは、原材料や労働力など、一回の生産過程の中でその価値をすべて生産物に移転してしまうモノに使われる資本であり、資本家としては、一つの商品の中ですべて元が取り返せないと困る。
それに対して、固定資産は、機械や建物など、何回もの生産過程の中で、徐々にその価値を生産物に移転していくモノ、つまり減価償却するモノのことである。
資本家は、商品を得ることで、流動資本に投下した分と減価償却分を取り戻すことができたか、それ以上に稼ぐことができたかを気に掛ける。

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