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樋口直哉 小説『美しい味』─プロローグ2

「お前、板前をやって何年だ?」
 先生は上着を脱ぎながら、私の方を一切見ずにそう言いました。「追い回しを三年、焼き方を五年です」と答えると「ほう」とうなずき、はじめて私をみました。眼鏡の奥の眼がギロリと動き、私は体を硬くしました。
「なら、今までのやり方は全部忘れるんやな」
 それなりに修行をしてきたつもりでした。それを忘れろと言われたわけですからさすがに戸惑いました。
「どういうことですか?」
「料理屋の料理はここではせんでええ、ということや」
 先生は目を細めるようにして笑い、私のところに近づき、肩をバンっと叩きました。これは後からわかったことですが、先生は部屋(調理師会のこと)を使わない主義でした。後にも先にも調理師会から派遣された料理人は私だけ、ということになります。
 先生は料理屋の料理には否定的でした。見た目ばかりに走って本質がない、というんです。それはまったくそのとおりだと私も思います。ただ……私は料理の技術も必要だとは思うんです。先生はまったくそのあたりがわかっていないようでした。

 先生とはじめてお会いした日、私が驚いた出来事がありました。どれ、今日は俺が出汁を引こうか、と先生がコンロの前に立ったんです。
 先生が調理場に立つと、中嶋さんが段取りを整えます。その動きはたいしたもので、緊張感に満ちていました。動きを予測して、先生が手を伸ばせば菜箸が、金がいが、パイ缶が、という具合に準備するんです。
 先生は湯を張った鍋に鰹節を少し入れると、しばらくクツクツと煮て、火を止め、次に昆布を一片入れるとそれをすぐに濾しました。
 私は目を見張りました。これまで見たことがない出汁のとり方だったからです。考えてみると調理場で昆布をみたのはそれがはじめてでした。
 先生は金がいで出汁をすくって、猪口で味見をすると、「まずいなぁ」とつぶやきました。「水が悪いと違うか」
 (そりゃ、まずいだろう)と私は思いました。あとからわかったことですが、鰹節を仰山使うという発想が先生にはまったくないんです。わかりやすくいえばただのケチなんですが、料理については一事が万事この調子でした。
 出汁のとり方だってめちゃくちゃです。昆布は乾燥してますから、水から煮出さなければ味は出ません。でも、先生はそういうことにはこだわらない方でした。
「よし。あとは頼むわ」
 先生はそう言うと、調理場から出ていきました。
 中嶋さんは何事もなかったかのように、さきほどの出汁に昆布を足し、弱火にかけました。それから鰹節を落として、もう一度晒で濾しました。調理場全体に鰹節のいい香りが広がり、それで気持ちは少し落ち着きました。中嶋さんはなにも言わず金がいで出汁をすくうと、私に差し出しました。
「これがここの味や。憶えときや」
 出汁を口に含むと、口の中にこれまで経験したことのない味が広がりました。あのときは感動しましましたね。奥歯の両側から唾液がグーッとあがってくるような甘味があるんです。あの頃の東京では昆布は煮るもので、出汁のための昆布は手に入らなかったんですが『美食倶楽部』では関西から極上のものを送ってもらっていました。
「ありがとうございます。でも、さっきの先生のあれは……なんなんですか?」
 私が尋ねると、中嶋さんは黙って首を横に振りました。
「気にせんでええが、余計なことを言ったらアカンで」
 なんだか騙されたような気分でした。とんでもないところに来てしまった、と。横山大観だと思っていたら別の人やったし、谷崎の話は禁句という。天賦の才を持つと周りが崇め立てていることが、ペテンにかけられているように思えました。

 その日の宴はあたりが暗くなる前にはじまりました。
 使っている器はすべてそのまま飾った方がいいのでは、という大陸から運んできた骨董品でした。値段は教えてもらえませんでしたが、相当いいものを使っていたと思います。ふかのひれやら干し鮑やらを炊いたものを青磁の器に盛り付けて出していました。
 先生は始終、調理場に顔を見せては、客の好みなど細かく指示を出し、時折、雷が飛ぶこともありました。
「今日の赤貝には余計な手がかかっている」
 と言うんです。はっきり言って、理不尽はこともありました。おそらくお客さんからちょっとでも不満が出ると、すべて料理人のせいにしていたんだと思います。
 宴が興にのってくると急遽、先生の指示で鍋物を用意することもありました。豚肉と青菜を煮たものだとか、春なら蛤と千六本に切った大根と黒胡椒などの仕立てが多かったように思います。鍋を中心に客人の視線が手元に集まる鍋料理は先生の好みだったのでしょう。
 食事の最後は水菓子で、いつもめずらしい果物が仕入れていました。バナナをあれだけ扱っていた店は東京でも美食倶楽部くらいだったと思います。
 骨董品の器に果物を盛り付ける時、先生はとくに思案もせずにささっと皿に並べます。果物は触れば弾けるのでは具合に熟れているので、扱いは丁寧です。そして、一つの果物に小さな果物ナイフを刺すんです。それを女中のおばさんが運ぶ、という具合でした。
 宴が終わるとお客様のなかには調理場に「ごちそうさま」と声をかけてくれる方もいました。お酒が入っていることもあり、そういう方はたいてい上機嫌でしたね。
「北大路魯卿は書の人と思ってたけど、料理の天才なんやな」
 そう声をかけられると内心、複雑な気持ちでした。
 一度、会員の書家の方と銀座でばったりお会いして、向こうも私の顔を憶えていたものですからご挨拶したことがありました。
「北大路先生の書っていうのはどういうもんなんですか」
 と聞いてみたことがあるんです。するとその方は少し薄笑いを浮かべて「ま、才はあるでしょう。」と言ってから首をかしげました。「でも、小器用なだけの気もする。あいつのことを口の悪い人は贋物だといいます。書、言うのは難しいものなんですよ。自分が立てばいやらしくなり、意図がなければ勢いがなくなる。料理も同じかもわかりませんが」
 ある人は先生のことを天才と呼び、ある人は小器用なだけ、ある人は贋物と呼ぶ。天才ってなんなんだろう、と私は思いました。
 客が引けると先生と旦那さんはよく近所の〈鴻乃巣〉に西洋料理を食べに出かけたり、すっぽんを食べに行ったりしていました。骨董も売れていましたし、羽振りのいい頃だったと思います。
 営業が終わるとポケットに十円札を突っ込んで、立派なステッキをついて銀座に遊びに行ってしまう。そんなときは小僧さんの武山さんを連れて行くので、小林さんが早くに上がってしまうと、私と中嶋さんで後片付けをする、というときもありました。
 二人しかいない調理場で中嶋さんに聞いてみたことがあるんです。先生は天才って言われてますけど、どう思われますか? と。
 中嶋さんは真剣な表情になって「難しい質問やな」と言いました。「俺にはわからん。でも、すごい人であることは間違いないよ」
 私にはこの人が理不尽なことに怒られながらも、どうしてあんな人についているのか、不思議でした。
「自分にはペテン師にしか見えません。主任くらいの腕があればどこでも働けるじゃないですか。どうしてこんなところで働いているんですか?」
 私がそう言うと中嶋さんは小さく笑いました。
「お前、あの人のすごさがよくわかってないのか」
「そんなのわかりませんよ」
 中嶋さんは薄ら笑いを浮かべるだけでそれ以上は教えてくれませんでした。

 それから数日後のことです。
 宴も終わりにさしかかり、水菓子を出す段になりました。先生はいつものようにさっと果物を大きな皿に並べ、パイナップルに果物ナイフを刺しました。
「よし」
 先生はそう言うと、階段を上がって客席に戻ります。その日は女中が早くに上がってしまったので、ふすまの前まで私が運ぶことになっていました。皿を手に持つとパイナップルの香りが漂っているのがわかりました。当時、パイナップルは相当な貴重品で、美食倶楽部でもたまにしか扱わない果物でした。
 その香りに気が緩んだんでしょうか。階段を上がろうとしたところで、私はつまずいてしまいました。幸いなことに皿は無事でしたが、果物は崩れますよね。慌てて板場に戻り、整えようとしました。
 ところが、です。それがどうやってもうまく決まらんのですよ。さきほどの先生が盛り付けていたような自然な感じがでない。整然と並べると皿に対して果物が小さく感じられて、なんとも収まりが悪い。かといってバラバラに並べると雑然としてしまう。
「あれ、おかしいな」
 中嶋さんだけはたまに先生の代わりに果物を盛り付けることがあったので、助けを求めましたが、彼は首を横に振るだけです。自分のケツは自分で拭けっちゅうことでしょう。頭のなかが真っ白になりました。どうしてこんなに簡単なことができないんだろうか、と。
 しばらくすると先生が機嫌悪そうに板場に戻ってきました。
「なにしとんねん」
 先生はぼそりと呟いてから、私と中嶋さんを交互に見ました。私は顔面蒼白で、中嶋さんは平気の平左衛門です。
「盛りを崩してしまいました」
 私が正直に言うと、先生は鼻で笑いました。
「しょうがないやつやな」
 先生は並べられた果物を手にすると次々と皿に盛っていき、最後にナイフを別の場所にもう一度突き刺しました。それは見事な見栄えなのです。
 先生は皿を手にとると客席に行ってしまいました。
 中嶋さんは調理場から先生がいなくなったことを確かめると、私の肩を軽く叩きました。
「すごいもんやろ」
 私はしばらく先生が果物を盛り付ける様を思い出していました。その視線の鋭さと慈しむように果物を扱う手を。
 先生が亡くなってからかなりの年月が経ちました。人々は先生のことを天才と評します。でも、私には未だにわからないんです。あの人が天才だったのか、それとも贋物だったのか、ということが。

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