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白醤油を極めたら醤油ではなくなったという話〜日東醸造の白たまり〜

 JAS規格で定められている醤油は五種類。
 濃口醤油は最も一般的な醤油で、生産量全体の84%(データはそれぞれ平成23年のもの)を占める。普通、醤油といえば濃口をさすが、土地によって味は微妙に異なり、九州に行くと甘くなったりする。
 次に生産量が多いのは薄口醤油。生産量は全体の12.6%である。薄口(JAS分類上は淡口)は吸地やうどんのつゆなど、色を濃くしたくない時に用いる。昔、関東では薄口醤油が手に入らず、職人は塩や水で調節して似たものをこしらえていたらしい。

 さて、残りの三つの醤油を挙げられるだろうか。

 「たまり醤油」とすぐに出てくるのは料理好きな方だろう。たまり醤油は主に中部地方で生産され、色が濃く、とろみがあるのが特徴。原料は主に大豆で、製法的には味噌に近い。魚のあら炊きや飴煮、佃煮などに使うとこっくりとした味に仕上がる。生産量は全体の1.6%と少ないが、小麦を使わないグルテンフリーとして、海外からも注目されている醤油だ。

 次の「さいしこみ醤油」を知っている方は醤油好きに違いない。味としてはたまり醤油と濃口醤油の中間で、つけ醤油やステーキにかけたりするとおいしい。見た目はたまり醤油に少し似ているが、製法的にはまったくの別物。塩水で仕込む濃口醤油に対して、さいしこみ醤油は醤油で仕込む。つまり、醤油で醤油をつくるわけで通常の倍の時間とコストがかかった贅沢な醤油だ。醤油全体の生産量に対して、1%しかつくられていない。

 そして、最後の一つが「白醤油」である。最も馴染みのない醤油と言えるのではないか。生産量は全体のわずかに0.7%。色は薄口よりもさらに淡く、上品な甘味が特徴。色が淡い琥珀色なのは原材料が小麦主体だからだ。

 白醤油のことを知るために愛知県碧南市にある日東醸造を訪ねた。

 碧南市は白醤油発祥の地で、現在市内には三軒の醸造元がある。白醤油を製造している蔵元はとても少なく、愛知県内全体でもわずか五軒。

 日東醸造の蜷川洋一社長からお話を伺った。

「愛知は醸造文化が盛んなところです。尾張と三河では別の国なんですが、食文化的には似ていて、その代表が醸造文化です。例えば東京で生まれ育った方は米味噌だと思いますが、お味噌といえば豆味噌が当たり前。豆味噌の樽で仕込んだ醤油を〈たまり〉と言ってて、本来は大豆100%。米や小麦をまったく使わないお醤油なんですね。それでうちは白醤油屋なんですが、これは〈たまり〉とは正反対の醤油なんです」

 蜷川さんが黒板に図を書きながら説明してくれる。その語り口は明るく、洒脱だ。ほとんど大豆でつくられる「たまり醤油」と小麦を発酵させた「白醤油」。こんな真逆のものが同じ中部地方に広まり、料理によって使い分けられてきた、という事実がこの地域の醸造文化の豊かさを証明している。

 右がたまりで左が白醤油である。たまりは旨味が濃い。愛知の人などはマグロの刺身などを食べる時にはたまりがいい、と言う。試してみると「なるほど」と思う。濃厚なたまりと強い味のマグロが出会うと強い物同士があわさっておいしさを生む。

 一方の白醤油を味見すると、まず感じるのは旨味ではなく、甘味である。大豆のたんぱく質を発酵させると旨味が増えるが、小麦のデンプンが糖化すると糖ができるからだろう。

「どちらも普通の醤油のイメージとはかけ離れてますよね。たまりは旨味の要素はすごく多い、白醤油は塩味と甘味が主な要素。まったく性格が違う」

──白醤油の塩分濃度はどれくらいなんですか?

「これで18%くらいです。ちょっと高い。お醤油によって塩分はかなり違ってますよね。濃口で15%くらい、薄口で18%、たまりって塩分がわりと低くて12〜13%、さいしこみは濃口と同じくらいで、結局色の薄い醤油は塩分濃度が高いということ。これはわざと塩分濃度を高くして仕込むのです。そうすると発酵のスピードが遅くなるので色が薄くなる」

「次に材料ですが、濃口は大豆が50%、小麦が50%。この割合は薄口も同じです。たまりは先ほども説明した通り、大豆がほぼ100%。独特の香りを抑えるために今では小麦を混ぜているところも増えていますが、大豆が中心です。白醤油は一般的に小麦が90%で、大豆が10%とほとんど小麦です。大豆を増やすと色が濃くなる。発酵時間も濃口醤油は一年、薄口は半年くらいですが、白醤油は三ヶ月くらいと短い。それも色をつけないためです」

 白醤油は特殊な醤油で、とにかく色をつけないようにつくられた醤油とわかる。味としては旨味成分を示す窒素濃度が極端に低いのも特徴だ。日東醸造の場合は小麦95%、大豆5%で仕込むのだが、旨味のもとになる大豆が少ないために窒素分は当然、減る。白醤油の窒素濃度は一般的に0.4%〜0.6%と低く、濃口の3分の1ほど。

「旨味が少ないことをデメリットではなく、メリットして生かせる使い方をしなければいけない。つまり、醤油味がゴンとこないほうがいい、という使い方ですね。例えば鰹節とあわせた時、出汁を引き立てるなら白醤油のほうが絶対いい。あとは隠し味的な使い方。最近、フレンチとかイタリアンのシェフに使ってもらうケースが結構あります」

──白醤油は地元でよく使うものなんですか?

「家庭ではあまり出ません。主に業務用ですね。おせち料理のように白く仕上げたい料理に使われるので、お料理屋さんも忙しい年末にかけてよく出ます。そもそもがプロの料理人さんは見た目を大事にします。だから、色をつけてしまうたまりは使えなかった。そういう場面に使える醤油が欲しいという要望があって、小麦で仕込んだ金山寺味噌からヒントを得て、白い醤油を発明した人がいた。それが今からおよそ200年前のことです」

 麹と塩水を混ぜ合わせたら二ヶ月間、静かに発酵、熟成させる。そのあいだ攪拌しない。以前、取材した濃口醤油とは異なる製造工程に驚いた。

「混ぜると色が濃くなるので混ぜたくないんです。空気を送り込まないので激しい発酵にはならないのがいい。タンクに塩水と麹を入れて、静かに熟成、発酵させて二ヶ月経ったら醤油を一度抜いて、それをストックタンクに移します。それで残った麹で二回目の仕込みをします。仕込み水の最初の半分。これでまた二、三ヶ月寝かせるんです。やっぱり混ぜない。これは搾っちゃいます」

──一番だし、二番だしみたいな感じですね。

「そうです、そうです。最終的にその二種類の醤油をブレンドして、製品として出荷します。というのも二、三ヶ月では麹が完全に分解されないんです。でも、長く発酵させると色がついてしまう。そこで二回に分けて仕込むことで無駄なく使い切ることができる」

「業界としては醤油の消費量はずっと落ちています。代わりに増えているのはめんつゆなどの加工品ですね。うちでも色々とつくっていますが、やはり家庭用としては使いやすい白だしが一番売れている。醤油自体の製法は昔と変わっていませんが、いつのまにか原材料としては輸入大豆が増えてきた。それでいいんだろうか、原点に回帰する、足下を見直すという意味で先代が開発したのが『白たまり』です」

『白たまり』は日東醸造を代表する製品である。この商品の開発は先代の「今の白醤油は昔食べた味と違う」という疑問からはじまった。まず、昔ながらの白醤油をつくるために、国産原料を厳選した。地元産の大豆を使い、塩は伊豆大島の自然塩、海の精を選んだ。

 なにより注意を払ったのは水だ。求める水を探して矢作川上流の足助という山間地に蔵を構え、木桶を揃えた。スタンダードな白醤油は小麦95%、大豆5%の割合だが、こちらは小麦100%で仕込み、圧搾もしない。自然にしたたる生引きを濾過、瓶詰めしているだけだ。

「こっちの方が甘いでしょう。でも、小麦100%と大豆を使っていないので窒素分としてはもっと不利なんですよ。その代わり、というか小麦を倍量使っているんです。というか仕込む塩水の量を半分にしている。材料を増やすと色が濃くなってしまう。色々と試行錯誤した結果、大豆を使わなければやっぱり色が淡く仕上がる。そんな風にして「白たまり」が完成したのが2005年ことです。このあいだイカのお刺身をこれで食べたんですが、とても甘く感じておいしかった。あとウニもめっちゃあいます」

 ただ、この「白たまり」。分類上は醤油ではない。小麦醸造調味料という不思議な名前なのは、醤油の定義の一つに大豆を使っていることという項目があるからだ。白醤油を極めたら醤油ではなくなった、というと不思議に思うが、国の基準ではそういうことだ。

──これって大豆をどれくらい使えば醤油と名乗れるんですか?

「極端な話、一粒でもいいんです。でも、うちは入れていません。実は入れようかなとも思ったんですけどね。お客様の方からそんなことしなくていい、と。醤油と名乗れなくてもどんな商品かわかっているから、という声があって」

 白醤油は火入れをしていないので、賞味期限も短く、時間が経つと色も濃くなっていく。開封後は冷蔵庫に入れて、早めに使い切ることが重要だ。茶碗蒸しや卵焼きのような色をつけない料理に使うのが普通だが、使い方は幅広い。色は淡いが奥が深い調味料だ。

 うちのお客さんは変わっている方が多いんです、と蜷川さんは冗談っぽく言う。そこには作り手と客のたしかな信頼があるのだろう。多くの人から愛されていれば、名前はたいした問題ではない。琥珀色の白醤油を出汁に落とすと、すっと消えていく。その瞬間がきれいだ。そういえば美味しいという言葉は美しい味と書くな、と思った。

 白たまりを使ったレシピについてはまたの機会に!

 白たまりもいいですが、無添加の白だしもオススメです。あ、あとamazonでも売ってました。


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