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発酵ラボ〜第2回 安全性について〜

発酵の話でも避けて通れないのは料理と同じ「安全性」の話です。発酵微生物について学ぶのと同じくらい病原性バクテリアやカビについてもあらかじめ知っておく必要があります。知識さえあれば発酵は(他の料理と同じく)恐れるものではありません。なにせ人類は今のような近代的な知見が蓄積される前から発酵食を食べてきたわけですから。

安全性について考えると発酵以前の話として、食品のリスクを知る必要があります。WHOやUSDAは病原性微生物に汚染されている恐れのある食品は70℃以上に、日本の厚生労働省は75℃以上(二枚貝など一部の食品は85℃以上)に加熱することを推奨しています。これは厳格な安全基準であり、発酵食品を対象としたものではないことは明らかですが、やはりこれらのことは念頭においておきましょう。

余分なリスクをとらないために必要なのはまず「清潔さ」です。使う道具はきれいに洗い、目に見える汚れは除去しておきます。実験室レベルの話ではこの後「滅菌」というプロセスを踏みますが、台所では必要なく、殺菌で十分です。

殺菌とは使う器具に付着している微生物の大部分を除去するという考え方です。具体的には使う器具を熱湯に通したり、蒸すことで菌を殺します。陶器やガラス、金属製の器具は160℃のオーブンで2時間加熱するのもおすすめです。(これを乾熱滅菌といいます)こうした手段にプラスして、アルコールで殺菌するのがベターな手順です。

有害な微生物を知る

発酵に有益な微生物だけではなく、有害な微生物についても知っておく必要があります。まず、名前が出てくるのはボツリヌス菌(Clostridium botulinum)です。

ボツリヌス菌

ボツリヌス菌は最強の食中毒菌。嫌気性=空気がない状態で生育します。つまり、真空包装や液体に漬け込むような保存食にはリスクがある、ということです。しかも、このボツリヌス菌、熱に強く、加熱しても芽胞(「種」みたいなものと理解してください)を形成する性質があります。

このボツリヌス菌、土壌や水中にごくふつうに生息しているので、植物の根や球根、芋などを発酵させる場合は特に注意が必要です。特に海岸や湖、沼、川などの泥や砂に菌がいるので、そこで生きる魚介類が原因で事故が起きることがあります。

ボツリヌス菌は強い毒性を持ち、ボツリヌス毒素が産生された食品を接種後、8〜36時間で吐き気や嘔吐、視力障害、言語障害などの神経障害が現れ、重症例では呼吸ができなくなり、死に至ります。最悪なことにボツリヌス毒素には味や匂いがないため、ぱっと判断できないのです。

……と聞くと怖い気がしますが、このボツリヌス食中毒。今となっては非常に稀な食中毒です。昔は東北から北海道にかけて毎年のように発生した時期がありますし、有名な例では辛子蓮根が原因の食中毒事例もありました。

「なぜ減ったのか」というと作る人がきちんと対策するようになったからです。具体的には「原材料の洗浄を丁寧にする」「温度管理(及びpH管理)に注意する」ということです。また、特定の地域の保健所では川魚(ハヤ、イワナ、アユ)などリスクの高い魚介類でいずしを作らないように呼びかけています。

「そもそもリスクのある食べ物はつくらない」
「洗浄や温度管理など当たり前のことをきちんとやる」

という当たり前のことでリスクは回避できるのです。ボツリヌス菌は嫌気性、つまり酸素のない状況で、内容物のpHが中性程度の場合に菌が入り込むと増えていきます。ボツリヌス菌の芽胞は健常な成人であれば飲み込んでも何も起こらず、そのまま排泄されるだけですが、ボツリヌス菌が増殖し、毒素がつくられ、その毒素を摂取すると問題が起きます。

このボツリヌス菌、水分活性については0.97未満の液体(例えば5%以上の塩分濃度)あるいはpHが4.6以下の酸性環境では増殖が阻害されます。発酵食品には5%よりも低い塩分で野菜を漬け込む場合がありますが、その場合ははじめに乳酸菌が増える→pHが低下する→それによってボツリヌス菌の生育を阻害する、というメカニズムが働く前提です。

一般的に最初の2日間でpHを5未満にし、完成時に4.6を下回っていれば安全と言われていますが、そもそもの段階で菌を入れない、というのがなにより重要です。食中毒の予防の三原則「つけない、増やさない、やっつける」を思い出してください。まずはつけない=いい材料を使い、洗浄を十分にする→適正な環境(5℃以下)に置いて菌を増やさないことです。

さきほど説明した「いずし」。魚の入らない『いずし』(野菜寿司)では食中毒は一例も発生していないことから、魚が原因であることが推測できます。なので、そもそも魚を使わないというのも選択肢です。

魚はボツリヌス菌芽胞に汚染されていることは避けられません。しかし、適切な手順を踏んでいれば芽胞が発芽し、生育・増殖することはなく、通常は排泄されます。この〈適切な手順〉が踏めないのであれば作らない、食べないのが賢明ということです。

いずしの例では昔は魚を水に晒す『水晒し』という工程がありましたが、危険性がわかった現在ではそれを省略し、ただちに塩漬け、あるいは酢に浸けるように製造方法が改良されました。その結果としていずしでの食中毒はほとんどなくなりましたが(水晒しをしなければ安全、というわけではなく、滋賀県では水晒しをしていない淡水魚のいずしで食中毒が発生しています。ただ、ボツリヌス菌が増殖する前に乳酸発酵がおき、pHが低下していれば安全性は確保できます)これなどは〈適切な手順〉がわかってきた好例でしょう。

最後に「やっつける」場合ですが、ボツリヌス菌(及び芽胞)は120℃4分間(あるいは100℃6時間)以上の加熱で安全が確保できます。しかし、ボツリヌス菌は熱に強いので、やはりはじめの「つけない」「増やさない」を徹底することが重要でしょう。ただ、直接的な原因となるボツリヌス毒素は『80℃で30分間(100℃なら数分以上)の加熱で失活する』とのことなので、食べる直前に十分に加熱するのも効果的とされています。(東京都福祉保健局より抜粋)

大腸菌 Escherichia coli

種類が多い大腸菌。人や動物の腸管に存在し、多くは病原性がないのですが、悪さをする一部の菌もいます。これを総称して下痢原性大腸菌(病原性大腸菌)と呼んだりします。O-157が有名ですね。これらは「汚染された肉製品」によって広がるケースが多いです。

大腸菌の場合は使用した器具や作業台による相互汚染が問題となります。肉類を扱ったまな板と包丁で野菜類を刻み、生のまま提供するなどもってのほか。とはいえ、これは料理の基本なので、なにをいまさら、という話ではありますが……。野菜には土壌に由来する大腸菌が付着している場合もありますが、冷水で適切に洗えばその数を大幅に減らすことができます。

サルモネラ菌Salmonella

サルモネラも人間や動物の腸管に生息する腸内細菌の一種。原因となるのは鶏卵や肉類、内臓肉、淡水の養殖魚類などが原因となることが多く、発酵の場合は洗っていない野菜や果物が特に問題となります。大腸菌の場合と同様に相互汚染が問題になるので、やはり料理の基本を踏まえておけば十分に対処できます。

カビ毒

白カビチーズや青カビチーズ、麹(コウジカビ)のように人間にとって有益なカビもありますが、害を及ぼすカビ毒として確認されているものだけで300種類以上あります。カビ毒は通常の調理や加工温度では分解できないので、カビが生えた食品は使わない、食べない、というのが安全です。カビ対策の一歩は洗浄と殺菌です。発酵テクニックのなかでは塩分によって成長を抑えたり、頻繁にかき混ぜて空気との接触を遮断する方法もよく使われます。

わかっていることは安全性の問題に関しては〈当たり前のことを当たり前にこなす〉だけで十分回避できる、ということです。食品衛生責任者の講習を思い出してもいいですし、大量調理衛生マニュアルを読んでおくのもいいでしょう。

伝統的な発酵食品を知ることも発酵を料理に応用するうえで参考になります。例えば昨年、京都のすぐき漬けの製造現場を見学したのですが、興味深いものでした。

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すぐき漬けは京都、上賀茂の漬物で、すぐき菜というカブを塩漬けし、乳酸発酵させます。それを室に入れて温める(温醸と言います)ことでさらに発酵を促し、熟成香をつけたもの。人工的に発酵管理を行う漬物は、世界でも類をみない(小崎道雄「漬け物の分類と種類」食の科学 1976)そう。

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漬物には塩が使われます。塩が食品の保存に使われるのは、塩によって細胞の水分が脱水され、雑菌の増殖に必要な水分が減り、増殖が抑えられるからです。一方、塩が存在する環境でも生きられる好塩菌とよばれる微生物もいます。代表的なのが酵母菌やすぐき漬けに使われる乳酸菌です。(通常の漬け物は乳酸菌と酵母菌の両方が働きますが、すぐき漬けの場合は乳酸菌のみが働くという点に特徴があります)

はじめの段階で6%の塩を加えたすぐきを樽に並べ、天秤重石によって強い圧力をかけ、野菜の水分を引き出し、空気を押し出すことで、嫌気条件を作り出します。そうすることで、乳酸菌のみが活動する環境をつくるわけです。乳酸菌が増えると乳酸が生成され、pHが下がるので、有害な菌が生育できなくなり、保存性が高まる、というわけです。

乳酸菌は乳酸だけではなく、糖質から酢酸やプロピオン酸、アミノ酸から酢酸、プロピオン酪酸、吉草酸など漬け物の風味となる有機酸を生成し、複雑な風味をつけてくれます。

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その後、38℃〜40℃の室にいれることで、乳酸菌の活動をさらに促します。これによって乳酸を1%程度まで持っていきます。(ちなみに乳酸量が1.2%を越えるとすべての乳酸菌の活動は抑えられます 宮尾茂雄. 日本乳酸菌学会誌, 13, 2–22(2002))こうしてできたすぐき漬けには塩、糖、酸といった単純な材料からできたとは思えない複雑な風味があります。

一方、現在、一般的な漬け物はフレッシュな野菜の風味が残った「浅漬」です。浅漬けは塩で味付けしたサラダに近く、発酵は伴っていません。塩分濃度は1〜3%で原材料の洗浄が十分でないと、簡単に好ましくない微生物が増殖します。2012年には白菜漬けを原因としたO157の食中毒事件が発生していますが、新漬けには新漬けのリスクがあるわけです。つまり、発酵が危険というわけではなく、すべての食品には等しくリスクがあり、正しい知識でそれを回避することが重要ということでしょう。

ちなみに浅漬製造において乳酸菌は酸味の原因や調味液が濁る、などマイナスの要素になります。いい、悪い、というのもあくまで用途によるもので、一面的ではありません。漬け物を消費量で考えると一番人気は「キムチ」ですが、日本製のキムチの多くは発酵を伴わない熟成型のものがほとんど。韓国から輸入されたキムチは賞味期限内であっても乳酸発酵が進み、酸っぱくなってしまいますが、日本製は味が変化しません。

古漬けタイプの製品でも漬け込む液のpHを低めにしたり、酒精を添加するなどして、製品中で微生物が増えないように工夫されたものがほとんど。しかし、発酵によって得られる味には調味タイプの漬け物では得られない酸味とうま味があるので、次回からは実際に乳酸発酵のテクニックを紹介していきます。

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!