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樋口直哉 小説『美しい味』─第2章-2

 考えた房次郎は古本屋巡りをした。絵を描くための筆や絵の具はとりあえず後回しにして、法帖を買い漁ることにしたのだ。法帖とは先人の書の筆跡を刷った本である。
 書なら金になる、と手本を横に置き、房次郎はそれを真似た。手本を見て描く臨書は書を学ぶ基本である。一年が経ち、二年が過ぎると房次郎の書の腕前はかなりのものになった。
 ある日、知らない男性が仕事場を訪ねてきた。
「福田房次郎ってのはあんたかい?」
 房次郎は身構えた。大人はいつも自分から金を絞り上げるだけだからだ。
「実はちょっとお願いがあってね。看板に字を書いてもらえねぇか」
 男性は同じ町内に店を構える看板屋だった。
「看板に字は書いたことない」
「ペンキと墨の違いがあるだけで字には違いない。あんたならできるさ」
「ペンキ?」
 その頃、ペンキが輸入されたばかりでまだ知る人も少なかった。西洋看板描きは新しい職業で、宣伝になると商店の人々はこぞってそれを注文した。
「一度、うちに来るといい」
 看板屋は歩いて十分ほどの場所にあった。扉を開けてすぐが作業場で、トタン板が積み上げられていた。看板屋は奥から缶を抱えてくると、蓋をこじ開けた。刺激臭が鼻をついた。これがペンキか、と房次郎は思った。実際に字を書いてみると、筆よりはもちろん滑りが悪く、墨よりもずっと重いが書けないことはなかった。
「一日一円五十銭出す」
 と看板屋は言った。房次郎は息を呑んだ。断る理由は一つもない。子供が稼げる金額ではないからだ。彼はまだ十六だったが、大柄だったのに年よりも上に見られたのかもしれない。
「でも、オヤジの仕事もあるからなぁ」
 房次郎はそう言いながら落ち着こうと、咳払いをひとつした。
「わかった、わかった。仕事は午後からで、夕飯もうちで食べていったらええ。それなら文句ないやろ」
「でもなぁ……」
 房次郎が腕を組んで、首をかしげると看板屋は観念したように言った。
「わかった。食いたいだけ牛肉を食べてええ」
 牛肉、と房次郎は思った。今まで生きてきたなかで一度も食べたことがなかったからだ。
「わかった。よろしくおねがいします」
 房次郎は喜んで仕事を引き受けた。そういえば竹内先生も自分の料理屋の看板を書いていた。自分が目指すべき道とそうそう外れた仕事でもあるまい。

 某商店と看板に書いてほしいという依頼がくれば、房次郎は手本にしていた法帖からいい具合の文字を探し出し、それを写した。義父の木版仕事を手伝っていたので看板自体は書き慣れている。房次郎が書いた看板の評判が良かったので、看板屋も喜んだ。
 房次郎は急に羽振りが良くなった。彼がまずしたことは義父母に旨いものを食べさせることだった。十歳のときに食べたイノシシの肉をしこたま買い込み味噌で炊いたり、ドジョウではなくウナギを買ってきて焼いたりした。そのうち近所で房次郎のことを『先生』と呼ぶ人が現れ、武造は上機嫌で「うちの息子は竜だ」と長屋の連中に自慢して回った。
 仕事は順調だったが、房次郎は不安だった。法帖から字を拾っているだけで文章が読めないからだ。入ってきた金で辞書を買ってはみたものの、それだけでは返り点もなにもない文章を読めるようにはならない。
 とはいえ、商売自体は順調だった。面白いように手元にお金が残った。
 年越しも差し迫った十二月になると、生活に変化があった。内弟子の栄次郎が仕事を辞めたのだ。彼は以前から篆刻家になりたい、と言っていたが、ついに勉強のために台湾に渡った。部屋が広くなった、と両親は喜んでいたが、房次郎にはそれが羨ましかった。その頃、台湾が日本の領土になり、新天地を求めてたくさんの人が海を渡った。自分はこのままでいいのだろうか、と思った。
 そんなある日、新聞の片隅に竹内棲鳳の名前を見つけた。記事は棲鳳がパリ万博に出品した『雪中燥雀』という絵が高い評価を受けた、ということを誇らしげに伝えていた。
 やはり、すごい先生や、と房次郎は思った。俺もいつか、こんな風に評価されたい。こんな看板書きをしていていいのだろうか。しかし、生活の安定は捨てがたかった。

 それから四年が過ぎ、房次郎は二十歳になった。兵役検査を受けたが、ひどい近視のため兵役免除となった。狭い仕事場で木を彫ったり、字を書いたりしていたからだろう、と彼は思った。いまさら画学校に通うこともできない。自分が名を残せるとしたら書家になることだろう。
 傳三郎に相談すると彼は川に釣り糸をたらしながら「そりゃ、お前。誰かの弟子にならな駄目やな」と言った。
 やはりそうか、と房次郎は思った。きちんと師について習わなければ文章の意味もわからない。どうせならいい先生につくべきだろう。
「今、書家で一番は誰やろ」
「そりゃ日下部鳴鶴やないか。東京で多くの弟子を抱えてるっちゅう話や」
 明治の三筆の一人に数えられる日下部鳴鶴は当時、多くの弟子を抱えて、名を馳せていた。
「やっぱりそうか」
 京都にいても生活は変わらないし、弟子入りするために東京に行くしかないだろうか。
 家に見知らぬ男性が訪ねてきたのは房次郎がそう悩んでいるときだった。
「自分は二条通西洞院で縫箔屋を営んでいる中大路というものです」
 縫箔屋とは染織に刺繍と摺箔を用いて模様加工を行う職人で、主に刺繍を請負って商売にしていた。仕事場で向かい合って座ると、はじめて会ったとは思えない不思議な印象があった。
「わたしの母は北大路清操の姉です。つまり、房次郎さんにとって私は従兄にあたります。今までお会いしたことはありませんでしたが、母の願いでこうしてご挨拶に参りました。母は六十九歳、余命いくばくもありません。死ぬ前に房次郎さんに会って、お話したいとのことです」
「ちょっと待ってください」
 房次郎は会話を止めた。話がよく飲み込めなかった。戸惑っていると中大路は房次郎を中心にした家系図を書いて説明した。

 中大路が話すところによると自分は上賀茂神社の社家、北大路清操の次男であり、父が死に、母が失踪した後、服部巡査の家に預けられたという。父、清操には二人の姉がいたが、上はすでに亡くなり、自分の母親である次姉の屋寸が存命で、房次郎に話したいことがある、とのことだった。
「なんとか母のところに足を運んでもらえないでしょうか」
 房次郎の頭に浮かんでいたのは子供の頃、やすと歩いた上賀茂神社の景色だった。自分はあそこの家の出だったのか。それがわかるといろいろなことに合点がいった。
「わかりました」
 二日後、房次郎は屋寸の家を訪れた。間口の狭い小さな家のなかは薄暗く、その小上がりに敷いた布団に老婆が寝ていた。老婆は房次郎の存在に気づくと「ああ」と力なく呟いた。この人が自分の伯母にあたる屋寸という人か、と房次郎は思った。老婆の体からはすえたような匂いがした。
 中大路が手を添え、屋寸は体を起こした。
「こんな成りでごめんなさい」
 ゆったりとした口調で屋寸はいった。声の端がかすれ、聞き取りづらかったが、すぐに慣れた。
「あんたが京都に住んでいることは知っていたわ。うん、どことなく清操の面影があるわ。自分が死んだらあんたに本当のことを伝えられる人がいなくなってしまうから。あんたの母親の話は聞いたか?」
 房次郎は首を横に振った。
「あんたの母親、登米は東京にいるんよ。そして、あんたには清晃っちゅう名前の兄がいるんや。自分の娘が東京の京橋で松清堂という店を営んでいる丹羽という方に嫁いだんやけど、清晃はその家に出入りしているから、そこに行けば母親の所在もわかるはず」
 物心ついてから一度も会ったことのない母親。
「あとはあんた次第や。今更、なんの力にもなれなかった人間が、こんなことを名乗り出るなんておかしいと思うやろ。わたしらもわたしらの生活だけで精一杯やったんや。あんたを預かる余裕はなかった。ほんに堪忍してや」
 屋寸はそう言うと、深々と頭を下げた。
「自分の父親はどうして死んだか、知ってたら教えてくれへんか」
「自死や。それだけしか知らん。病気が原因かもしれんし、生活費の工面に疲れたのかもしれん」
 病気と聞いて頭に浮かんだのは木に首をくくって死んだ茂精の姿だった。
「わたし達が憎いか?」
 屋寸の言葉に房次郎はまた首を横に振った。憎いも憎くないも話がまだよく掴めていない。ずっと福田として生きてきたのに、今更もともとはそうではなかったと言われても戸惑うだけだ。
 長居する理由もないので、房次郎は早々に屋寸の家から退散した。帰り道、房次郎の心はなぜか晴れやかだった。東京か、と彼は思った。俺は京都にこだわっているつもりもない。とりあえず、有名な書家の先生のところに弟子入りできるか、行ってみるのも悪くないだろう。

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