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〈フランス料理という考え方〉について

cakesの更新は「ポトフ」です。

「ポトフにはフランス料理の基本が詰まっている」と書きましたが、そもそものフランス料理とはなにか、という話をします。

フランス料理という構造

1985年に公開された伊丹十三の映画「タンポポ」。前作「お葬式」に続く二作目として撮られたこの映画は食べ物をテーマに扱い、西部劇風の見立てのなかで展開するメインストーリーと無関係なサブストーリーが展開されますが、サブストーリーのエピソードにフランス料理を扱ったものがあります。

フランス料理店を訪れた会社の役員をはじめとした偉い人たちが注文に戸惑い(フランス語が読めず)結局一人が「シタビラメのムニエルとコンソメ」を頼むと、周りはそれに追随。そうしたなかで一番、若いカバン持ちの社員がスラスラと注文をし、サービスの人間がほくそ笑むというシーンです。さすがに今は気軽なビストロなども増えたので、こうしたイメージを持っている方もいないとは思いますが、1985年当時のフランス料理が持っていたイメージというのこうした「仰々しく、ややっこしい」(故にわかりづらい)というものだったのかもしれません。

ただ、フランス料理の骨格はそれほど複雑ではありません。むしろ、中国料理やイタリア料理、エスニックなど様々なジャンルの料理のなかで、最も体系化され、明快な構造を持っているのがフランス料理といえるでしょう。では、フランス料理の構造とはなにか。具体的には「素材全部を食べる」という考え方です。例えば鶏肉が一羽あったとして、それを焼くとします。

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鶏肉を食べると骨は余るので、その骨でソースを作って一緒に食べる。これがフランス料理の全部を食べるという思想です。肉の塊があればまずそれを焼きます。肉汁を内側に留めておきたい、と考えるからです。外側を焼いても肉汁を内側に留めておくことはできないので、この考えは後に改められますが「一滴の血や肉も無駄にしたくない」というフランス料理の思想が端的に現れています。

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肉を焼くとフライパンの表面には肉汁がこびりついています。

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そこで液体(水やワインなどのアルコール、あるいはブイヨン)を注いでこびりついた焦げ(sucと言います)を溶かしてこそぎ取ります。これはデグラッセといってフランス料理でもっと大切なポイントの一つです。あるいは骨にも旨味が残っているので、それを水で溶かして食べきります。その液体が「ソース」で、これがフランス料理が「ソースの料理」と言われる由縁です。

フランス料理の考え方はとてもシンプルなので、世界中どこの国でも作ることができます。だからこそ現在、世界中の国で公式な晩餐会が開かれればそこで提供される料理はフランス料理であり、国際的なプロトコール=プロトコルとして残っているのです。(プロトコールとはいわゆる取り決めのことで、インターネットの世界では通信プロトコルという言葉のほうが馴染みがあるかも)

逆に日本料理はこうしたかっちりした考え方(=構造)を持たないので、外国に行くとやれ「昆布がない」「鰹節がない」「水があわない」と色々と困難な点が出てきます。日本料理を成立させているのは構造よりも食材に依る部分が大きいからです。(もちろん、日本料理の中でも構造を持つ料理はあって、例えば「鮨」=酢飯+具材や「焼鳥」=串+鶏肉、「天ぷら」=衣+具材のような食べ物は、世界中に広まっています)

旨さのエッセンスを求めてきたフランス料理

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プラスマイナスゼロのフランス料理の代表がこのポトフです。このような肉と野菜の煮込みはヨーロッパの各地で見られますが、例えばポトフに欠かせない牛の骨(cakesのレシピでは入れてないのですが)は煮込むことで骨髄の部分を食べることができます。

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ポトフとは「火の上の壺」という意味。肉(と野菜)と水を火にかけると次第に液体に肉(や野菜)の旨味が溶け出してきます。この旨味が溶け出した液体こそがブイヨンです。辻静雄のフランス料理研究によるとブイヨンという言葉は12世紀末に現れ、ポトフという言葉がつかわれだすのは1673年頃(それ以前にはスペインのolla podridaの訳語としてpot-pourriという言葉が1564年に現れているとのこと)らしいのですが、このような食べ方は偶然の産物としてのそれ以前から食べられていたのでしょう。

ブイヨンには肉や野菜が目に見えない味という形で溶け込んでいます。あの有名なブリア・サヴァランも「味覚の生理学」のなかでこの溶け込んだ味に注目し、彼は肉の旨味エキスをオスマゾームとよんで言及しています。

オスマゾーム 科学者ルイジャックテナールがギリシャ語で香りを意味するosmeという語とスープ=ブイヨンを意味するzomosからつくりだした造語で、エルヴェ・ティスによると1806年発刊の「パリ大学医学部会報」が初出とのこと

現代の調理科学においてオスマゾームなる物質は存在しないことはわかっていますが、それでも肉から抽出される成分に注目したことは科学的思考の発端といえるでしょう。そして、ある時点でブイヨンという概念だけが切り離される──つまり煮た時の汁から、汁をとるためになにかを煮るようになる──ことによって、フランス料理の土台たるソースの文化はさらに発展するわけです。

よく「和食は引き算」「フランス料理は足し算」という言い方がありますが、和食は発酵系の調味料(例えば醤油や酒)で旨味を足していったり、出汁を足していくのが普通なので、その言い方は正確ではないと思います。どの国の料理も原始的な段階では「プラスマイナスゼロ」が普通で、時代が下り、料理が進化していくと「足し算料理」になるのが普通です。日本では発酵させることでタンパク質を分解し、旨味を出していたのに対して、鍋のなかで加熱することで旨味を抽出していったという違いはあれども、日本料理でもフランス料理でも料理の根本的な部分は同じで、そこに文化的な差異を見出し、自国の優越性を主張しはじめる(あるいは自国を卑下する)と、途端におかしなことになります。

今回のポトフのレシピでは昆布をちょっと入れてます。多分、フランス人なら入れないでしょう。でも、入れることで野菜と肉の量を減らしても味に充分な厚みを与えることができます。昆布を入れてもフランス料理の原則である素材全部を食べる、という方法論を抑えておけば、ポトフという定義からは外れないはず。以上、長くなったのでここらへんで止めますが、ちょっとした補足でした。

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!