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発酵ラボ〜第8回 イカのガルム

発酵ラボの第8回。テーマは「ガルム」です。

ガルムは魚醤のことで、歴史はローマ時代に遡ります。ところが歴史が下ると次第に使われなくなります。もちろん、アンチョビという形で残っていますが、液体状の調味料としてレシピには使われなくなりつつありました。味や風味が強いので使いづらかったのかもしれません。

最近、注目されているのがこのガルム。イタリアでは家庭レベルで手作りしていたらしく、商品として復活させる動きが出ています。

コラトゥーラ(濾過物という意味)などもその一つ。イタリア料理のみならず、使う人が増えています。かなり洗練されていますが、本質的には同じもの。そもそも日本には多様な魚醤文化があるので、それほど目新しいものではありません。

厳密には「ガルム」で起きているのは発酵ではありません。魚の内臓に含まれている消化酵素を使って、自己分解させるので、微生物の働きは介在しないからです。そういう意味では塩辛と同じで、鍵を握るのは酵素です。

すべての生き物の肉はタンパク質を分解する酵素が含まれています。生きているあいだは自分自身を消化することはありません。分解酵素が少なく、また細胞のなかに閉じ込められているからです。(この細胞をリソソームと呼ぶことは高校生物で習ったので、単語だけ憶えている人もいるでしょう)

しかし、生き物が死ぬと酵素はタンパク質をゆっくりと分解していきます。これは肉がやわらかく美味しくなる=熟成のメカニズムです。塩辛やガルム作りではさらにタンパク質を効率よく分解させるために、消化管に含まれる酵素も利用します。これによってタンパク質はアミノ酸に、脂肪は脂肪酸に分解されていきます。塩はそれを促進しつつ、有害な微生物から食べ物を守る働きをします。

今日、ご紹介するのはイカのガルム。nomaが開発したレシピが元になっていますが、麦麹ではなく米麹を使い、

イカのガルムは入門編。鮮魚を使ったガルムはヒスタミン中毒のリスクがありますが、イカはヒスタミン生成菌や活性が低いので、比較的安全性なのです。だから、昔から家庭でもイカの塩辛はつくられていたわけですね。アニサキスのリスクはありますが、それもその後の工程で解消できます。

いかはくちばしと軟骨をとりのぞき、フードプロセッサーにかけます。今回は300gを使用しました。

そこに加えるのが乾燥麹100gです。麹にはタンパク質を分解する酵素が含まれているので、分解を助けるとともに風味を良くします。

水260mlと塩67.2g(イカ+水の重量の12%)を加えて、瓶に移します。落としラップをして、瓶の隙間が少し開くように蓋をして、発酵器などに入れて60℃で保温します。常温で作りたい場合は塩の量を18%まで増やし、カビができないように頻繁にかき混ぜる必要があります。

今回は60℃の湯を張った、インスタントポットを使っていますが(タイマーは72時間までなので、時々チェックする必要があります)

60℃で低温長時間加熱することで長期間熟成させたようなメイラード反応による香ばしさが出ますし、酵素の働きも強くなります。一方、有害な微生物は低温殺菌されるので、安全性も確保できるわけです。(ちなみにアニサキスは60℃1分で死滅します)温度が上がるまでの安全性は塩で確保し、それ以降は温度で担保するという二重の構えです。もちろん、メーカーがつくる魚醤は常温で長期間発酵させるでしょうが、安全を確保しつつ、うま味物質を求めるのであれば加熱するのがベターでしょう。

週に一回ほどかき混ぜながら8週間(2ヶ月)加熱を続けるとこんな感じ。

保存は冷蔵庫で。冷蔵庫に入れても反応は進むので、蓋の隙間をあけておかないと液体が溢れることがあります(そうすると冷蔵庫の掃除が大変です)漉すと魚醤になるので調味料として使いやすいですが、そのままであれば焼いた魚や茹でたカリフラワーに塗ったりしやすいので、どちらでもかまいません。

つまりはイカでつくる魚醤=いしりなので、日本に住んでいるのであれば買ってきたほうが楽ではあります。個人的にオススメする魚醤はヤマト醤油味噌のいかいしり。上手に作られた魚醤は好塩性の乳酸菌の働きで風味がよく、魚醤=臭いというイメージとは違った洗練された調味料です。(ただし、ふつうの魚醤に米麹は入っていません)

前述のnomaではガルム=魚醤ではなく、もっと広義に捉えており、肉を使ったり、卵白(!)を使ったりといろいろと試みているようです。料理に塩味や甘みをつけるのが調味料の役割ですが、これらの新顔調味料はどちらかというとうま味物質を加えるために使う調味料です。

発酵食品が調理法として注目された理由として、うま味という概念が浸透したことも挙げられるでしょう。西洋の料理はタンパク質を鍋のなかで加熱することで、アミノ酸を分解し、うま味を得てきました。その代表がフォンやブイヨンです。しかし、発酵という技法を使えばその過程を微生物に任せることができるので、空いた時間を他に使うことができます。

前述のnomaでは卵黄に牛肉から作った醤を混ぜてソースにしていますが、これなどフォンいらずの簡易的なソースといった趣です。前述したように歴史を遡ればローマ時代の料理にはほとんどのレシピにガルム(魚醤)が使われていたので、考えてみれば突飛ではないのかもしれません。

昔、辻調理師専門学校校長の辻静雄がこんな風に書いています。

しかし、料理作りの道は、簡素化へと進んでいるようで、ことフランス料理に関する限り、今後どんな方向へ進むかは、はっきり予言できないが、それでも、フォン(出し汁)を作り、グラス・ドゥ・ヴィアンド(出し汁を煮つめきったもの)を取ってといった時代は過ぎ、地下に眠るマラン師匠が創造もしなかったようなところまで暴走することになったかもしれない。その昔、アピキュウス大先生が賞味したガルムへと帰っていくことにもなりかねないとみたら、大きな時代錯誤だろうか。

(『歴史にまつわる話』より)

いみじくも辻先生の予見どおりになったわけですが、料理はつねに前の時代を踏まえ、過去から学びながら前進するもの。大事なのは流行を追いかけることではなく、昔からあった技法を見直すことなんでしょうね。

撮影用の食材代として使わせていただきます。高い材料を使うレシピではないですが、サポートしていただけると助かります!