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『あはい』と移動 1

『あはい』と移動 1 
 
どうやら私はtipicalな日本人らしくない 
ということをウィーンにきて改めてわかった。 
私の名前firstnameは、かの有名なアーティストのおかげで、 
戸惑われる余地もないほどにtipicalなものだが、 
外見や体格がどうも違うらしいのである。 
 
 
ロシアからこちらへきて学んでいる大学生のルームメイトと 
その友人達と、日中韓(この字面の並びにすら意識を向けないではないが、今はこのorderで)の顔の見分けをつけるのはとても難しいという話から始まり、それぞれのオリジンの話になる。  
   
私も祖父の葬儀の際に初めて『奄美』という地を意識始めたばかりで、そのオリジンというものには興味がある。 
 
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ある日、動画の前に流れる広告で 
『あなたのオリジンを巡る旅をしませんか』 
 
という遺伝子検査キットの説明が流れてきた。 
日本でも何回かこの種の広告は目にしたことがある。 
様々な国籍の人が、自分の祖先からの歴史を誇らしげに語り、 
そして中には嫌悪する国や人種について語る人もいる。 
そして、遺伝子検査の結果、自分は純粋なこの民族と信じていたものを覆されることに衝撃を受け、涙する人、自分の嫌悪しているものと同じルーツを持つことに驚く人が映し出される。  
この方達が役者であるのか、それとも人の自然な感情の変化なのか、それはわからない。 
 
けれど、この広告は『スキップする』を押さない程度に、私を毎回魅了する。 
 
 
「私もこれを試してみたい」
と言うと 
ロシア人のルームメイトIは、 
「なぜ?」
と。
これはとても高い費用がかかるし、オリジンを知ってどうするの? 
と聞かれる。
  
もちろん、オリジンを知ったからと言って、 
どうこうなることはないが、 
 
『自分の感情の帰結するようなところが欲しいんだよ。』 
と思ったが、この感情に関して、自分の言葉で上手く表現することがまだできない。  
 
 
果たして感情が生まれるという根底に、民族性なり風土というものはどこまでの影響があるのだろう。 
そもそも、民族や国といったもの、その境界線ははっきりと引くことなどできるものだろうか。 
 
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次の目的地に移動する前の晩。  
シャワーを浴びているときに突然と浮かんだ言葉。  
 
 『辺境』 
あぁ、なるほど辺境とは、
『境の辺り』 
のことなのだなぁ
と、なぜか大きな発見のように感じる。
境という区切るものの辺りということ。  
はっきりと区切ることに対して、 
『辺り』ということばの含む余白と多様さ。
私が、ここ数年ずっとウロウロとしているのは『辺境』にあるものに惹かれるのではないかということ。 
 
区切ることができない  
『あはい』の豊かさ。  
 
ロゴスとピュシスの在り方。  
 
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ヨーロッパ内を電車やバスで移動すると、  
国境というものの意識がかなり薄くなることは、 
この地を訪れた人は誰もが体感することかと思う。  
 
スイスのチューリッヒから、南へ3時間以上南下したところにある
ピーター・ツムトアーの教会を訪ねた日。 
 
朝からあまりの猛吹雪で、目の前のアルプスの山々どころか、 
ホテルのテラスより先が見えないほどだった。 
怯む気持ちと、一緒に同行してくださっているYさんへの悪天候の中歩かせてしまう申し訳なさと、それでも見たいという欲求が混ざり合ったまま、目的地へと向かった。  
 
降りた駅は無人駅で、降車する際も降りる意志をブザーで車掌に伝えなければならないほどの辺鄙なところだった。 
移動しながら窓の外を見て、これ以上降らないようにと願ったのも虚しく、降り立ったときはまた吹雪いていた。 
とにかく村に一軒はカフェ兼バーのようなところがあるだろうと踏んでいたのだが、月曜はどこもしまるというスイスの習慣を知らず。村で唯一のバーももちろん閉まっている。 
 
 
 
「どこかでタクシーをお願いすることは可能でしょうか?」 
 
この駅に降りた私たちを含めた5人のうち、一組のご夫婦に声をかけてみた。 彼らは、最初英語が通じず、ドイツ語でもない言葉なことだけは私もわかる。 一緒にいたYさんはスイスジャーマンをお話できる方だったので、Yさんを呼びに。  
ドイツ語ができる人がいるとわかり、ご夫婦のお顔からも少し緊張感が解ける。   
私が初めて触れたロマンシュ語となった。   
スイスの第4の母語とされながらも、UNESCOの「消滅の危機にある言語」
に指定された言葉。 
 
後からわかったことは、彼らは違う場所に住んでいて、今日はたまたまこの村の老人ホームにいる友人を尋ねてきたところだったという。  
彼らの助けがなければ、目的地にたどりつかなかったことについてはまた詳しく書く。 
 
彼らにとって、一番話しやすい母語を話せる人が年々減っていくことと言うのはどんな感覚なのか。 
こんな大雪の日でも訪ねるお相手も、おそらくロマンシュ語の話者なのだろう。  
言葉とともに失われていく、その土地だけの独特な感性や表現というものもあるに違いない。 
 
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