voidと西田幾多郎 2

voidと西田幾多郎 2 
 
 
季節の移り変わり、確かさというもの。 
野の花が咲いて、また居なくなって、それを悲しんで。 
でもまた土の中で確実に、次の季節への準備をしていて、 
場所は変わるかもしれないけれど、
また芽吹いて、会うことができて。 
このたしかさ。 
おそらくこの確かさは、自分の人生よりももっと長く続いていくだろうし、
種(しゅ)によっては、過去から未来に通じて、永遠というものに果てしなく近い道のりを歩んでいる植物もあるだろうし、かなり普遍的なものとして惹かれる。 
 
その確かさに、救われている。 
表現というものがある意味、その「確かさ」であったり、ある人の救いになるのであるというならば、私はやはりもう少し普遍的なものというのに心引かれてしまう。
そういうものが活力になったり、慰めとなったり。そういう感覚的なものが芸術ではないだろうか。 
 
ここまでが、先月西田幾多郎記念館に行って感じたことだった。
 
 
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記念館の安藤忠雄の建築を体感して、直感的に何かそこに内包することの確かさと優しさのようなものを感じたのと、西田が息子を無くした時の悲しみかた、心の寄せ方というものに、非常に感銘を受けたことから書きたい、と思った。 
  
長男の息子さんを亡くされた西田には、元々8人のお子様がいらした。 
 
 
人によっては、西田に「お子さんをなくして悲しいのはわかるが、あなたにはまだ何人ものお子さんがいるじゃありませんか」という慰めの言葉をかけられたと。悲しみとは、そういった質のものではなくて、数ではなく、一人一人の子どもに対する想いがあって、当たり前だけれど、一人一人の死を悼む、という気持ちがあったという記述を読んだ時に、耐えられずに次の展示へ進んだ。
 
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 後日、長男のケンに対する記述が載っている文献を読みたいと思ったが、見つけきれず、遂に記念館に問い合わせをした。 
丁寧なご回答を、改めて受け取りその記述を聞く間も、 
電話口で涙が止まらなかった。 
 
この記述は、西田自身によるものではなく、西田の教え子であった教育哲学者の本村元衛の自叙伝的日記『花と死と運命』(S41.2.16)に出てくる。 
   
記念館の方が内容をまとめて教えてくださった。
 
「ケンが23歳で亡くなった後、遺品を大切にし、しばらくはケンが着ていた形見の服を身につけ、喪に服して居たと言われています。 
先生の外套が破れているのを、本村が友人になんとはなしに聞いたところ、服も腕時計も息子のものであったことを、友人の奥様が涙をこらえながら言ったそうです。」  
  
この書籍はすでに絶版となり、簡単には見れない。  
 
でもこの回答で、私はどこまでもvoidをvoidとして自分の中で持っていこう、自分なりの悼みかたであろうと決めた。 
 
西田はその後も、奥様や子どもたちを相次いでなくし続けていく。 
西田にしても中谷宇吉郎にしても、鈴木大拙にしても。
略歴には記載もされない、近しいものの死が、どれだけ彼の思想や哲学、生き方に影響していることか。 
 
数字でははかり知れない想いが日々、流れていく。 
 
 
ちりて後おもかげにたつぼたん哉  
蕪村 
もう少し、タチアオイに気を取られていたい。

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