とら~ぬの考える「オタク力」

最近(無料の範囲内ではあるが)スリアロのリーグ戦の放送対局を少しずつ観るようにしている。その中でふと思ったことがある。

「今のスゴいですよね!」とか

「ここでこうすると…なるほど」とか

解説がたまにテンションの上がる瞬間が分かる時がある。

まず始めに、これは良いことである。視聴者にその打牌、あるいは行動のメリットが伝わると言う点が評価できると思う。

しかしこれを見ながら私はふと思った。

「強くなるために必要なことってこういう反応というか取り入れかたなのでは…?」

今回の記事はそんな考え方、私としては「オタク力」と定義して少し考察していきたいと思う。

1.そもそも「オタク力」とは何か

とにかく何でも良い。まず1つ、自分の趣味を思い浮かべて欲しい。

思い浮かべたら今度はその趣味の魅力でも良いし、努力しているところをいくつか挙げてみてほしい。

…本題はここからだ。

まず今回提唱した「オタク力」という言葉は細かくしていくと「熱意」とか「探究心」という言葉が近くなると考えている。

人間使えるエネルギーには当然限りがあるわけで、どこにどのように割くかがその人の人生の選択になると言える。年齢を重ねていくと体力も少しずつ減ってきて、その中で多様なことを進めていくのはやはりハードな面も多いだろう。そこで発揮されるのがこの「オタク力」である。

対人競技なら大抵そうだが、相手がどのような癖、スタイルを持っていて、こんな仕掛けかたがあって、弱点に近いものがこうあって…という研究はビデオ等でやったことある人もいるだろう。私も剣道でたくさん経験してきた。大会の後は稽古時間の半分くらい使ってビデオを繰り返し眺めたりしたものだ。

しかしこれにも労力を使う。撮影もそうだが、そこから見返して弱点を掘り下げたりするのも手間がかかる。手間がかかるということは段々とそれが失われていく。そしてやらなくなる。

何にしても長期間続けるためには知的探究心と努力を厭わない活力が必要であり、これを補うのが「オタク力」と定義したいと思う。

2.様々な形で生息するオタク

オタクという言葉は恐らく世間では高い評価を得ている言葉ではないかもしれないが、第一線級で活躍している人たちは皆その競技の「オタク」だと思って過言ではないと思っている。

観戦側で分かりやすいのは選手に対する特徴であったり、記録に代表されるデータ系だったりだろう。選手側で言えばここに技術や用具、他者の選択に関して等も含まれるだろう。

競技人口の多い競技ほど当然この手のデータや考え方は多く転がっているわけで、何人と集まればその議論に花が咲くことも珍しくはないだろう。沢山の意見を取り入れていくことで自説というのは強化されていくのだから。

自説があるというのはそのまま自信に繋がる。自信が持てるということは実力に繋がる。それを下支えするのが熱意や努力であり、オタク力なのだ。


…とまあ、取り留めの無い話にはなってしまったが、最近ふと感じたことを簡単にまとめてみた。

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