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まずいリズムでベルが鳴り、そして私は途方に暮れる

 この逸話は、速記者養成所時代に実際にあった事件です。
 時々思い出して、少し反省して、「いや、そうじゃないだろう」という気持ちになって、また反省して、「いややっぱり違う!」というループを、30年以上経っても繰り返しております。

 いろいろと不都合な点はボカシやフェイクを入れますが、事実に基づいています。もともとは独立した形で書いたものだったため、本編に出てきた学校名は伏せた形になっています。
(ほかで明らかにしているので、リンクをたどればすぐに分かりますが、一応、最初に書いたときのテンポというか雰囲気というか、そういうのにかんがみて、そのまま伏せております)

 なお、一定世代以上の方にはすぐわかると思いますが、タイトルの元ネタはこちらです。



うわさ話

女子A:でさ……私、隣の部屋じゃん?夜中に目覚ますとさ……
女子B:うわ、怖っ

 10人以下の少人数で使うには広い教室に、一人一人が大きな学習机を並べ、私たちは日々勉強していた。

 ここは速記学校「S」の1年生の教室である。
 SはSokki、Stenograph、Shorthand、いずれの頭文字でもおかしくないが、実はそのどれでもない。現在は存在しない学校だ。諸般の事情により、説明は割愛させていただく。

 そんなところで立つうわさというのは、要するに公然の秘密みたいなものだ。しかし、今にして思うと恐ろしい話なのだが、それでも全く耳に入ってこない人間というのが存在する。
 ぎゃくカクテルパーティー効果とでもいおうか、興味がないと耳の方が拒絶するのかもしれない。

 AとBは、寮でAの隣室に入っている2年生についてのうわさをしていた。
 ボリュームは大きくもなく小さくもなくごく普通なので、声自体は自然と耳には入るし、誰も「うるさい」とは注意しない程度。
 ただ、内容が内容だけに、ところどころ隠語的なものを使ってごまかしたり、遠回しに表現したりしているので、全くの真相が分かるわけではない。
 その日はたまたま「そういう話」であることを認識できただけで、「へえ」程度の感想しか湧かなかった。

 要するにその2年生が、かねてからうわさのある同じクラスの男子生徒を寮の自室に連れ込んで、コトに及んでいる――らしい。

 「うめき声が……」「気配が……」というワードだけ聞くと、何だかホラーじみていたのだが、「うわ、怖っ」というのは、「よくそんなマネができるね?」というニュアンスなんだろう。

 しかし相手は2年生の中でも発言権が大きい女子である。
 そういうのはいかがなものかと思ったとしても、意見しづらいのだろう。

 2年生とAの部屋は1階、私の部屋は2階だったから、当然そんなことには全く気付いてもいなかった。
 しかし、夜中に(その2年生たちの声によってかどうかはいざ知らず)目が覚めてしまったAにしてみると、それ以来、どうしても意識せざるを得なくなるし、寝不足にもつながるなど、しっかり実害が出ている。

 「特定2年生に対してAが苦言」というよりも、せめて「夜中に隣室の物音が聞こえて眠れないという苦情が出ている」式に、刺さる人だけに刺さる注意喚起をしてもよかったのではと思えるが、問題は2つあった。

 まず、注意喚起をお願いすべき寮長が、よりによってその2年生本人であること。

 もう一つ、9時20分始業の学校に徒歩1分以内に行ける寮生活で、しかも消灯時間など決まってないから、朝の4時に寝付く者と、朝の4時に起きる者が一つ屋根の下で暮らしているのが現実だった。
 たまたま夜型さんの隣が朝型さんで、そのまた隣は……とやっていくと、ただの「迷惑はお互い様」のループ状態になってしまうことだ。

不満

 1年生(の一部)が(特定)2年生に言うに言えないモヤモヤを抱えている頃、2年生は2年生で、1年生に対して「黙認しているが、注意したものかどうか」という案件を抱えていた。

 風呂の使い方がなってない(感想)
 掃除当番で手を抜いている(感想と疑惑)
 ひとりで台所を占領するな(感想)

 今となってはただの推測だが、誰かが「最近の1年生さ……」と言い出し、誰かが「あー、私もそれ思ったー」と同調し、さらに誰かが「〇〇っていえば……」と話題を広げているうちに、「よくよく考えると、これは注意した方がいいのでは」ということで、徐々に意見の取りまとめがされていった感じなのではなかろうか。

 11月のある日、「今日の午後8時、2年生“Y”の部屋に集合すること」そんなお触れが出た。
 どうやら“茶話会”という名の、2年生が1年生への苦言を呈する会が開かれるらしい。
 もっともこの時点では、1年生には別な意味での緊張が走っていた。何しろその“Y”こそが、Aの隣室の“疑惑の2年生”だからだ。

 実はこの段階で、2年生のうちの2人は、既にある通信社の校閲記者として採用されていたため、学校は中退扱いになり、寮も出ていた。
 しかし悪くしたことに、その2人は2人ともバランサータイプというか、こんな状況になる前に軽く注意してくれたり、何かと取り持ってくれる人たちだったので、1年生に慕われていた。
 ほかの2年生は、普通に雑談する分にはフレンドリーで楽しい人、ちょっとおっかない人、空気が読めない口数の多い人など。学業面などで尊敬する部分もあるにせよ、年齢も1歳しか違わないし、通りすがりに毛が生えた程度の「普通の知人たち」である。

 その普通の人たちが、1年生に対して、なってない点や直してほしい点、あとは「よく聞いたらそれ悪口!」と突っ込みたくなるようなことを、くどくど注意し始めた。
 一応最初は1年生というクラスタに対して語りかけているのだが、だんだん「特に〇〇ちゃん」と個人攻撃になっていく。〇〇に入る人物はほぼ毎回変わらず、言われるたびに〇〇は、いたたまれない様子でうなだれる。
 ちなみに台所ひとり占め案件の“犯人”は「交代でご飯を作っていた3人グループ」で、〇〇はノータッチだったが、ここではなぜか3人組の名前は割愛された。

 1時間ぐらいそんな説教が続いたろうか。
 最後にYが、「はい、これから気を付けてくれたら、もうこんな場は二度と設けません。また仲よくやっていきましょう」と言い、解放されるかと思いきや、「●●ちゃん、少し残って…」とご指名がかかった。

 ほかの1年生がきまり悪そうに「お先に…」と帰っていく中、●●は正座したままである。

 ここまでもったいをつける必要もないだろうか。
 ●●こそが本作の筆者・須恵村だった。

何を言えば

 〇〇こと私・須恵村だけがその場に残された理由は「挨拶ができていない」からだった。
 自分の名誉のために言うが、朝起きて部屋を出て、台所や洗面所で誰かに会えば、もちろん「おはよう(ございます)」ぐらいは言っていた。

 ただ、狭い校内の廊下ですれ違うとき、学外で会ったときに、いちいち「こんにちは」と言う必要はないだろうと思い、会釈だけですませていたのは認めるし、気付いてなさそうなときは、それも省略していた。

 どうやらその「無言」に駄目出しをされてしまったようだ。

 ほかの子たちは、「先輩、この間の〇〇どうでした?」とご機嫌うかがいをしたり、趣味が近い人なら「〇〇の新譜もう聞きました?」的に、必ず雑談的な話題を出したりするが、私だけそれが「ない」のが「気になる(意訳:気に入らない)」のだそうだ。
 それは極端にしても、とにかく「こんにちは」「ども」と“発声”しているのがポイントのようで、会釈は挨拶に数えてもらえないらしい。

(うわー、面倒くさいことに巻き込まれているな、私)

 そう思いながら、やっと出てきた言葉が、「何を言ったらいいか……」だった。
 この場の私は挨拶一つまともにできないアホの子なので、「『こんにちは』でいいのに」と、何言ってんだこいつという調子で返されてしまう。
 しかし、「おはよう」と既に挨拶している人に、わざわざ「こんにちは」と言う意味が、私にはどうしても理解できない。

 高校時代、その日初めて会った人には、それが午後5時であろうと「おはよう」という習慣があった。
 少なくとも(ごく普通の)我が校ではそんな感じだったので、女子高生なるもののメンタリティーのなせるわざというか、割とそういう学校コミュニティーはほかにもあったのではないかと思う。
 部活の顧問には、「芸能人か?夜の蝶(水商売の女性のこと)か?」などと笑われたが、妙に理にかなっている気がして、あれはまだ納得できた。

 泣いてごまかそうとしたわけではないが、みじめさと訳のわからなさと情けなさで涙が出てきたので、2年生たちはそこで「言い過ぎたね、ごめん」と言って、しかし最後に小言をたっぷりと手土産に持たせ、私を解放した。

 あまり愉快ではないが、話はそこで終わり――だと思っていた。

許せない

 私は全く気付かなかったが、「事件」はその次の夜に起きた。
 時計の針はてっぺんを過ぎていたので、日付的には2日後である。

 私は既に床についていたし、周囲がざわざわしているという感じもなかった。

 とろとろとした微睡みに、火災報知のベルが鳴って入った。

「ふぁっ?」

 びっくりしてパジャマのまま外に出ると、不思議なことにほかの部屋の電気は全部消えていて、逃げ惑う人影――なんてものもない。
 その代わり、1階から言い争うような声が聞こえてきた。
 階段を下りていくと、Yの部屋の前に人だかりができ、そこで多くの人が、Yをなじるような調子で何か言っていた。多分、1年生も2年生もいる。

責任者リョーチョー失格でしょ」
「汚らわしい!」
「自分のこと棚に上げて、あんなこと言っていたんですか?」

 その様子から何となく察し、少なくとも火事などではなさそうだなと思って部屋に戻って寝直していると、それから多分1時間くらい経った頃、今度は私の部屋のドアベルが鳴らされた。

「……なんですか、こんな時間に……」

 そこにはY以外の寮生が何人も立っていて、今度は私を責める異口同音が聞こえてきた。

「火災報知器が鳴ったの聞こえなかったの?」
「……あ、火事じゃないみたいだったんで……」
「……って、火事だったらどうするつもりだったの?」
「みんないるのに、あなたただけいなかった」
「この状況でよく眠れるね」

(……えーと、話はそれだけなら、眠らせてください)

 何もかも面倒くさかったので、殊更寝ぼけているさまを強調して、「あの、おやすみなさい……」と言ってドアを閉じたら、さすがにその後は静かになった。

 その後、ひょっとしたら誰かの部屋で、私を糾弾したり、間抜けっぷりをわらったりする会が開かれていたかもしれないが、心底どうでもよかった。
 翌日の授業に響かない程度に夜更かししたらいいさ。

 今ならもっと言えることがある――嫌味たっぷりに。

「示し合わせて「こういう」ことしたんですよね?
 火災報知器はあらかじめ押す係の方がいたんですか?
 アドリブですか?
 どっちにしても、無意味だったと思いますけど

 私、Yさんがどうしてあんなに皆さんに責められているのが状況すら正しく把握していなかったんですよ、何も聞いてなかったんで。その状況で、「そこにいなかった」と言われても困ります

 でも、輪にも入れてもらえないほど影の薄い私の存在に、この段階でよく気付いてくださいましたこと。ちょっと感激しましたよ(はあと)」

 私は本当に心から興味がなかったので自分から聞くことはなかったが、みんなの噂話を取りまとめるだけで、何となく顛末は想像できた。

 まず、我が校の男子寮もまた同じ敷地内にあり、女子寮からの距離はたぶん100メートルもない。
 一応、女子寮に入るためには、夜の10時には施錠される門扉という“関門”があるのだが、実はその門扉の脇の塀はそう高くない。
 私自身、朝一の新幹線に乗って帰省するときなどは、そこからまず荷物を外に放り投げ、体の方は適当な足場を頼りに塀をよじ登って越えていた。

 さすがに塀の外から侵入したことはないのだが、大容量の新聞受けが門扉の外にあるので、あそこを足場にしたら中に入れるかも……と、簡単に想像がついた。
 男子寮には住み込みの管理人さんがいて、女子寮にはいない。
 一応寮生は、防犯ブザーを携行するように言われていた。
 セキュリティーの考え方の順番がいろいろおかしい。(現在はない施設の描写なので、防犯などには一切配慮していない書き方をしております。悪しからず)

 とにかく“Y”の密会相手の男子“M”は女子寮の建物の前までたどり着いた。

 携帯電話などない時代なので、ピンポイントの連絡もできないし、地獄少女みたいに背後に立って「来たよ……」と言うこともないだろうから、その1、時間を決めて玄関から入ったのか、その2、“Y”の部屋の窓から入ったのか?

 「土足」というワードが聞こえたので、多分その2だろう。

 そうして“M”はYの部屋で……(以下略)というわけである。

 多分この時点で、Aの部屋には何人かの1年生(場合によっては2年生も)がいて、Mの侵入が確定した時点でガサ入れ、くらいの申し合わせができていたのだろう。
 何のために押したのか分からない火災報知ベルは、普段はおとなしそうな1年女子Cがとっさの判断で押したようだ。「お手柄」と言われていたことからの想像だけど。

「M先輩が「殴れよ、オレが悪いんだ」とか言ったときさ……」
「ああー、キツイなって思ったー」
「酔ってるよね。ドラマの主人公にでもなったつもりかな」

 Mは男前で優しい頼れる先輩だったが、この件で一気に評価を下げてしまったようだ。 
 Yが、美人だが少し性格のきつそうな、あまり女子に受けないタイプの女子だったというのも大きかったかもしれない。

 2日前の夜、そのYが先頭になって、「1年生の生活態度が目に余る!」と説教したことで、1年生の「おまゆう心」が奮い立った。
 考えてみれば、最後まで残され、精神的につるし上げレベルのことをされた(と、少なくともほかのみんなは思っている)私が、最も腹を立てていいはずなのに、あの夜のんきに寝ていたということが、ほかの生徒には信じられないというか、“許せない”ことだったのかもしれない。

 さて、ここで思い切り言いたい。「知らねーよ!」

みんな…

 当然学校にも報告され、しばらくは空気の中にピリピリしたものが混じった。

 2人とも何週間かの自宅謹慎処分の後、寮を出て自宅から通うことを前提として、退所は免れた。
 ともに成績も優秀だったし、基本的に優等生だった。
 また、本科卒業後は研修科への進学と「本部」への就職を希望していたので、各方面に配慮したお目こぼしだったのだろう。
 全員、腫物に触るような態度だったのは最初のうちだけで、次第に何事もなかったかのように接し、処罰の意外な寛大さにああだこうだ言う人もいなかった。

 終始蚊帳の外だった私にしてみると、結局その程度で許せることだったのに、どうしてあそこまで一丸になってYとMを責めたのか(それこそ多分、つるし上げ状態だったろう)理解に苦しむ。

 事件の後の担任との面談の際、「君だけその場にいなかったって聞いたけど、どうしてみんなと一緒に行動できないの?」となぜか注意されたことと、卒業式の後のパーティーで、たまたまYが隣の席になったとき、私が既に見ていた映画に興味を示したYが、「すごくよくできたラブコメでした」という言葉に反応して、「え、コメディーなの?見るのやめようかな。コメディーなんて、みんな見たいと思うかな」と言われたことに少しだけ傷ついた。

 みんなから少し外れているだけで罪人や異常者のように言われてしまうのって、どうなんだろうと。

 私はしよーもないことで人を締め上げるのは趣味じゃないし、マストロヤンニがおどけて妻に嘘ついて取り繕っているような映画(**下記注)でも「好きこのんで」見た、それだけの話だ。
 正直「みんな」が何を思い、何をしていようが興味がない。

 ただただ…

「わけのわからんことに私を巻き込むな!それについていけない私の方が「おかしい」のだと思いこませるな。会釈を挨拶と認めろ!私のようにテキトー人間だけでなく、慎重であるがゆえに、適切な言葉や話題が見つからないことを悩む人も大勢いることを忘れるな!」

 と言いたい。

**
『黒い瞳 Oci Ciornie』 1987年イタリア作品 ニキータ・ミハルコフ監督 チェーホフの『小犬を連れた貴婦人』をベースにした恋愛映画 ハリウッドロマコメ乗りの(それも悪くないと思うけれど)ガチャガチャ騒がしいのを想像してしまったようですが、コメディーと言われたくらいで見ないというならそれでもだーれも困りません。

【完】

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