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回帰する核家族の未来 3.1 家族形態と人口

より続く

先進諸国における人口減少と家族形態の因果性

現代の、とくに先進諸国における人口減少と家族形態の因果性について語るのは難しいし、立証するのはそもそも不可能に違いない。だが、トッドが言及する限りでの主張からこの相関について仮説をまとめ上げるならば、次のようになる。

農地開発と直系家族や一時的同居を伴う核家族

まず初めに、直系家族の伝播力に注目する必要がある。つまり、直系家族は財産の不分割相続と、両親と長男夫婦とその子のみの同居が条件となっており、長男を除いた次男三男、姉妹たちは財産を譲り受けないまま外に出なければならない。姉妹は結婚して相手の男性と同居することになるが、問題は次男三男である。

もしも領域内に未開墾の肥沃な土地があるならば、次男三男は新たな農地開拓によって経済的に自立するだろう。このことは、人口密度が低く未開墾の肥沃な土地が多い地域では、追加的な生産が生じやすく、これが人口増加の誘因になるだろうことを意味している。未開墾の土地が領域内になかった場合でも、次男三男は軍人や聖職者になって、近隣地域に進出することになる。もしも侵略を受けた近隣地域の人口密度にまだ余裕があるならば、その地域は開発され、人口増加を引き起こす可能性があるのだ。

だが、これは直系家族だけではない。「一時的同居を伴う核家族」も類似した伝播力を秘めている。トッドは、古代ギリシアがイオニア半島をはじめ東方に数多くの植民都市を建設し得た理由は、古代ギリシアの家族形態が「一時的同居を伴う核家族」というアルカイックなものだったからではないかという仮説を立てている。

つまり、「一時的同居を伴う核家族」は、子供たちが両親の家から独立することが前提となるが、仮に父方同居だとすると、まず初めに長男夫婦が一時的同居を他の独身の兄弟姉妹と一緒にすることになる。やがて、妊娠出産を機に独立し、次には次男が結婚して一時的同居をする。次男夫婦が妊娠出産を機に独立すると、次は三男という具合に続く。最後に末子が取り残されるが、末子は高齢の両親の面倒を見て、残された財産を相続する。このため、直系家族と同様に、領地内や近隣地域に未開墾の肥沃な土地があるならば、農地開拓が行われて生産力が増大し、人口増加の誘因となる可能性があるのだ。

農地開拓には、一時的同居によって培った親族ネットワークの組織力が活かされる。これが古代ギリシアの植民活動が成功し得た理由の一つだと言うのだ。

ドイツ領域での植民活動と直系家族

直系家族の場合も、三世代にわたる大家族を率いる家父長制組織は軍事行動はもちろんだが、経済活動にも適しているのは明らかだ、とトッドは指摘する。ドイツで直系家族が中心となった理由は、トッドによれば、かつてドイツ領域内は人口密度が低く、その地域の農民にとって植民活動に適した条件がそろっていたためだ。このため、ドイツでは、主に貴族階級にしか直系家族が普及しなかったパリ盆地やイングランド中央部とは対照的に、下層農民のレベルから直系家族が浸透し得た。恐らくこれは人口増加を伴うものだっただろう。

都市、賃金労働者、と核家族

反対に、絶対核家族や平等主義核家族は、一般に厳しい生存条件をクリアしなければならない。これらの家族形態は、トッドに言わせると、「近接居住による核家族」や「一時的同居を伴う核家族」などアルカイックな家族形態が保持していた親族ネットワークを飛び出して、新婚夫婦が独立して家を構えることを意味するからだ。

トッドによると、この厳しい条件をクリアするには、絶対核家族と平等主義核家族が出現したイングランド中央部やパリ盆地の特殊的な農地制度が不可欠だった。これらの地域では、カロリング朝以来、大荘園が発達していたが、これは領主保留地と農民保有地から構成されていたと言う。ここに強い直系化の影響が襲ってきたが、この地域で財産不分割という直系化のメリットを享受できるのは領主階級や貴族階級だけだった。つまり、小作農の保有する農民保有地は小さく、不分割の対象としては魅力がなかったのだ。

こうした地域に14世紀のペスト大流行の暗黒時代からの回復期が訪れると、小作農は浸透してきた貨幣経済を武器に「反動」したのである。つまり、ドイツにおいては農民は直系化を受け入れるメリットがあったが、これら直系化を受容するメリットのないパリ盆地やイングランド中央部の小作農は、子供たちを早い時期から召使いとして、つまり農業賃金労働者として外に出し、富を蓄積させたのである。これが子供たちの独立資金になったことは言うまでもない。

つまり、トッドによれば、絶対核家族や平等主義家族がイデオロギーとして先鋭化したのも、現実に生活して人口を維持しえたのも、「近接居住による核家族」や「一時的同居を伴う核家族」などアルカイックな家族形態を保持していた農民が上流階級の直系家族に対して「反動」したためである。そしてもちろん、この「反動」を可能ならしめる経済条件が当時のイングランド中央部やパリ盆地にはあったのだ。

核家族と相互扶助の基盤の不在

しかし、こうした特殊な経済条件がそろうのは束の間のことだったと考えた方が良いに違いない。というのも、当時のイングランド中央部やパリ盆地の農民は、幸福な家族として何世代かは何の変哲もない決まり切った生活を送ることができただろう。だが、都市化が進み、こうした特殊条件がなくなった状態で自由や独立といったイデオロギーだけが家族形態とともに残ったとき、絶対核家族や平等主義家族は厳しい状態に陥ったに違いないからだ。

しかも、都市化したパリ盆地やイングランド中央部には、貨幣経済が浸透した地方の農村から完全なプロレタリアが現金収入を求めて移住してくる。こうした完全なプロレタリアがとる家族形態は、主に親族ネットワークを伴わない核家族である。困ったことに、こうした家族形態にはいずれも生活を維持していくのに必要となる相互扶助の基盤がないのだ。

(続く)
筆・田辺龍二郎


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