発音には個人差がある。ネイティブ並の発音を目指してもほとんど無駄
発音指導サービスでよく謳われるのが、「ネイティブ並み、帰国子女並み、ネイティブに負けない発音を!」というものですが、このような発想自体に僕は、的外れでトンチンカンだなと感じます。
この記事では、発音には個人差があることを説明し、一定水準以上を目指してもほとんど意味がないことを説明します。
発音を習得する意味、理由
なぜ発音を学ぶのでしょうか。発音を磨くことによる効果は複数あり:
意味の伝達力が上がる
耳経由でインプットされる情報の解像度が上がる
スピーキングが苦痛にならない
などがあります。そのようなプラスの側面を達成することが発音学習の目的であり、この目的がブレることはありません。
発音には「個体差」がある
まず、発音には個体差があることを理解する必要があります。
たとえば、/i/ /y/ /ɯ/ /u/ /a/ /ɶ/ /ɑ/ /ɒ/ はすべて可動域の限界まで動かしているため、「遊び」がない状態です。そのため、原理的にいえば、口の構えは誰でも同じで、個性は出ないことになります。 対して、それ以外の母音すべて、つまり、上記の特異点の間に来る母音すべてには、「個人差」があります。半狭、半広、中舌という基準はすべて、定量性がまったくありませんから、「半分狭いってこれくらいかな」という個人差が必ずでます。
別の例で説明すると、actually の tu のところを無声後部歯茎破擦音/tʃ/で出す人も、無声後部歯茎摩擦音/ʃ/で出す人もいます。両者の違いは破裂があるかないかの差で音声学的にはとても近しいため、どっちをつかっても意味の伝達が損なわれることはありません。これも、個性のひとつです。
個性は目的達成に影響しない
個体差がでるから何か問題があるかというとそうではなくて、問題なく音のやり取りができます。なぜかというと、各音素のストライクゾーンに幅があるためで、ここに音を投げさえすればしっかり認識されるからです。ストライクゾーンには幅があり、そこに投げればいいわけです。ストライクゾーンの中のどこに入るかはほとんど問題になりません。
発音のゆらぎや、あるいは母語から継承された特徴(なまり)があっても、ある程度であれば意味の伝達や意味の理解にまったく影響しません。あまりいいたとえじゃないかもしれませんが、これはエラーバジェットのようなもので、巷で礼賛されまくっている「ネイティブ発音」からの乖離は、このバジェット内であればまったくマイナスになりません。
ですから、「ネイティブ並みの完璧な発音を目指す!」みたいな取り組みがいかに的外れでほとんど意味をなさないことが分かってもらえると思います。ネイティブ並みの完璧な発音云々の取り組みは、ストライクゾーン内の無駄な微調整だと僕は思っています。
英語発音をなぜ学ぶのか、学ぶと何が得られるのかについては、「英語発音を学ぶ理由」の記事で説明しています。基本的に、英語に触れる人であればだれでも発音学習の恩恵を得られます。僕も発音講座をやっていますので、4 技能のベースアップのためにぜひ検討してみてください。
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