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ジーン・ウェブスター「Dear Enemy」ペンギンブックスp.334~335

(続き)

金曜日
 どうしてサリーはドクターの様子を少しでも知らせてくれないんだろう、って不思議に思ってるでしょうね。私、直接は何も話を聞いてないのよ、会ってもらえないんだもの。でもね、彼、私以外の人には誰にだって会ってるの――ベッツィ、アレグラ、リバモア夫人、ブレットランド氏、パーシーさん、評議員の皆さまにだって。皆さんおっしゃるには、肋骨の骨折と、腓骨の粉砕骨折については、すこぶる順調に回復中とのことです。腓骨って、折れちゃった脚の骨の具体的な名前だと思うんだけど。彼は、自分のことで大騒ぎしてほしくないし、華々しく英雄を気取るつもりもないんですって。孤児院代表として、私も何度か日を改めながらお宅へ伺って、公式にお礼を伝えようとしてる。でも、そのたびに玄関先で「先生はお休みになっていて、起こさないでほしいとのことです」って断られちゃうの。最初の2回は、私もマクガーク夫人の言ってることを信じたけど、3回目以降は――ええ、私はドクターって方を存じてますからね! そんなわけで、うちの小さなお嬢ちゃんが、本人はよくわかってないまま命の恩人にさよならを言いに行くことになったときも、ベッツィに連れていってもらったわ。
 彼が一体どうしちゃったのか、私にはさっぱりわからない。先週はそれでも友好的だったのに、いまじゃ、私が何か彼から意見をもらいたいと思っても、パーシーさんに伝言をあずかってもらわなきゃいけないの。個人的に私と仲よくするつもりがないにせよ、孤児院の院長としての私には会ってくれてもいいはずだと思うんだけど。サンディのこういうところ、間違いなくスコットランド人的だわ!

あとから
 この手紙をジャマイカまで届けるには、相当な切手が必要になりそう。でも、こちらで起こってることぜんぶ、あなたに知ってほしいんだもの。こんなにも面白い出来事ばかり起こるなんて、1876年に孤児院が創設されて以来、初めてのことよ。火事があまりにも衝撃的だったから、私たち、あと何年かは元気いっぱいで暮らせそう。思うんだけど、どこの孤児院も、25年ごとに火事で全焼したらいいのよ。それで、旧式な施設や時代遅れの考えから脱却しちゃうの。去年の夏にジャービスさんのお金を遣わずにおいたこと、いまとなっては心から喜んでます。そのお金を費やした建物が燃えちゃってたら、最悪の悲劇だったわよね。創設者ジョン・グリア氏の建物についてはたいして気にしてません、聞いた話じゃ、阿片の入った薬の特許で築いた財産だったってことだし。
 燃え残った残骸は、もう板張りの上からタール紙でおおわれて、私たちはその一角でなかなか居心地よく暮らしています。職員室と子どもたちの食堂と厨房にはじゅうぶんな広さが確保されてるけど、このあと、もっと長期的な計画についても考えることになりました。
 私たちに何が起こってるか、わかる? 神さまが私のお祈りを聞いてくださったの。ジョン・グリア孤児院は、コテージ式の孤児院になるのよ!

北半球一の多忙な人物たる
S.マクブライド

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