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ジーン・ウェブスター「あしながおじさん」ペンギンブックスp.114~115

1月9日

 おじさま、これをすれば永遠の救済を確実に得られる、というような善行をしてみたいと思いませんか? ここに、絶望的なほどの貧困にあえいでいる一家がいます。母親と父親と、4人の子どもたち――この上にあと2人いた男の子たちは、自分たちの力で未来を切り開くんだと出ていったきり、何の音沙汰もありません。父親はガラス工場で働いていましたが、結核にかかってしまって――労働環境がひどいんです――いまは病院にいます。これで貯金はすっかりなくなってしまい、一家を支える役目は、24歳の長女が一手に引き受けなければいけなくなりました。彼女は1日に1ドル50セントもらって、お針子をしています(仕事があるときは)。夜には、テーブルクロスに刺繍をする内職。母親は体がじょうぶでなく、信仰心はありますが何もできません。いつも、娘が過労と責任感と不安とで死にそうになっている間、辛抱強く耐え忍ぶ風情で、手を組んですわっているだけです。一家がどうやってこれからの冬を乗り越えていくかなんてことは、この母親にはわかっていません――そして、私にもわかりません。100ドルあれば、石炭と、子ども用の靴が買えます。そうすれば、3人の子どもたちは学校に行けます。少しはお金に余裕ができて、長女だって、仕事の依頼が数日間ないようなときでも、不安で死にそうにならなくて済むはずです。
 おじさまは、私が知ってる人の中でいちばんのお金持ちです。おじさま、百ドルを援助していただくことはできないでしょうか? この娘は、私よりももっと援助を受けるに値する人です。この娘のことじゃなかったら、こんなことおじさまにはお願いしません――母親がどうなったってたいした興味はないんです、あの母親は意志のない人です。
 そんなこと全然思ってもいないくせに、目を天に向けて「こうあることがきっと最善なのです」なんて言う人には、私、本当に腹が立ちます。謙譲でも忍従でも好きな言葉で言えばいいですけど、そんなものは単なる無気力です、怠惰です。私の信仰はもっと好戦的なんです!
 哲学の授業では、最強に面倒くさい課題に入りました――とくに、明日のショーペンハウアー。教授ったら、私たちは哲学以外にもいろんな勉強をしなきゃいけないってことに気づいてないみたい。変わったおじいちゃんです。いつもふわふわした雲の中にいるような感じで、たまに地面に落ちてきては、ぼんやり瞬きをします。ちょいちょい冗談を言っては、講義を楽しい雰囲気にしようとしてるようで――私たちも一生懸命に笑ってあげようとするんですけど、その冗談っていうのが本気で笑えないんですよ。講義の合間には、物質が本当に存在するのか、あるいは自分が存在すると信じこんでいるだけなのかを解明することに、すべての時間を費やしています。
 あのお針子なら、物質の存在を疑ったりしないでしょうね、絶対!
 おじさま、私が書いてた新しい小説はどこへ行ったと思います? ごみ箱の中です。全然いい作品じゃないと気づいちゃったんです。作家本人だって気づいてしまったんですもん、世間の批判的な目はどう評価するでしょう?

(続く)

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