岡本太郎の詩「花−太陽」について
mast Advent Calendar 2021 (#mastAdC) の14日目の記事です。
13日目はKish.さんがもうすぐ書くかもしれません。
岡本太郎は、「芸術は爆発だ」と言ったが、その言葉の真意はやや誤解されている。
彼の言う「爆発」は、生命力の輝きである。
生命が輝くことを彼は「生命がひらく」と表現した。
内側から外側へのひらき。
岡本太郎の思想的な主張は「対極主義」という。
対極主義とは、以下のようなもの。
理想と現実、ウチとソト、嘘と真実のような二項対立のせめぎ合いの中にこそ本質が存在する。
彼は現実でも理想でもなく、二項対立のどちらか一方でもなく、矛盾する両者がぶつかり合う瞬間に生命は輝くのだと語った。
そして芸術家は、現実から手を伸ばして、苦しみながら理想を手に入れようとする存在であるという。その芸術家が産んだ作品こそが、現実と理想の狭間に位置するものであり、両者のせめぎ合い・ぶつかり合いの刹那を切り取ったものであると。
また、芸術家でなくとも、人間は誰しもが現実と理想のギャップに苦しめられ、もがき続ける存在であるのだと伝える。
表題の詩は、そんな人間が持つ苦しみを表現した作品である。
幼児が空を見上げると、そこには痛々しいほどの光を放つ太陽がある。
彼(彼女)は、その太陽を掴もうと、手を伸ばす。
しかし、掴めない。空しい。
現実と理想という受け入れ難い真実を知る。
幼児にとっての「太陽を掴む」という願望は一生満たされない。
その苦しみが癒されることはない。
この詩は、理想を叶えることのできない幼児の苦しみを描いたものだが、芸術家の苦しみと本質的には同じである。
芸術家の前には超え難い理想の壁がある。その壁をじっと見つめ、現実の地点から、もがきながら登ろうとする。
しかし、絶対的に理想には到達しないことがわかっている。幼児が太陽を掴みたいと思うのと同じことなのだ。
芸術家が生み出す作品は、もがき苦しむなかで生まれた傷口であり、鑑賞者はそれを通じて芸術家の心のうちを知る。
理想と現実、その狭間にこそ本質があり、両者がぶつかり合う瞬間に生命が”ひらく”。
生命の”ひらき”には苦しみが伴い、傷口をつくる。
苦しみながらも、生命が”ひらく”瞬間こそが、爆発である。
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