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『日記というものを…』 April/16/2020

 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。と言ったのは紀貫之。初めて読んだ時には、なんで男のくせに女のフリして日記書く必要があんねん、と思ったものだけど、漢文と仮名文字の関係や、歌人である貫之故の和歌とのつながりなど、その背景を知るにつけ「貫之、お前さんデキる子」と軽くリスペクト。
 日記というと思い出すのは小学生の頃で、毎日日記をつけていた。と言ってもこれは、父の仕事の都合で1年ほど通ったオランダ日本人学校で毎日日記を書いて出さなくてはならなかったからで、決して自ら進んで付けていたというような意識高い系小学生だったからというわけではない。それにしても今考えると大変なのは先生で、毎朝クラス全員から集めた日記を全て読んで、コメントまでつけて帰りの会の時に返却していたのだから、これはご苦労なことだと今更ながらに頭が下がる。
 これが習慣になったのか、ここまでやったら何冊目までいくのか挑戦したくなったのかどうかは思い出せないけれど、日本に帰ってきてからもしばらくは日記をつけていたように思う。
 強制性があって始めたこととはいえ、この習慣の恩恵は大きく、凡そ40年を経た今に至って尚文章を書くことが好きでいるということなどはその最たるものかと思う。おかげで小学生の夏休みの宿題の中でも嫌いなものランキングで常に安定して上位を占め続ける読書感想文などはモノの1時間もあれば終わらせていた…気がする。内容の質はともかく。
 とまあこんな経緯もあって、日記を書くことの恩恵は大きいのだよな、もし自分にも子供ができるようなことがあれば日記を書かせてみよう、とほんのり企んでいたりもしたけれど、子供が嫌がった…とかそういうこと以前の根本的な事情で実現していない。うるせぇな、ばーかばーか。
 いつだったか、実家で自分の荷物を整理している時に当時のの日記群を発見した。昔の俺ったらどんなこと書いてんのかな、と思ってページを開くと「○月×日△曜日、とくに何もなし」「◆月□日☆曜日、晴れた」「◎月★日◇曜日、ずっとねてた」…1週間のうち4日はこんな感じだった…

 あれ…?

 えっと…

 作文能力やモノを書くことの好き嫌いと日記を付ける習慣の間には余り相関関係はなさそうだということがよく分かる。
 思い出バイアスというものがいかに現実と乖離しているかという実証実験としてはまずまずの結果を導き出したと言える。

そんな、日記といふものを、おっさんもしてみむとてするなり。

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