去年、六月某日。

よくアニメやドラマ、映画などで「目まぐるしくすぎる生活の中で〜」ってありますよね。

実際の生活は淡々と過ぎていくものだなと思います。
そのリズムに殺されそうになっている時に、

不思議な雰囲気を持った女性に
「好きな詩はない?それがあれば大丈夫と思えるお守りのようなもの」
と言われた。

この人は、私とは違うと思った。私はただ地に蹲って、苦しんでいる。この人はその中でも、上を向こうとしているんだ。そういう感性を持った人だ。
当時は何が詩だよ、そんなものに、興味無いし、
斜に構えて評価していた。
そんなことを包み隠しながら答える。

「すみません。詩に触れてこなかった人生なので、良ければ教えてくれませんか」

あなたが持っているそのお守りとやらを、みせてよ、とはいえなかった。でもそう言ってしまいそうになるほどに、私の興味は溢れていた。

私の頼みに、静かに頷いた彼女は、ゆっくりと煙草を置いて、茶色の革に、椿の刺繍が入った手帳を取り出す。私の前でそれを開くと、口には出さずに、文字を指さした。
そこにはこう書いてあった。

「またいつか」といわれました その声があんまりやさしかったので もう けっして「いつか」はこないと おもいました

工藤直子『さようなら こんにちは』

不思議と見つめてしまった。
その文字を、筆圧を、線の震えを。
この人がどんな思いで、この文を書いたのか。
工藤先生ではなく、今まさに、目の前に座っている彼女が、どうしてこの詩を大切にするのか、
読み取りたかった。
40秒ほど経った時にハッとして彼女の方に目をやる。しまったと思った。土足でズカズカとテリトリーに入りすぎてしまった。しっかりと聞くべきだ。そうしないと、勿体ないという、自分本位の理由から質問する。

「じっくり見てしまってごめんね。なんでこの詩が大事なの?」

「全然平気だよ。理由かぁ。なんだろう。
人によって捉え方も違うし、その時の気分によっても変わるものだと思うけれど、ただ、傍に置いておきたい言葉なのは変わらないんだ」

「そっか。」

これ以上聞くのは、野暮だと思った。彼女に聞いても、答えてくれるものでは無いだろう。
だからこその特別で、お守りなんだ。
その後は、ただゆっくりと話していた。
詩について話すことはもうなかった。
そうして、時間が過ぎて、
私たちは、各々帰路に着いた。

それを機に、彼女とは会っていない。
彼女は学校からいなくなったのだ。
不意に、泡のように消えた。
一度、私の元に連絡が来ていたらしい。
送信が取り消されていて、
何を伝えたかったのかは、未だに分からない。

ほとんど何も知らない相手なのに、好きな詩は分かる関係のことをなんというのだろう。その日から、私は時折、詩集を買う。
少なくとも、私は彼女に感化されたのだろう。
少しは上を向けるようになったのかもしれない。学校は辞めた彼女は、今蹲っていないだろうか。まだ手帳を持っているのだろうか。
どうか、生きていて欲しい。


歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの

茨木のり子 『歳月』

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