救われた1文

人は他人に弱さを見せない生き物だと思う。
そこには信頼関係の有無や、その人の性格が濃く反映されている。
ひねくれ者である私は、
そういった真実を隠して生きたいと願っている。
本当は、真っ当に生きたい。
胸を張って現実と向き合いたい。
これが私だからと嘘をつかずに生きるべきなんだ。
自分の理想と、現在の状況。
どちらも理解出来てしまうからより辛い。

オードリー若林さんのエッセイの一文を紹介したいと思う。
「真実はあまりに残酷で、あまりに美しくて、まともに向き合うと疲れてしまうから。真実はたまにぐらいが丁度いい。」
「何かに酔って、現実の輪郭を少しだけぼやかさせ続けながら生きる。」

それでいいんだと思わせてくれる言葉だ。
そう認められるきっかけになる言葉だ。

私は理想を実現させなければ
価値のない人生だと決めつけて、自分を苦しめていたんだ。そういう人は少なくないと思う。
志望していた大学に行けなかったから、価値がない。
大会で優勝できなかったから、価値がない。
結果や、事実を基準に生きる人生。

人に配慮をし続けて、自分を殺して遠慮までしていた。誰のための人生なのかも分からなくなっていた。誰だって自分が可愛いなんて、理解が出来なかったけれど、もっと可愛がってやろうと思えた。子供もいないけれど、初孫くらい可愛がってあげよう。自分のために、環境を整えることは、悪ではないんだ。社会に属す意識が高すぎて苦しかったけれど、たまに顔出すくらいがいいのかもしれない。
そうしたら、自分と現実との隔たりが良い距離で保てるはずなんだ。

彼のエッセイ本は、また私の話を聞いてくれたような気がした。背中を押すのではなく、ただ隣で聴いてくれたような気がする。本当にありがとう。

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