仮面ライダーオーズ10th 復活のコアメダル 感想

 初めまして。普段TwitterでダラダラしているT&Pと申します。今回は仮面ライダーオーズが本編放送から10周年と言うことで作成された『仮面ライダーオーズ10th 復活のコアメダル』を見た感想を書いていきます。noteを書くこと自体初めてなので何かと読みにくいところがあるかと思いますが何卒ご容赦ください。また、思いついたままに書いているので内容に関して触れる際時系列等がぐちゃぐちゃになっている場合もございますがあらかじめご了承ください。





【注意】本記事はV CINEXT『仮面ライダーオーズ10th 復活のコアメダル』の内容、及び上記作のパンフレット等記載の情報に関する重大なネタバレを多数含んでおります。映画本編をまだご覧になられていない方はどうか一度真っ白な状態で覚悟をもって、映画本編をご覧になられてからこちらへお戻りいただけると幸いです。

 また、本記事には筆者の主観による考察等が書かれている可能性があります。もし『自分の解釈と違う!』と憤慨された方はそっとこの記事を閉じて右上の投稿ボタンからぜひご自身のお考えを投稿なさってください。私はより多くの意見に触れたいです





















  よろしいですか?

 では内容に関して書かせていただきます。今回の作品(以下オーズ10th)を見た率直な感想は『本当に終わらせに来たんだな』というものでした。火野映司の死をもって『オーズ』が1仮面ライダーという戦士としても、紡がれた平成ライダーの1冊としても完全にエンドマークを打たれました。恐らく今回一番賛否を分けるのはここなんでしょう。筆者としての感想は『正しさ100点、苦しさ5000兆点』といった感じです。映司が自らの身、もっと言ってしまえば命に対してどこか無頓着な、自己犠牲的な部分があるのはTV本編でも散々示唆されてきた部分であり、彼が仮面ライダーとしての戦いと関係ないところで終わりを迎えるのはある種の必然ではあったのかなとは思います。幼鈴木福さんの出演でも有名な爆弾魔の回(TV本編9.10話)のような無茶な行為を続けていれば、いつかはその被害に巻き込まれて命を失う。それはこの作品を見る前からあった感覚ではありました。問題はそれが公式によってガッツリ映像化してしまったこと。同じく賛否を呼んでいた『仮面ライダーバルカンバルキリー』は『とても苦しく、しかしAI問題というのは我々も考え続けなければいけない永遠の命題である』と感情的辛さが先に来るものでしたが今回は『確かに火野映司ならそうするだろう。だけどこんなことって……』と納得が先行してその奥からクソデカ感情が押し寄せてくる感じです。

 パンフレットでもほぼ全演者及び監督と脚本家が『その賛否両論を受け止める覚悟』という辺り、本当に全てにケリをつけてきてます。


アンクの復活について。

 インタビューで触れられていたように単純な『アンク復活の物語』は既に『仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX』にて描かれているんですよね。(筆者は平成ジェネレーションfinalに登場したのは映司の台詞や消え様などから別個体アンクと認識しています。) だからいきなり復活しており、その原因は終盤に明かされる。それはシンプルに脚本がうまいと思いました。ホイホイ簡単に生き返れせるわけにもいかず、かといってそこまでの苦悩を描くだけの尺はない。ならば開幕で既にことが終わり、代償も支払われている。それが形として凄く綺麗にまとまっているなと。払う対価も決して安くない。『安易に復活させんなよ!』→『じゃあ激重復活させるわ』の流れは間違いではない。



ゴーダというグリードについて。

 元々映司はTV本編で恐竜グリードになりかけ(ほぼなって完了していた)のがメダルの消失によってなんとか元に戻った。それでもなお有り余る欲望というのを見せられて只々恐ろしさを感じました。映司の『より多くの、出来るだけたくさんの手をつかめるようになりたい』という願いを曲解した結果、古代オーズのメダルに手を出して、仮面ライダーゴーダへとなり果てたのを見ると恐竜グリードやプトティラコンボはあれでもまだ映司の無意識による欲望への箍がついていたのかなぁと戦慄するばかり。彼、基本的に『すべてのメダルを集める→最強の力を手に入れる』という欲しか求めてないんですよね。その過程で抵抗してきたアンクや邪魔をしてきた伊達さん後藤さんを邪魔こそすれ、手に入れた力を誇示するように辺り一帯を爆破したり、無意味に襲来したりしていない。勿論尺の都合だとか、アンクのメダルを奪った後にやるつもりだったとか考えることもできますが、個人的には全コアメダルを吸収したことで満たされ、ゴーダも消滅してしまうのではないかと考えています。あらゆる人を救える力を手に入れた。でも救うべき人達はもう殆ど残っていない。映司だったらここから『じゃあ残された人たちの復旧作業を手伝おう』となるんですが『力』に絞って願を歪めた(イマジンのようなイメージ?)ゴーダはそこで完結してしまい身動きが取れなくなって崩壊してしまうのではないか。他のグリードなら原初の欲望である「欠けた分のメダルを満たしたい」という欲が戻ってきた感じ?下手に映司の記憶や人格を乗っ取った手前、じゃあ大量殺戮へとは発展しにくい気がするんですよね。まぁ倒されちゃった以上どうしようもない考察ですが。



様々な憑依映司について。

 佐藤健もかくや、といった見事な演じ分けに驚きました。個人的に特に驚いたのは対ウヴァ戦のアクションシーン。渡部さんのボイスアクトだけでなくスーツアクター(一応憑依とはいえ主人公だから浅井さんが入っているのかそれとも『ゴーダ』の枠組みで固定で誰か入っているのか)さんの動きの数々。タトバフォームから映司の声がするのに、パンチの仕方とか剣の振るい方が全然違くて、少女の件で薄々『こいつ本物の映司じゃあないな?』と気が付き始めていた視聴者を確信に引きずり込んでくれていました。日野聡さんの声当てもとにかく上手い!映司の記憶と人格を有しながら映司と全く違う別の意思を綺麗に演じられていました。そしてアンク憑依。MEGA MAXでの擬態と似たようでまた違う。ある意味最終回のロストブレイズ(ロストブレイズはフォームではなく技名、というのが通説ですが呼称がメンドクサイのであのフォームもまとめてそう呼ばせていただきます)以上にアンクと映司が一つになれた瞬間でした。



対仮面ライダーゴーダについて。

 東映お馴染みの『倒せない奴とりあえず内側から蝕んどけ』シリーズ。グリードの体構造からしてもまぁ妥当だし、ゴーダのオーランダサークルが真ん中黒のままなのはあそこに取り込んだアンクの意匠が入るんだろうなぁと想像できたので展開的にはある意味想像通りでした。ただ、個人的にプトティラのメダル大量ショットがやや安売りされてないかなぁという気はしました。恐竜のコアメダルがあるのはいい(復活理由が示されていないのは他グリードや旧オーズも同じなので一旦据え置き)、そして『無に帰す力』を持つプトティラフォームがフィニッシャーになり800年前のオーズにとどめを刺すのも良い(序盤にガタキリバでウヴァさんのメダル破壊しようとしてたのはなんなんだろうね)。そしてメイン必殺技が『凍らせて、後ろ向いて尻尾で薙ぎ払い砕く』と使いにくいのもわかる。でもメダ大量噴出のさせ方雑じゃないか?メダガブリューで通常攻撃振るっただけだぞ?まぁそれを差し引いてもかなり完成度の高いライダー(怪人?)でした。でも古代オーズからゴーダになって片手カマキリ片手虎が両方トラクローになったのは許さない。



タジャドルエタニティについて。

 ロストブレイズオマージュ、それだけで泣けますね。しかもアンクは映司の体に憑いているから両側の記憶に触れている。その状態で『やりたいこと』の件を出してくるのズル過ぎるよ。あれだけで全部許しちゃうもん。ロストブレイズは『アンクの意思が籠ったメダル』を使ってるから思念体的存在のアンクが出てきて共に戦ってくれるのに対して、じゃあ今回のはなんで映司が出てこれたのか。『映司の体を使ってるから』だけだとちょっと弱い気がするんですよね。同じく重体だった泉信吾はアンクが憑依を解くまで一切抵抗してきませんでした。ゴーダに則られてた時に抵抗してたから『映司は良太郎のような憑依に対する抗体のようなものがある』(やや語弊のある言い方ですが特異点のあれこれは本題ではないのでスルーして下さい)という解釈もいいのですが個人的にはアンク、鳥系メダルのグリードが『死』という満足の『感情』を受け入れて『生き物』になった影響でタジャドルに何か意思に反応する力が生まれたんじゃないか、と考えています。奇跡の力、ですからね。何があってもおかしくないです。そして必殺技。コンドルの上下鷲掴みが四方向になってより破壊力を増す。シンプルで、かつ動物モチーフを崩さないいい強化だと思います。タジャニティスピナー到着が今から楽しみです(オーズドライバーより先に届くけどどうやって遊んで待てばいいんだろう……)



バースXについて。

 予告編を見た時筆者はオーズドライバーをそのまま横に倒した感じの者がついてて、メダルは横から差し込み、X型のスキャナーを上下にスライドさせて読み込む(刃王剣十聖刃のイメージ)だと思ってたんですが、バースの上から落として投入の形はそのまま踏襲。それだと入れた順と入れ終わった後に並ぶ順逆にならんか?と思ったらしっかりソカビになってましたね。てか鴻上会長、ムカチリでゴーダ生まれちゃったのにそのあとも開発続けてビカソ揃えて、さらにサラミウオがポセイドンになって。マジでこの人が全ての元凶過ぎない?マッチポンプが過ぎる。あと、『バースX開発中だからバースドライバー1つしかありません』というのはどうなんだろう。恐らく「見切り発車」の件や尺、スーツの都合的に仕方なくはあるんだろうけど、抗争中に現役の戦力を開発に回すのはちょっと個人的には微妙でした。こちらはCSM開発ブログでも記載されていたように「初のオースキャナー以外にメダルを読み取れる装備」と言うことで玩具方面の拡張性の方ではかなり期待値が高いです。値段は怖い。



グリードについて。

 ウヴァさん以外の個人戦闘シーンが無かったのはちょっと残念。これも予算とか尺の都合が大きそうなので仕方なくはあるんだけども。そのウヴァさんもゴーダ憑依故に割と圧倒され続け、メダルも奪われ、果てにはパンフレットにしっかり『逃げ帰る』と書かれてしまう始末。相変わらずのどこかお笑い枠じみた扱い。あとトドメのガタキリバキックが回転アングルで下から舐められるの、同じくガタキリバが出てきたジオウ本編のアナザー電王撃破をちょっと意識してるのかどうか。結果あっという間に吸収され、他3人もそのまま古代オーズの一部に。対ガラ戦のボンディングエイトのときみたいに協力してほしいわけじゃあないけど、どこか消化不良感はあったかもしれない。折角フルキャストで呼べたのだから冒頭の殲滅以外にも圧倒的強さを見せて欲しかった。



復活のアレコレについて。

 アンク以外の復活理由に関しては殆ど触れられていなかったけれどこれが明日公開される前日譚の方でわかるのかどうか。一応の予想としては「なんらかの原因で(本編で原初のタトバに変身した辺りが関係してそう?)800年前のオーズ復活」→「部下及び吸収して戦力とするためにコアメダル及びグリードを再造」→「殆どのメダルがブラックホールに飲まれるかプトティラによって破壊され消失していたので新造できたが映司と比奈がタカメダルの破片を保管していたため意思の核を形成できずアンクだけ復活せず」みたいな感じ(鴻上会長が生み出したのは新グリードであるゴーダ。アンクが映司の願いによって復活したのは映司が古代オーズにやられかけてたタイミングのため前述のものより後)。グリード自体は本編でのアンク(ロスト)のように『欠けたメダルを満たしたい』という欲望から割と簡単に生まれちゃうけれど、古代オーズは中々難しい詰めではあると思う。



映司の死について。

 タジャドルエタニティからの変身解除時に映司がアンクを外に出す、言葉を選ばなければ突き飛ばして弾き出したようなしぐさ。あれは映司のアンクに縋って生きるより『火野映司』として死にたい、という意志の表れなのか。泉信吾に入った、メタ的に言えば三浦涼介氏が演じるいつものアンクと最後に話したかったのか。『お前が掴む腕はもう俺じゃない』への意趣返しで今度はアンクが『掴む』側に回ったのか。脚本の毛利氏曰く『風都探偵のようなハッピーエンドにするには火野映司は業を背負いすぎている』。渡部秀氏曰く『ようやく永遠の旅人になれた』。火野映司という存在が今まで縛られていた『掴める範囲の腕ならすべて掴み、自らもろとも引き摺り落されそうになっても迷わず引き上げようとする』性からある意味解放され、かつてどうすることもできず絶望に打ちひしがれたが今回は少女も救い、アンクの復活という悲願も果たし。思い残しがないわけでは全然ないけれど、後悔無く死ぬことができるある意味綺麗なタイミングではあったのかもしれない。なんにせよ「このまま共に生きる」道を、恐らく一番すべてが救われる道を、敢えて映司自身に手放させる。『完結編』を謳う以上の覚悟を感じた。



ストーリーの締めについて。

 あまりにも触れなさ過ぎてここは少し不満が残る。グリードとして独り取り残されたアンクは、殆どが滅びかなり生活水準も文明も衰退した比奈達人類は、破壊された地球は、これからどうなるのか。たとえそこを決められなくても、必死に生きる人類が映ったり、映司の遺志を継いで世界を巡るアンクの影があったり、あるいは倒れていった仲間たちの亡骸や墓が写されたり。なんらかそういう描写があっても良かったのではないかと、個人的には思う。最後に映司のパンツといつもの棒きれが映っていたのは恐らく彼の墓なのだろうが『火野映司』の物語はアンクが目を閉じてあげるシーンで既に終わっているわけで、そこを強調しすぎるということはないが他をやや蔑ろにしている感じはした。感覚的には(全然関係ない他作品で申し訳ないが)ジョジョの奇妙な冒険4部最終回の広瀬康一による「この町の痛みは~」のような独白が比奈辺りから入ってくれたら真の意味でこの『世界』を仮面ライダーオーズという『物語』を閉じることができたのかなと思う。



まとめ

 冒頭でも触れたが、キャストスタッフ全員が覚悟をもって『オーズ』の完結を目指している作品。個人的にはやはり『映司の死』は重くのしかかってくるし、あまりにも禍根を残す殲滅戦で、色々思う所はあるが一番近くで『仮面ライダーオーズ』という物語を見守り続けてきた彼らがそれを選ぶなら止める術も権利もないという感覚。恐らく批判をかなり買うであろうことは想像に難くないが、この結末を選んだ以上、キャストやスタッフ、今作品制作に関わった全ての人物に『これが、仮面ライダーオーズだ』『これが10年分の欲望だ』『これが火野映司の向かう答えだ』『これが、いつかの明日だ。』と胸を張っていて欲しい。中途半端に萎縮するより、この選択に誇りをもって、それぞれの道へ進んでいってほしい。そう、強く願ってこれを本記事の締めとさせて頂きます。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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