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ジャグラーの岡本晃樹さんと、ダンサー/書道家の黒沼千春さんのダブルビル公演”I/O”を鑑賞しました。

ジャグラーの岡本晃樹さんと、ダンサー/書道家の黒沼千春さんのダブルビル公演”I/O”を鑑賞しました。
今回は緊急事態宣言下でもあった為、会場公演は中止になり、オンライン公演のみでした。このような社会情勢の中で、むしろオンライン、映像だからこその表現を模索されているようにも見える、実験的要素も十分にある公演であったように思います。

それぞれが2作品ずつ、合計で50分という公演でした。
作品のプレゼンテーションを行うアフタートークを行う回もあったようですが、僕が鑑賞したのは公演のみの回でしたので、読み違えている部分も多いとは思いますが、簡単にそれぞれの作品の感想です。

Coordinated distans(Teruki Okamoto)
ジャグリングとプログラミングの技術を組み合わせた意欲作。複数のボールがそれぞれ点になって、他のボールと繋がっている。地面に全てのボールがある時は、ボール同士が頂点になって、それぞれのボールが個別に存在するわけではなく、ボール同士が繋がり、面を作る。パフォーマーがボールを持つとボール同士が線で繋がり、その線がジャグリングの動きに従って複雑な線状の模様を空中に描く。時折、パフォーマーのボールと地面のボールとが繋がり、それらはまた、ふとした瞬間には途切れる。

複雑系と化した人間関係の関係図のようでもあり、”物”が持つエネルギーのようなものを可視化したようでもある。僕らは普段から人と”繋がる”し、ある場合には動物や”物”とも繋がる事が出来る。繋がりが深い人もいるし、お気に入りの物は他の物より強く繋がっているような気がする。実は繋がりにはエネルギーがキチンとあって、そしてそれにはちょうど良い距離感というものがあるのかもしれない、と問いかけられているような作品でした。

A part of empties(Teruki Okamoto)
大きく映し出される影とのジャグリングパフォーマンス。物理的な要素とは違い、影そのものにはエネルギーがない。それでも、極端に明るい光に照らされる事で逆に見えづらくなる物理的な身体と物とは逆に、本来実体の無いはずの影の方が大きく、見やすく、力強く、見ている側に表現をしてくる。ある意味でそれは実社会のシニカルなメタファーのようにも感じられます。

Flow(Chiharu Kuronuma)
アクリル板に書いた文字のパーツが並んでいる中で、書の美しさを表現するようにシンプルさの中にダイナミックな動きのあるダンスを行っていく。途中、それぞれのアクリル板をカメラのすぐ傍に持ってきてパーツを重ねていく。極端にカメラの近くにある文字と、奥で踊るダンサーの動きが重なって、まるで人が書の一部になったように感じさせられる。それはそれぞれが線の塊でしかない物が組み合わさる事で「書」という芸術が生まれる様と同じ事なのかもしれない。
映像作品の表現として、それまで引きのアングルで二次元的に鑑賞していた所に、パフォーマーが極端に近くにきた瞬間、まるで第4の壁が突き破られれたかのような衝撃を受けました。

Gravity
印象的な筆運びの映像とダンスのパフォーマンス。人は当然のことながら普段から重力の影響を受けている。重力を受けた当たり前の動きを、例えば上下に反転させただけでなんだか見慣れない、不思議なものに見えたりする。例えば踊りというものは実生活ではやらないような動きをやる事で、何かを表現したり美しさを際立させたりするものだったりします。それは表現的にも比喩的にも重量からの解放、なのかもしれません。
もしそうであるなら、実は踊りとは人間の身体だけではなく、筆の運びで行う事も可能なのかもしれません。そのようにして行われる書道とダンスは、相互に影響しあい、単なる2つの表現の組み合わせではなく”進化”に近いようにも思います。


何よりも精力的な作品作り、そして発表の場を作る事そのものが素晴らしいと感じます。パフォーマンスのオンライン化はまだまだ黎明期ではありますが、やはり大きな可能性を秘めているのだなと感じずにはいられない公演でした。

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