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育児の方針がブレることはむしろいいことなんじゃないかしら?

先日、ある集まりで育児感を共有しあった際に、
育児の方針がブレてしまういう悩みが共有されていました。

私自身も子ども達に対してブレてばかりなので、
その方のお話の内容に感じることがたくさんたくさんありました。

その時に共有されたお話の中身が、自分たちも数年前に迷ったところだったから、
且つその迷いの延長線上に今もまだいるような内容だったから、
その時はついついその中身に私の気持ちがむいてしまい
その中身のお話をしてその場は終わってしまったのだけれど、
振り返ってみて、「そもそもブレるってどうなの?」
って考えてみたくなったのでした。

私にとって、自分の気持ちがブレるということは、
あまり心の据わりのいいことではなく、
なんとなく不安になってしまうような。。。
そんな感じ。あまりいい気持ちではないです。

だからいつもブレてる自分に対してネガティブな思いを抱えていて、
特に育児関しては、もっと芯の強い母だったら、信念のある母だったら、
子ども達はいきいきするのかなぁ?なんて思ったりしながら、
時に重苦しい気持ちになったりしてしまうことの繰り返しです。

でも、ブレることに悩んでいる方とお話したことで、
自分のことも少し客観的に見られるようになって分かったのは、
ブレるということはそこにそれだけ選択肢があることなんだということでした。

気がついてしまえば至極当然のことでも、
渦中にいるとなかなか気がつきにくいもの。
自分からの目線では、ブレることのネガティブさばかり気にしていたけれど
反対側からみたらそれだけ選択肢があるってことなんだなと気がつきました。

そもそも選択肢があるっていうのは幸せなこと。
子ども達にはいろんな選択肢を与えたい!
いろんな選択肢に出会えるように歩んでいってほしい!
そしてその時に一生懸命考え抜いて自分が一番いいと信じる道を進んでほしい!

そう願っているのに。。。。
自分が選択肢を前にして悩んでいることを悩んでいるって、
なんかちょっと変だな。

そして、選択肢があって、そこに対してブレてしまうということは、
それだけそのことについて真剣に向き合っている証拠なのかな。
と、いうことも思うようになりました。

いくら選択肢があっても、迷わず決断できるくらい
自分の気持ちが定まっている時ももちろんあると思うけれど、
でも育児関しては特に、
決断する内容は自分ごとではなくって、子ども達の人生に関わることで
自分の信念だけで決めていいものばかりじゃないから悩む。悩む。悩む。
そして、ブレる。ブレる。ブレる。

軸が定まっていって即決できることももちろんもちろん素敵なこと。
そういう軸を子ども達も持ってほしいということは常々願っているけれど、
でも同時に、その軸に縛られるようにはなってほしくないし
その時その時一生懸命向き合って考えて
しなやかに生きていけばいいんだよ〜とも思っている。

私も、私自身に関することならある程度軸は定まってきているように思うけど、
でもその軸だけでは決められないことはたくさんたくさんある。

そういう時には一生懸命悩んだらいい。
その姿を子ども達に見せたらいい。
その姿から子ども達が何かを感じとってくれたらいい。
そんなふうに思えるようになりました。

世の中育児に関する情報も溢れているけれど、
自分たちと100%合致する情報なんてあるわけない。

住んでる環境、家族構成、それになにより、親も子もみんなそれぞれ違う人。
いろんなパターンといろんな可能性があっていいわけで、
どの選択が正解で、どれが不正解かなんてあるわけがない。

なので、一生懸命ブレたらいいんだ!
ブレて、悩んで、たどりついた結果を積みかねていくしかないし
それがその人(達)の正解なんだ(いや正解ないけど)!

と、いうことでブレることをポジティブに捉えて向き合っていきたいなぁ。
と、思った話でした。

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