■ 東之御嶽 ■

画像1 東之御嶽は世持神(ユームチガミ)として集落の東、阿壇が繁る砂丘に石灰岩造りの石祠が設えられ、東海楽土のニライカナイから豊穣、繁栄を招く神として崇められました。御嶽は子供たちの遊び場、砂糖樽用の樽板や日干し物の干し場、村遊びの際の出し物の稽古場として村人に利用されていました。
画像2 1945年、泡瀬全域が米軍施設に接収された際、石祠とともに砂丘全体が消滅しました。1983年、泡瀬土地区画整理事業に伴い現在の場所に整備されました。
画像3 東之御嶽を入ってすぐにあるのが「新井泉」です。 新井泉は、かつて野良仕事や漁の帰りに使用されていたと伝えられています。1945年以前、路地の傍らに簡素な穴井泉跡として保存されていたそうです。戦後、泡瀬全域が米軍施設に接収され、原形は消滅しました。

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