■ 世持神社 ■

画像1 世持神社は、奥武山公園の武道館のそばにあります。1934年、沖縄の偉人を祀るため、「神社創立期成会」が結成され、野國総官、儀間真常、祭温の三名を祭神として世持神社を建設することを決定、1937年に創建されました。「世持」とは、沖縄の方言で「ユームチ」といい、「世の中をささえる」という意味です。野国総官は琉球にイモを伝え、儀間真常はそのイモを沖縄中に広めました。
画像2 明の進貢船に乗り込んだ野口総官は、唐芋(サツマイモ)の栽培方法を学び、その苗を持ち帰りました。郷里の野国村の村人に栽培法を伝えました。唐芋は災害に強く収穫量が多く、村民の食糧難を救う貴重な食物になりました。
画像3 野国村の唐芋の情報を聞きつけた琉球王府の役人・儀間真常は苗を貰い受け、琉球全土に普及させました。儀間真常は、薩摩から木綿の種を持ち帰り、その栽培と木綿織の技術、サトウキビから黒糖を精製する技術を広めるなど、琉球経済の基礎を築いた人物です。
画像4 蔡温は、琉球に帰化した中国人で琉球王府のエリート高官です。1704年、祭温は中国へわたり地理・風水を学び、帰国後尚敬王の国師となりました。1728年、三司官(大臣)に就任し、農業の復興に貢献、政治・経済で尚敬王を補佐し琉球の国政にたずさわりました。土木技術に優れており羽地川改修事業など幅広く活躍、第二次琉球王国に黄金時代をもたらしました。
画像5 昭和60年から毎年11月10日、午前11時に世持神社の例祭が行われます。沖縄県の農業・糖業関係者や三賢人ゆかりの人たちを集めて、世持神社境内でしめやかに執り行われます。その日は、波上宮から白木の神輿に収められた「ご神体」が運ばれ、サトウキビの茎やサツマイモ、沖縄産の農産物が供えられ、作法に則り御祓いが行われます。

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