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■ 西森御嶽 ■

宜野湾市の森川公園内の森の川の奥に石門がみえます。それが西森御嶽です。羽衣伝説に登場する察度王の父・奥間大親(おくまうふや)の住居跡だと伝えられています。

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天女に去られた奥間大親は後妻を迎え、男児をもうけました。名は泰期といい察度の腹違い弟になります。伝承では、奥間のかんじゃやー(鍛冶屋)で金満と呼ばれ、鍛冶屋の始祖だと伝わっています。そこから鍛冶工のことを金満と呼ぶようになったそうです。

泰期は、兄の中山王・察度の命を受けて初の進貢使として明にわたり、中国との交易時代を開いた先駆者です。明との交易により大な財を築いた泰期は商売の神様とも言われ、読谷村の残波岬にその銅像が建っています。

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この石碑は、尚清王の第七子を初代とする向氏伊江家の子孫たちが、雍正3年に建立したとされています。先祖をしのび尊ぶために泉を囲み、門を造り、また西森の前にも石垣を作り、門を開け出入りができるようにしました。尚清王の夫人は宜野湾間切謝名村の野国掟(うつち)の娘で、第七子朝義(尚宗賢)の母と言われ、野国掟は奥間大親の末裔であるという伝説があります。

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