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沖縄の史跡

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沖縄には「御嶽(うたき)」や拝所と呼ばれるウガンをする場所がいたるところにあります。観光地ではないので紹介されることはありません。場所によっては不思議な雰囲気をかもしだす御嶽や史…
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■ ハマヒチぬ主 ■

ストックフォト用の撮影を終えた後、帰りに久しぶりに奥武島に寄ってきました。奥武島の漁港に向かう途中にあるのが「ハマヒチぬ主」です。 ハマヒチぬ主は拝所で、ハーリーが行われる前にここで祈願をします。かつてはニライカナイに向かって航海の安全や豊漁を願い祈願をしていたそうです。 以前は別の場所にあったそうですが、新漁港の建設のため現在の場所に移設されました。

■ 若狭松拝所 ■

北部ドライブで瀬底島に行ってきました。ビーチへ行く途中、若狭松拝所に立ち寄りました。若狭松拝所はウチマン毛と呼ばれる広場ような場所にあります。 調べてみたのですが、情報がありませんでした。瀬底島には、まだまだこのような史跡があるので、足を運んで撮影していきたいと思います。

■ 恵比寿神社 ■

天久にある恵比寿神社に行ってきました。実際にはこの裏にある拝所を撮影に行ったのですが、偶然「恵比寿神社」を発見しました。拝所を見つけたの1年くらい前で、時間ができたので撮影に行ってきました。 恵比須神社は、現在は小高い丘の上にありますが、昔は島だったそうです。沖縄では珍しい赤い鳥居があり、階段を上がると左にトッ画の拝殿があります。名前は恵比須神社ですが御祭神は天照大神だそうです。恵比須神社は、沖宮の兼務社で沖宮の先代宮司によって創建されたそうです。 神社の裏手には拝所が合

■ 西方位神 ■

宮城島で撮影を終えた後、帰りに寄り道をしてきました。その時に撮影した拝所です。橋を渡ってすぐにある集落にあり、海も近いことから竜宮神かと思ったのですが… 小さな祠に石には「西方位神」とありました。調べてみたのですが、この祠は民俗文化財に指定されていますが、個人が建てたそうで、それ以上詳しいことはわからず…

■ 竹山御嶽 ■

桑江公園内にある竹山御嶽を撮影しました。桑江公園内で撮影している時に偶然見つけました。 かつて桑江集落の北東にある竹林があり、「竹山(だきやま)」と呼ばれていました。そこにあるガマ(鍾乳洞)を祀り「竹山御嶽」と呼ばれていました。竹山には10センチ程の孟宗竹が多数生えており、桑江集落の人たちは収穫した竹を物干し竿として利用していました。 伝承によると… 谷茶大主に攻め滅ぼされた北谷グスクの大川按司は、竹山御嶽に逃げ延びたとされています。竹山御嶽の向かいには湧き水があり、神の

■ 平島の竜宮神 ■

久しぶりに浜比嘉島で撮影をしているときに見かけた拝所です。ムルク浜近くから祠が見えたので、行ってみることにしました。 でっぱった小さな島「平島」にあり、漁港側のけもの道のような場所から行くことができます。先っぽにあるので、景色は最高です。 グーグルマップでは「比嘉拝所」となっていますが、海の近くにあることから「竜宮神」と思われます。調べても動画は出てくるのですが、テキストはほとんど見られませんでした。戦後に作られたそうで、浜比嘉島の人はほとんど拝まないそうです。

■ 前ヌ寺 ■

読谷村に撮影に行ったときに、道に迷ってしまいました。その時、偶然見つけたのが「前ヌ寺」です。沖縄では「寺」という文字がついていても、訪れて見ると拝所というコトがよくあります。 前ヌ寺は「喜名観音堂」と同等のものとされ、健康祈願や家内安全を祈願する配所です。かつては「ミンティラマーチュウ」と呼ばれた松並木があったそうで、沖縄戦で焼失しました。 ちなみに土地改良事業により現在の場所へ移設されそうですが、現在の祠はさらにその後に再建されたようです。

■ タキグサイ ■

これまでエーヤマにある拝所を3ヶ所紹介してきました。今回は4つ目のなります。現在のタキグサイはコンクリートでできた拝所ですが、戦前はエーヤマの頂上にあったそうです。戦後、エーヤマは大きく削られ、今の場所に移され霊石が祀られています。 1942年頃… 大里集落の人たちは、毎月1日タキグサイを訪れ、海外で暮らす家族や親戚たちの健康と安全を願っていたそうです。タキグサイでの拝みが終ると、村の各所をめぐっていたそうです。沖縄でも戦前戦後、南米やハワイ・フィリピンなどに移住があり

■ 久茂久岩 ■

与那原町当添にある久茂久岩(クムクジイ)に行ってきました。住宅街のなかに大きな岩があり、整備された岩の上に拝所があります。 琉球王国時代、琉球と中国の間では貿易が行われていたのですが、その貿易船が嵐などで遭難する事故もたびたび起きていました。久茂久岩は、その犠牲者を葬った場所とされています。その後、竜宮神もあわせて祀り、海の安全と豊漁をお祈りする場所となったそうです。現在では、旧正月の初拝み、初起こし、ハーリーなどの時にも祈願をしているそうです。 ちなみに、言い伝えによる

■ 神酒森拝所 ■

森川公園で別の撮影をしている時に見つけました。この道、何?と思いながら進んでいくと「神酒森拝所」がありました。 かつて、真志喜集落のノロ(祝女)が「森の川」で汲んだ湧き水で神酒(ウンサク)を造り、集落の住民に配っていたそうです。そのため森の川の湧き水は「神水」とされ、祭事の時にも使われていたそうです。現在は拝所となり、集落の綱引きがあるときには、集落の人が拝んでいます。

■ ジトゥーヒヌカン ■

エーヤマに向かう坂の途中にあるのが、「ジトゥーヒヌカン(地頭火之神)」です。祠には石碑と霊石が置かれ、ジトゥーヒヌカン(地頭火之神)とカミジー(神の土地)が祀られています。 ちなみに「地頭」とは… 琉球王朝時代、各間切(マギリ)の地頭(領主)として地方行政を担当した人のことです。間切番所の最高の役で、諸般の行政を監理する役目を担っていました。

■ カンジャーガー ■

引き続き、沖縄市大里の「エーヤマ」にある「カンジャーガー」を紹介します。エーヤマの奥のほうにある拝所です。 ここはカンジャーヤー(鍛冶屋)が使っていた井戸と言われています。戦前は、水溜りくらいの井戸だったそうですが、エーヤマが削られた際に亡くなったそうです。 現在、その場所を探し当て土管?が埋められ拝所となっています。

■ ウサチガー ■

沖縄市の大里にある「エーヤマ」に行ってきました。ひまわりを撮影しようと思って訪れたのですが、すっかり萎れており、どうしようかと困っていました。その時、小さな森が見えたので、行ってみると「エーヤマ」がありました。今回はその中にある「ウサチガー」を紹介します。 ウサチガーは、森の上にある拝所です。戦前は国道329号線付近にあったそうですが、1974年10月に現在の場所に移設されたそうです。大里集落の中で一番古い井戸とされ、かつては村の人たちが飲み水として利用していたそうです

■ 豊見瀬ウタキ ■

豊見城市にある「豊見瀬ウタキ」に行ってきました。何度か探していたのですが、たどり着くことができず半ば諦めていました。どうやら空手会館の建設のため立ち入ることができなくなっていたことが原因のようです。久しぶりに訪れてみると、すっきりしたこともあるのか、遠目からでも場所がわかるようになっていました。 豊見瀬ウタキは豊見城グスクの中にあり、戦前はアーチ状の門構えで入口は木戸だったそうです。中に入れるのはノロとそのお供の2人だけだったそうです。 ここはハーリー発祥の地とされ、毎年