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「岐津禰」No.49

          49,
 それでも杉戸は、取材で知り得たことを全て伝え、その個々の事柄、事実について、見附が興味を示し、何か質問されれば納得するまでその問いに答えた。
 だが、これは被告人の罪を否定し、これは被告人の無罪を決定づける筈だと杉戸が力説して並べる事実について、見附はその有効性を悉く否定した。
理由は、
「かも知れないが、そうとも言い切れない」
「のように見えるかも知れないが、現実的ではない」
式の、松川事件裁判で、裁判官が旧態依然、常套的に使う云い方で、杉戸の期待を容赦なく潰してくれた。
 杉戸にも重々判っていた、杉戸の知った事実は、一面、被告の無罪を立証するに有利に見えても、
「そうかも知れないが、しかし、現実的に必ずしもそうとは言い切れない」
ことは、一々否定されなくても理解していた。そこを衝かれて、杉戸は次第に不機嫌が募り、しかしやっぱり、これだけの印象的根拠だけではどうにもならないか、と判って、拗ねた子供のように押し黙ってしまうしかなかった。
 見附は、項垂れる杉戸の盃に酒を注ぎながら、ぼそっと云った、
「でも、おもしろい、ね、やってみる価値はある、かも知れないね…」
杉戸は、何か聞き間違いしたのか、と見附の顔を見直した、見附は一人合点に頷いている、
「んん、おもしろい、かも知れないね」
嘲笑われているのかと思って、杉戸は不機嫌に云った、
「何が面白いんだ?」
見附は返事をしなかった。
 
 二人の篤い友情を宛にして、しかしあっさり断られて、杉戸の予定は初手から脆くも崩れた。所属する社会部長にも代替弁護士の手配を頼んでおいたが、その前に、この国選弁護人上橋の辞任了解を取り付けておく必要があり、こうして上橋の事務所を訪ねていたのだった。

 上橋は、見附との話を再現する、
「その警官が、誰も聞きもしないのに、さ、
(そんな、金を入れた鞄なんか何処にも無かったし、後で、その金の話、聞いて、もう一度、うちの者と一緒に、現場に戻って、隅から隅まで捜して回ったが、それらしい鞄は無かった)
と云ったんだって?これは、聞きようによっては、初めからそこに金の入った鞄があることを知っていたようにもとれるし、ただ現場で事件直後、証拠品など見つける為に、色々調べたが、その中に、そんな金の入った鞄なんか初めからそこになかった、と云っているようにも取れる、どっちにでも取れるような云い方、をしている」
 この部分の話は、杉戸が、見附と交わした事件様相についての問答そのまま、だった、杉戸は首を捻る、
「…?」
上橋弁護士はなおも続けた、
「それに、起訴状で、両名を刺殺して金品を奪い…罪名及び罰条 強盗致死 (刑法) 第240条…と読み上げていながら、その金品について、その所在を明らかにしていないのもおかしいね。それにその、云う処の金品が、いったい何んなものであるか、現金か貴金属か証券か、それが明らかにされていない限り、刑法第240号は適用出来ない、と思うね」
これも、杉戸が見附と交わした問答の一部だった、
上橋は続けた、
「他にも、見附弁護士から聞いた話の中には、色々と付け込むところあるようだけど、全体に、この巡回中に殺人犯と鉢合わせたと云う警官がすることなすこと、それに口にすること全てが、行き当たりばったりの印象を受ける、第一、検察側の扱いも、初めからこいつが犯人だと決めて掛かっているって感じがするね」