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「人畜所履髑髏」No.18&終

            18,
 驢馬の首に抱きつき、泣きながら回想する藤原広足の見る景色は、全て闇の空間に立体して映し出されていた。その映像が消えると、藤原広足は、気を失って石畳みに倒れ伏した。驢馬が心配気にその様子を見、百合の曝髑髏の目から大粒の涙が溢れた。
 丈六の閻魔大王、控える餓鬼どもに、藤原広足を連れ去れ、と命じた。藤原広足、餓鬼共に体を抱えられて、闇の中へと消えて行く。
 驢馬は目に涙を溜めてその後姿を見送る、そして百合の髑髏も、溶けるように闇に消えてゆく藤原広足の後ろ姿をいつまでも見送った。
 閻魔大王、二人に云う、
「我は、此度のこと、百合の訴えに異なものを感じた。聞きながら我は或る疑いを持った、まさか、と思った。だが何んとしてでもあの男の本性を知らねばならなかった。もし、我の疑いに間違いが無ければ、このままあの男、人間界に生かせば、それは三悪道は、人間界、畜生界、そして地獄界を破壊させるほどの怖ろしい事態を招く。
我は疑った、有り得ぬことだが、もしやあの男の体に、人間以外の血、もしや獣の血が流れていやしまいかと我は疑ったのだ。果たしてその獣とはいったい何か?
我は、その正体確めんと、あの男に殺された女達から話を聞いた。訊けば男の体に流れる血の正体が愈々見えて来た。
我は地上に出て、赤い地蔵に姿を換えてあの男を監視した。そして、我はあの男の、血の本性を終ぞ見た。あの男、いつしかその獣の本能にその魂、食い尽くされ、獣の本性現れ、女を犯し、その首絞めて殺し、土中に埋めた。
あの男、人間界の何処にも生かしておいてはならぬ、その命絶ち、その魂、地獄は地の涯に押し込めて、この地の獄が果てる時まで閉じ込めておかねばならぬと我は判断した。
しかし、我に一瞬ながら逡巡が生じた。百合の話を聞いている内、あの男の本性、全てが獣かと疑った。もし、まだ僅かにも、ひとの心が残るなら、我は救ってやらねばならない。我は、あの男を夜な夜な監視した、そして知った。
あの男、自ら、己の本性を既に見抜き、仏陀に救いを求めた、持八齋戒,取筆書習。我為此女,寫法華經,講讀供養,救所受苦。
(殺めた女たちを供養し、女たちが堕ちて受ける地獄の責め苦を救いたいと、ひたすら願い、八齋戒を守り、法華経を写し、講讀)する姿を我は見た。
 男の仏陀に救いを求める姿に嘘、偽りが無いか、それがあの男の真実の心ならば、我はあの男を救わねばならない。その為には、我はあの男の申すところ聞き、判断しなければならなかった…」
 
「この後のことは、我に代わり、司命が沙汰するであろう。
ところで、百合に訊く、望めば、そなた、地上界に戻すことは成らぬが、天道界に住まうが如くに、地獄の責め苦から解き放たれて、心安らかに永遠の眠りに就くことは可能だ、如何、か?」
(彼孃復蛇所婚而死。愛心深入,死別之時,戀於夫妻及父母子,而作是言:「我死復世必復相也。」其神議者,從業因緣。或生蛇馬牛犬鳥等,先由惡契,為蛇愛婚,或為怪畜生。)
「閻魔大王様、ありがとうございます。私、願い叶えて頂けますなら、私は我が息子、名前も未だ付けてやっておりません、その子に名前を付けて、やはり私は、私の愛しい男、広足さんと、三人で、いえ、もし望むのであれば、義母も一緒に、広足さんと同じ地獄の涯に住み、同じ責め苦を受けてでも、共に、地の果てる時まで、暮らしとうございます」
 
 
          終章、
 深夜、寝静まった病院の廊下を歩く、子供の影、しかし頭は大きく、仏像のような大きな耳が頭の両側に、そして異常に大きな二つの眼、赤い涎掛けをして、鈴の付いた杖を持った、何処かの町角で見る、お地蔵さんのような顔の子供、だった。
ふと、その子供、通り過ぎる病室の扉の前に、小さな男の子、確か、名前は壮太と云った筈、その壮太が、目に涙を一杯溜めて、しくしくと泣いているのに気付いた。
 壮太は、自分の目の前で立ちどまり、壮太の顔を心配そうに見る子供に、云った、
「ジゾーおじさん、僕のじいちゃん、死んじゃった」
初対面で、この壮太に名前を訊かれて「ジゾーだ」と答えたことを思い出した。ジゾー、壮太の後ろ、病室の中を覗くと、医者や看護師が、老人の顔に、白い布を被せているところだった。
「壮太は爺ちゃん、死んじゃって悲しいのか?」
壮太はこっくりと頷いた。
「もう少し、爺ちゃんと一緒に遊びたい?」
壮太はこっくりと頷いて、云った、
「だけど、爺ちゃん、死んじゃった、もう僕、爺ちゃんと一緒に遊べない」
と目を擦り、声を出して泣き出した。壮太の頭を抱きしめて、ジゾーは云う、
「今からおじさんと一緒に、爺ちゃんが見ている夢の中に入って、寝ている爺ちゃん、起こしてやろう」
「え、爺ちゃん、夢を見ているの?え、爺ちゃん、どんな夢、見ているの?」
「きっと、壮太と離れ離れになって、遠い遠いところへ行ってしまう、辛くて悲しい夢を見ているんだと思うよ。さ、おじさんの手を握ってごらん」
云われた通り、壮太、ジゾーの手を握り、その石のような肌触りに思った、
(このジゾーおじさん、やっぱりお地蔵さん、なんだ)
と思った時、病室の中から、爺ちゃんの、咳込む声が聞こえてきた、医師や看護師、信じられない態に、看護師の一人は口に拳を咬んで立ち尽くしている。
 
 
三日後、壮太を膝に抱いて、老人は、見た夢を、他の患者に話していた、
(就机迄于暮而不動。墮手取筆,四支曲屈,訂瞪之死。經之三日,往見之,蘇甦起居待。
屬等問之,答語:「有地蔵,鬚生逆頰,下著緋上著鉀,佩兵持桙。喚:『壮太爺』言:『闕召汝』以戟棠背立,前逼將。先見一人,後見二,使之中立我,追匆走往。往前道,中斷有深河。前立人言:『汝沒此河,能踐我蹤。』踏躅令度)
「儂は、云われる通り、鬼の足跡を踏んで三途の川を渡って歩いた。川の向こう岸に着くか着かぬか、孫の壮太が、小さな石の像のような子供と一緒に、手を繋いで岸辺に立っているのが見えた。
 どうして壮太がこんなところに?その壮太が儂に大きな声で云った、んだ。
(爺ちゃん、もうこの川を渡らなくてもいいって、このジゾーおじさんが云ってくれたんだ。こっちまで来たら、爺ちゃん、死んじゃうって、ジゾーおじさん、が云っている。だから、爺ちゃん、僕と一緒に、この川、向こうの岸まで戻ろうよ)
と云って、儂の手を引っ張って、元来た岸に戻ってくれた。
儂と壮太、途中で振り返った時、石の子供の姿、岸には居なかった、
儂は壮太に尋ねた、
(あのおじさん、ね、ジゾーさんて云うんだって。爺ちゃんと一緒におうちに帰ったら、爺ちゃんに伝えておくれ、って)
(何を?)
(余りにさ、壮太が可愛いいので、その壮太が泣いているの見るの、とても辛いんで、さ、壮太の大好きな爺ちゃんの事、地獄と云う、遠い遠いところに連れて行くの止めたんだって。 
ただね、爺ちゃん、ジゾーおじさんが、云ってたけど、必ず、ホケキョーて、鶯の泣き声みたいな呪文、欠かさず唱えてくれれば、孫の壮太が、普通の大人になって、今の、素直な心を忘れる頃まで、長生きさせたげるって)」
 
 
病院の、電灯消えて真っ暗な手術室、中の手術台に、電車に撥ねられ鉄輪にずたずたに轢き摺られ、元の形を漸くに残して、血塗れの、藤原広足の体が忘れられたように残されていた。しかしその心臓だけは奇蹟的に駆動していた。
が、つい数分前、心臓の脈拍動が途絶えた信号を受けて看護師が、手術室に来て、電灯を点けた。そして看護師は気付いて、反射的に室内を見回した。手術台の上に有るべきものが無かったのだ。手術台の上は、真っ赤な血に塗れ、その下の床は雨漏りしたように血糊で濡れている。だが、室内の何処にも、そこに手術台の上に確かに有ったものが、何処にも見当たらない。看護師は戸惑った。
偶々、この看護師、2晩続いた救急患者の処置手術に立ち会って、ひどい眠気に襲われていた時だった。眠くて瞼が落ちそうな目を擦って、改めて手術台の上を見遣ったが、やはりそこに有った筈の、血に塗れ、肺も頭蓋も潰れた人の体は消えて無くなっていた。
それでも、看護師、今見ている状況を信じることが出来ず、よく見直すと、手術台の上に、白い、人の腿の太さ程の、綱のようなものが、血に染まって、ぐるぐる巻きに置かれてあった。
何?
近寄ってみると、それは、鎌首を擡げた、見たこともない大きな蛇、だった。驚いて看護師、叫び声を挙げて手術室の出口に逃げたが、動顛して扉を開けるのに手間取った、その間に、大蛇はその足元に迫り、看護師の両足首に巻き付いた。
 余りの恐ろしさに看護師は気を失って床に倒れた。その足に巻き付いた大蛇、赤い舌を出して舐めずりし、そのまま看護師の脛を押し開け、鎌首を股の中へと…                     
 
                終