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そろそろ次の企画展を作らないといけない。

当館では1年に約10個の企画展を作るのだけど、その内8個くらいはこれまでやったことがない分野の内容をゼロから作り上げていく。しかも、自分が知らない分野を2週間で作ると決めているから、企画展を作るまでほとんどその分野のことを知らない状態で飛び込んでいく。

いろいろな文献を読んで、野外に採りに行って、それを解剖して調べるという作業を繰り返す。
これまで、190個くらい企画展を作ってきたから、毎回そんな感じでやってきた。

ただ、この作業は、鳥肌が出るほどにキツイ。

まず、自分が知らない分野の文献を集めて読み漁っていくのだけど、分野が違うと書き方が違ったりするし、捉え方が違ったりするのである。

わかりやすい例で言えば、自然物の名を調べる場合である。
生物や植物の場合は『種』というのは揺るがない名が1種につき1つだけなのだが、岩石などでは同じ石を専門が違う人が見たり解析すると違う名が付くことがあるが、それが両方有効と見なされることがある。また、学名の読み方も学名はラテン語なのだからラテン語読みするものだと思うが、化石の分野などでは英語読みするなど違いがある。

そんなこんなで、企画展を作る際には、とても苦労する。

ただ、そんなことをいちいち嘆いていても、誰も助けてくれるわけでもないから、ただ一人で理解していくしかない。

また、写真を撮ったり、文章を書いたりするのはそんなに難しいことではないのだが、立体の展示物で展示室を埋めて、しかもそれを「お金を払って入館してくださった一般の方」にわかりやすく作るというのが、とてもキツイ。しかも、なるべく実物を展示したいと思うので、どうにか実物で展示室を埋めようとする。ただ、これがまた難しい。。。

企画展を作るというのは、私にとってはありがたい仕事ではあるが、「修行」に近い。

専門の昆虫学だけをやっていたら、まだこんなにキツイ修行にはならないのではないだろうか?と思うこともあるけれど、当館は自然史博物館であるから、自然史博物学をやらないといけないのである。

ただ、あのキツイ修行の日々を締め切りまでに間に合わせて、どうにか乗り越えると不思議な感情がいつも到来する。

それは、イメージとしては、道のない知らない山を草をどうにか分け入りながら登っていって、頂上に到達するような感情である。頂上から見ると、あ~あそこに立派なアスファルトの道路があったんだな~と気づくこともあるし、もっと簡単にあそこを登れなかったのは情けなかったな~と自分の無力さに嫌気がさすこともある。

ただ、締め切りまでに間に合わすという私にとっての頂上に登ると、これまで登ってきた山々(=企画展)を見渡す感覚もあるのである。

しかし、この山登りは、孤独で、本当にキツイ修行である。
さて、そろそろ次の山に登らなければならない。今は見えない頂上を目指して。。。。
ちゃんと登れたらいいのだけれど。。