第8話 生物の解剖
当館の企画展や常設展示には昆虫などの脳や内臓といった体の器官を取り出した標本が多数展示してあります。どうして、このような器官を展示しているのか?
そこには「私の大きな欠陥」と「過去に抱いていた博物館への不満」があります。
そこで、その理由を少し紹介しておこうと思います。
▲ゲンジボタルの成虫と幼虫の脳の展示
まず、私は学芸員なのですけど、生物を殺すことにどうにも慣れることができないという大きな欠陥があるのです。元々、専門が昆虫の行動学ですから、昆虫の行動を観察することが好きなもので、彼らの行動を観察していると、それぞれに性格や個性があり、一生懸命考えて生きている姿を見てしまいます。
そうすると、生ごみにハエが飛んで来ていても「途中いろいろな障害や誘惑があっただろうに、よくその小さな体でここまで飛んできたな!」と関心してみたり、ゴキブリが走り回っていても「お尻の尾角にある感覚毛はどれくらいの風を感知できるのかい?」と風を吹いて、彼らの反応を見て楽しんだりと、そんなことを傍から見ている人には気づかれないようにこそっとやったり、思っているので、どんな虫であろうと、どうにも簡単に殺すことができないのです。
▲ゴキブリの尾角の走査型電子顕微鏡写真です。尾角にある長くて細い毛が風を感知する毛状の感覚器官です。
ただ、仕事ですから標本として残しておかないといけない時も多々あります。そんな時は「すまんな」と想いながら、固定するのです。そんなわけで、企画展などで使う展示物となる生き物は必然的に「殺さなくても済む生き物」が対象になることが多くなるわけです。
では、「殺さなくても済む生き物」というのは、どのようなものかと言いますと、生体展示している生き物たちということになります。彼らはどんなに丁寧に飼育していても生き物ですから、必ず死にます。そして、その亡骸をちゃんと水を入れたチャックの袋に1個体ずつ入れて、その状態で凍らせておいて、必要な時に解凍して使うのです。
そして、生体展示している生物というのは種類が限られますから、同じ種類の標本でさまざまな企画展を作るためには、体の中の各器官にフォーカスを絞っていくことになったのです。
そのため、当館の企画展では「蛍の脳と蟲の脳」や「蛍の内臓と蟲の内臓」といった節足動物の体の各器官を紹介した企画展や「身近な魚の鱗」や「身近な魚の脳」といった淡水魚の体の各器官を詳しく紹介したものなどに成らざるを得なかったというわけです。
▲節足動物の気管系だけを取り出した展示
▲ゲンジボタルの成虫と幼虫の内臓の展示
ただ、さまざまな分類群のさまざまな生物の体の中を調べていけばいくほどに、そこには人が作っていない、新たな世界があることに気づいていきました。昆虫の小さな体の中にある空気を送る気管(パイプ)が丁度いい長さで張り巡らされていたり(体をよじったり、伸ばしたりした時のことを考えて長さに余分があるなど)、体液を送るポンプが必要な所に無駄なく配置されていたり、顕微鏡で見るその世界は無駄のない極限の効率化がはかられていたのです。
▲シオカラトンボの体の中(金色のパイプみたいなのが気管です)
そんな生物の体の凄さを展示の中で紹介したいと思うようになっていったわけですが、もう一つの理由がそれをあと押ししました。
それが、「過去に抱いていた博物館への不満」です。私は大学3回生まで生物に関わりのない人生でしたので、昆虫を研究することになって博物館に勉強に行った時に、博物館では昆虫の体の構造なども学べるのだろうと思っていました。それが、生物学の基礎だからです。
しかし、どこに行っても、昆虫の内臓も心臓も展示していません。どうして、展示しないのだろうか、、珍しい昆虫とか綺麗な昆虫なんて、どうでもいい、生物の基本は体の構造ではないのか?と不満に思ったのです。
だから、来館した人に、生物の体の基礎を知って欲しいという想いで内臓などの器官をなるべく詳しく調べて、実物を展示するようになっていきました。
インターネットや本などで写真やCGでこれらの器官を見ることができますが、やっぱり実物には叶いません。また、実物を見ることができることこそが博物館の役割でもあるような気がします。
だから、なるべく気持ち悪く思われないように、虫が嫌いな人などに見て貰いながら展示を作り、実物を展示しています。
▲節足動物の脳の展示
ただ、自分でも面白いもので、私は生物の解剖を誰かから教わったことはないし、そのような本を読んで勉強したこともありません。とりあえず、やってみているだけなのです。だから、私の生物の解剖の方法が合っているのかどうか、未だにわかりません。
まぁ、できているから、このやり方でいいのだろうと思いますけど、使っている道具もまた自作したものが多いので、変なやり方をしているのかもしれません。
ただ、生物の解剖というのは、やり方は合っているかわからないけど、私のような不器用な人間でも一応できるのですから、誰でもできるということなのです。事実、当館に学芸員研修で来た人や小学生や主婦などに私なりの解剖の仕方を教えて やってもらうと、みんな私より上手にやってのけます。
そして、教えた人たちがやっているのを見る度に思うのです。
「こんな上手に、できるんかい!」と。