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当館がある山口県下関市豊田町というところには、中生代ジュラ紀前期(約1.8億年前)の化石が多産する豊浦(とよら)層群西中山層という地層がある。

ここからは、大量のアンモナイトが出るので、多くの研究者がやって来ては調査をしたり、化石愛好者が化石を採りに来たりする。

私は仕事柄、ここの化石を採集することが多く、それを人にも教えることも多いので、結構な数の石を割って化石を見ている。私には化石の師匠がいるのだけど、たぶんその人にはまだ敵わないとは思うけど、ここの化石を見たり採集した数だけで言えば、他の誰にも負けない。
それだけ、ここの石を割って、化石を見ているのだが、とても不思議なことがある。

それは、「どうしてアンモナイトしか出て来ないのだ?」ということである。

アンモナイトがこんな感じで採れる(運がいい時)

ここの地層は、中生代ジュラ紀という時代で、かつてのテチス海という海の内湾の堆積物と考えられている。そのため、海の生物の死骸と陸からの植物片などが多産するわけである。

植物片は特に多く、どの石にも入っていると言っても過言ではない。それ以外に入っているのは多数のアンモナイトとたまに二枚貝(でも、シュードミチロイデス マツモトイという1種ばかり)、非常に稀にべレムナイトや亀、ワニ、魚などである。
いったい、どんな生態系をしたら、こんな生物相になるんだ?と不思議で仕方がない。

アンモナイトはイカなどに近縁な生き物と考えられているので、イカのように集団産卵をして集団で死んだかもしれないから、化石として残る確率が高かったかもしれない。とは言っても、他に化石として残りやすい貝類がもっと多くの数、多くの種類、化石として残ってもいい気がする(貝類は化石として稀にでてくるけど、ここの地層からはこれまで数種類が出ているに過ぎない)。
どうして、こうもアンモナイトばかりが化石として残って、他の貝類や動物の化石が出て来ないのだろうか?

アンモナイトがイカに近縁と言ってもそれは姿・形などから想像しているに過ぎない。これまで、形態による進化系統が続けられてきて、形態の似ているとか似ていないとかで、近縁とか近縁じゃないとかの指標になっていたけど、近年の遺伝子などでの進化系統解析では形態はあまり重要ではなくなってしまった。動物も植物も。
だから、アンモナイトが何に近縁だったのか、既に絶滅していて遺伝子が取れない以上、正直なところわかるわけもないことなのです。。。

アンモナイトがイカに近縁と書いたけど(補足)。。

ただ、この西中山層の下の層で東長野層というのがあって、そこからアンモナイトはまったく出てこないけど、多数の貝類化石や単体サンゴ化石が産出する。

西中山層のアンモナイトは、これまで少なくとも40種類くらいが見つかっているのだけど、印象化石と言って殻が残らずスタンプで押したような化石であるから、種類を見分けるのはとても難しい。だから、もっと多くの種類があるのかもしれないし、もっと少ない種類しかいないのかもしれない。

いったい、この化石になった生き物たちがいた時代は、どんな生態系をした海であったのか、、、、ここの石を割る度に不思議でしょうがない。

ただ、アンモナイトは人気の化石なので、たまに化石の教室をやったり、化石の採集体験をやってもらう。

そんな時に、化石採集というのは運なので、簡単に採れることもあれば、なかなか採れないこともある。

そして、なかなかアンモナイトが採れない時に子供から大人まで、あるダジャレを言う人が必ずと言っていいほど1人は現れるのである。

この状況で、アンモナイトがなかなか採れない時に言うダジャレ、、、あなたはお分かりいただけるだろうか~?

それは、


アンモナイトがなんもないと」である。

私はこれを聞く度に、虫酸(むしず)が走る。