筑波山登山「ツクバヤマハレ」

2024.03.30
春の陽気に誘われて筑波山登山にやってきた。


前回は極寒の2/3に比べたら頬を吹き抜ける風が優しかった。山自体が御神体の筑波山は男体山と女体山という二つの峰からなり、それぞれに男神「イザナギノミコト」、女神「イザナミノミコト」が祀られています。この二柱は夫婦の神様なので、縁結びや夫婦和合にご利益があるとも言われます。筑波山登山の前に、まずはこの拝殿でご挨拶と山登りの安全を祈願していこう。


さあ道中の安全祈願を無事済ませた。そういえばあさっての4月1日は、御座替祭(おざがわりさい)が行われ、神事は4月1日・11月1日の固定日に行われ、筑波山において最も重要な祭りです。この祭りは一般に夏と冬親子の神が山頂の御本殿 と中腹の拝殿で神座が変わるといわれ、簡単に言えば神様の衣替えのようなものらしい。筑波山頂の男女2神の親神を山ろくの里宮へ、子ども4神が山上の宮へ移り、11月1日には、親神が山上の宮へ、子神が里宮に降ります。 春は豊作を祈り、秋は実りを感謝するおまつりといわれ、ゆかしい神事として盛大に行われています。


ここでは厄割玉を使った厄落としが出来ます。

厄割玉を社務所から授与していただき、厄よ!去れ!と念じながら厄割石に厄割玉を投げつけるそうです。

さあいつものように御幸ヶ原コースを登っていくぞ!鳥居の前で一礼して、
え~と時刻は7:29とどうしても確認したくなってしまう。

ゆっくりと登りたいが、やっぱりここではタイムトライアルとなってしまう。ケーブルカー宮脇駅脇の鳥居から御幸ヶ原までを60分以内で登るんだ。

第一ポイントの休憩ポイントまで目標25分。時刻はぴったりの7:54。

昨日の荒天の影響で登山道はびしょ濡れで油断すると足を救われそうだ。

第二チェックポイントの男女川の湧き水地点の時刻は8:08。目標の40分より1分早まっていた。

木製階段が現れたが、この頃が一番辛いときであった。

着いた!8:28。59分で登ってきたが、最速のタイムより5分も遅くなっていたが、自分では満足できるタイムであった。

風は少し冷たさが残ったものの大汗をかいた体には心地良い風であった、

この週末は、大陸から黄砂が舞うと言うがまだまだそれを感じられない。

いつもは、御幸ヶ原からすぐに女体山頂経向かってしまうが、久しぶりに男体山頂へ足を伸ばしていた。標高871mの男体山山頂には、徳川幕府の守護山としてもあがめられていた筑波山の男体山御本殿が鎮座し、本殿は江戸城の方向を向いているというから面白い。

再び女体山頂へ向けて歩き出すと、自然研究路にカタクリの里の幟が立っていたが、まだまだ咲いていなかった,ここには3万株のカタクリ草が自然のまま群生しており,例年4月中旬に見頃を迎えるそうで4月初旬~中旬まで筑波山カタクリの花まつりを開催されるそうです。



これはガマ石で、見事な口上で商売が繁盛したことから、ガマ石の口の中に石を投げ、見事に入ると金運が上がり、願いがかなうと伝えられている。


女体山山頂にたどり着いた。「西の富士、東の筑波」と、富士山と並び称される茨城の名峰・筑波山は、日本百名山にも選定されていてその美しさから、古来より和歌にも詠まれてきた歴史ある名勝であった。日本百名山の中で最も標高が低い筑波山は、比較的登りやすい山として人気であった。


標高871mの男体山と標高877mの女体山、今回は両方を制覇できた。女体山の山頂には、イザナミノミコトを祀る筑波山神社本殿と「天の浮橋」があり、標高877mの山頂から望む霞ヶ浦・関東平野の眺望は、まさに絶景!


筑波山には、こんな逸話が残っている。第二次世界大戦において日本軍の暗号「真珠湾攻撃をせよ」の実行する暗号は「ニイタカヤマノボレ」であったが、「撤収せよ」の暗号は「ツクバヤマハレ」であった。この筑波山の名が使われていたのには驚いたね。(新高山=台湾玉山)当時は、筑波山ではな
く 新高山に登ってしまい、地球上が戦渦になっていった。その後朝鮮領土も日本国のものになりになり、富士山は北朝鮮の山にも 高さで抜かれ標高5位の山になり霊峰富士山信者の中ではこのことが怨念となり、以後戦争に勝てなくなったと言われている。

さあ、白雲橋コースを使い下山開始。距離:約2.8km 標高差:約610m 所要時間 登り110分/下り95分。筑波山神社から酒迎場分岐、そして弁慶茶屋跡を経て女体山頂へと向かうルート。筑波山の魅力を一気に満喫できるコースです。9:07出発。

江戸時代から約270年続いた弁慶茶屋は、2006年9月3日に廃業し、その後、弁慶茶屋跡には、2023年4月1日より新しい東屋が建てられ「BENKEI HUT」と名付けられた。

白雲橋コースの登山口に戻ってきた。時刻は10:01、女体山頂から54分でこの地にたどり着いていた。

筑波山名物である「ガマの油売り口上」は、江戸時代、筑波山頂にあるガマ石の下で永井兵助氏が陣中膏「ガマの油」を売り出すためのセールストークを、浅草寺境内などで披露したのが始まりとされ、筑波山の伝統芸能です。
現在では、つくば市認定地域無形民俗文化財として認定され、筑波山各地で披露されている。

怪我人の手当てをした僧侶が、傷口に塗った膏薬が良く効き人々に感謝され、その僧侶が「がま」のような顔をしていたところから「がまの油」になったと言われている。




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