私のコンテンツ受容史2001.04 - 2002.04

 2000年、関東に上京した当初は小田急線の小田急相模原というマイナー駅の社会人寮みたいなところで1年生活してた。2001年から一人暮らししよう、ということで大学の最寄駅である本厚木に移動した。最初は駅近くで探したが、やはり高い。

 そこで大学からシンプルに近いところを探した。すると自分の高校の同級生が神奈川工科大に行っており、その横の部屋が空いててしかも安かったのでそこを借りることにした。3Kで6万。駅までチャリで20分。学校までも20分。高校時代の通学がそもそもチャリ40分+バス20分だったので全然苦じゃなかった。

 学校や駅までは遠いが、色々と充実してたのがポイント高かった。でかいスーパーがあって惣菜を値引きした状態で買えるし、100円ショップもあるし、マクドもあった。さらに徒歩5分のところにブックオフと200円レンタルのローカルレンタルビデオ屋があった。

 結局引っ越しする2007年までの間、丸6年ぐらいそこに住んで引きこもりっぽい生活を送っていた。あと、駅前に有隣堂というでかい本屋があり、寮時代と違って予算が増えたので食費を削って本を買う機会も単純に増えた。

 本を色々読み出す

 このあたりの時期からライトノベルオンリーから講談社ノベルズ、あるいはいわゆる古典モノ、SFなどを読み始めた。一方でこの時期はあまり音楽を掘ってなかったかもしれない。京極夏彦が強烈だった。

森博嗣もハマった。ところで森博嗣はかなり自分の周りで賛否が別れるのでこの差がどこで生まれてるのかの考察を日記で書くかもしれない。

 そういえば自分が通ってた学部は工学部で、いわゆる理系なのだが『メディア画像』という画像とメディアを扱う学科だったのであまり『理系』という意識はなかったように思う。学校の学部の構成的にも芸術学部と工学部という変わったペアの学校だったので文系と対比されているイメージがなかった。そもそも心理学とか習うし、デッサンの授業もあったし。今思うと変な学校だったのかもしれない。

 京極夏彦や森博嗣は参考にした書籍が後ろで一覧に乗ってて、それを掘るようなことも割としてた気がする。ヴィトゲンシュタインとか、近代日本の様子が分かる書籍とか。

 ちなみにこの時に調子に乗って(?)村上春樹にも手を出したのだが、当時文庫で平積みされてた『スプートニクの恋人』を読んで『なんだこのオチもヤマもない不条理なだけの小説は・・・』という感想だけが残り、結局それ以降村上春樹を読んでない(そろそろちゃんと読まねば・・・と思っている)。

 多分当時の僕にとっては小説とは『ストーリーを楽しむもの』であり、『キャラクタを楽しむもの』で、文章自体を楽しんだり、若干メタな視点で楽しむようなこと(こう言っていいのかわからんが、みんなしてますよね)が全然できなかったのだと思う。

 オンラインゲームをやらなくなる

 2001年の年末にファイナルファンタジー11のベータテストに当たり、ネトゲ廃人になる道を進む・・・かと思ったがむしろこれが自分のネトゲ歴に留めを刺した。

 自分は基本ソロプレイにしか興味がなかったのだが、生き残りやすい白魔術士で朝から晩まで敵を倒しまくってもロクな経験値にならないので、『これからはネトゲではコミュ力を強制される時代になるのか』・・・と絶望し、ベータだけやってそれ以降FF11のみならずネトゲ全般をやらなくなった。

 自分が当時やってたネトゲはUltima OnlineとPSOだった(ROもちょっとやったけど)。どっちもコミュニケーションのあり方が根本的に違ってて、PSOは一回の狩りを一緒にやるメンバを探すだけのシンプルなもので、非常にライトなコミュニケーションだった。

今でいうとモンハンとかネットワーク対戦モノとかのコミュニケーションに近い。でも同時はMMORPG1色で、PSO自体もRPG扱いだった気がする。

 もう一方のUltima Onlineはそもそも『ロールプレイをしながらコミュニケーションをするもの』感が強く、直接自分のパーソナリティを晒すようなコミュニケーションを前提にした世界ではなかった気がする。

 書いてて思い出してきた。自分がネトゲに求めてたのってキャラクタを通したコミュニケーションというか、自分という人格じゃないコミュニケーションだったのだと思う。

 これはネトゲではないが(さらに2001年の話でもないが)、ルナティックドーンがすごく好きだった。自分がやったのは『前途への道標』という奴だ。

 1997年、今から20年以上前の作品だが今、Steamでも遊べるらしい。しかも熱心な説明記事まで出てる・・・。

 マップこそ固定だがキャラクタやイベントが随時自動生成される、オープンワールドの走りである。しかもプレイヤーはキャラクタメイキングが終わるとその世界の1住民(住所不定無職)として町中にいきなり放り出され、チュートリアルすらなく始まる。もちろん死んだら即ゲームオーバー(ゲームオーバーというか、キャラクターは死に、別のキャラを作って世界に戻ることになる)だ。

 僕はこの世界観にハマってたんだと思う。うまくもならず(というか運の要素が結構強いように思う)、なかなか進まなかったが粘り強くずっとやってった。

 そのあとPBeMというジャンルにハマった。PBeMはPlay By e-Mailの略でeメールを使ったTRPGとか、そういうやつだ。自分の頃はチャットで行うPBC(Play By Chat)が流行っており、管理人が自作のHPに世界観やルールを書き、応募フォームでキャラクタを募り、キャラクタが登録されるとその名前でチャットルームに入って会話したり、TRPG的にすごろくをしてゲームをやったりしていた。

 なので、FF11でオンラインゲームにおけるコミュニケーションのあり方が狭められ、自分の好きだったネット上でのコミュニケーションのあり方が否定されたような気がしたのではないかと思う。

 このあたりの『インターネットってこんなはずじゃなかったよね感』はMixiやFBなどでも強く感じるようになるけど、これが最初だったのかもしれない。

 2ちゃんねるや、高校生時代見てみんなで話題にしてたSerial xperiments lainとか。吉野家コピペとか。薄暗い、良く判らないけど過去も未来もごちゃっとあってその泥みたいな層から何か新しいものが出てきそうな感じがしてた。

 そういえばクリス・クロスを読んだのもこの時期だった。Sword Art Onlineのようなオープンワールドの世界から発想した作品としてはかなり最初の作品だと思う。

 篠房六郎の空談師も2002年の2月売りの3月号が第一回連載。これもネットワークRPGを舞台にしている。めっちゃ面白かったのに途中で終わってしまった。


あ、このコンテンツ受容史シリーズは日記といいつつ随時更新する予定だ。



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