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天国のお茶

100gで4万円のお茶を買いました。
なんだかとてつもなく膨大な量の蓮の花を使うそうです。
蓮といえば天国に咲いているというお花です。
お茶になっても、それはそれは柔らかで、たおやかで、清らかで上品な香りでまさに天にも昇るようです。
きっと極楽浄土はこんな香りなんだろう。
香りを試した途端に、なぜだか手に入れてなくてはいけないような気がしました。

値段を尋ねることもせず、お会計へ向かいました。レジで内心びっくりしたけれど、もう後には引き下がれず買ってまいりました。
ティーポット一杯2.5gあたり1000円もするこのお茶を。

その店に足を運ぶ数十分前、私は
「贅沢さを許容することに耐性をつけたい」
とぼんやり考えていました。

実は来月誕生日を迎えるのですが、誕生日だからと何か自分へのご褒美を、と考えながら何もせずに過ごすことがここ数年続いていました。
当日に近所で小さなケーキを一つ買ってくるくらいがせいぜいです。
ほんの数年前までは年に一度のエステを楽しむ習慣がありましたが、月に一度フットケアを受ける習慣と代わり、年に一度というペースでの贅沢習慣は無くなってしまいました。
その月一のフットケアの施術中、うたたねしながらぼんやりと浮かんだのが、来たるお誕生月を贅沢耐性をつける期間にしようという思いつきでした。

収入が上がったとか、そういう見込みがあるとかではないのですが、実験的な試みです。

これは私の一種の趣味なのですが、あるルールに従って一定期間を過ごしてみて、どんな変化が起こるか観察するということを時々行います。

数ヶ月睡眠時間の記録を取り、平均を計算して必要睡眠時間を算出してみたこともあります。
目覚ましをかけずに一週間くらい寝たいだけ寝る生活をしてみたこともあるのですが、このとき後半にかけて一定化してくる睡眠時間というのが、数ヶ月の平均睡眠時間の平均とほぼ一緒でした。
私の場合ですが、7.5〜8時間が必要睡眠時間で、それを下回ると週末に起きられなくなり、強制的に睡眠負債の返済をさせられていることに気づきました。
これに気づいたことで、平日ついつい寝る前にスマホで起きてしまう1時間が、貴重な休日の半日を奪っていることに気づきました。
5時間余分に自由な時間があれば、いろんなことができるのですから、「1時間早く寝る」ことのありがたみが現実味を増します。
体感の「まだ平気」もあてにならない事も悟りました。「まだ平気」と思っていても週末の「あーもうこんな時間」で帳尻合わせがおきているのですから。人間というのはうまくできているものですね。

さて、4万もの大金を払って手に入れた100gほどのお茶を下げてすっかり富豪気分になった私は、今夜の予定を考えながら帰途につきました。

先月買った米焼酎をよく冷えた炭酸で割って、ささやかな贅沢をしようと思いつきました。
帰りがけに秋田のアンテナショップが目についたのでふらりと入店し、バター餅といぶりがっこのポテトチップスを購入しました。
数ヶ月前から青森・秋田の方へ旅行したいなと考えていて、その日の朝も電車旅の記事を読んでいたところでした。店には記事で見たお土産品が並んでいて、ちょっとした縁を感じて嬉しくなりました。そのお土産品は買わなかったけれど、未だ見ぬ土地の、お土産選びを楽しむ行為を先取りすることが、まるで時空を超えるようで面白いなと思いました。
私はじつは旅先ではあまりお土産を買わない人間です。理由は二つあって、一つにはこのように旅先でなくとも案外手に入ってしまう事と、もう一つは旅先では旅先でその瞬間を目一杯楽しみたいから。お土産を買えば、旅が終わった後でも楽しみが持続するような気がしてしまいます。実際、お土産のお菓子を食べながら思い出したりもするでしょう。しかし、お菓子がなくても思い出すことはできます。私は、お菓子を食べることでしか思い出せないような旅にはしたくないのです。あとで味わおう、と思うと今をおざなりにしてしまう気がします。何かお土産を買って買わないと気が済まないと思うと、お土産屋さん巡りに時間を割いてしまいます。私は時間の隙間に戯れで覗くだけで満足です。それよりも現地の空気や景色や交流を楽しむために時間を使いたいのです。

帰ったらがっこ味のチップスで一杯やって、明日はこの高級な蓮のお茶で優雅なティータイムをしよう。
そう考えているときとても幸福な心地でした。
近頃、豊かとは何だろうとよく考えます。
このお茶を買った時、「素晴らしいお買い物をありがとうございます」と店員さんに言われた時にとても心地よい気分でした。
もともと何度もリピートしている大好きなお店でしたしちょっと高級なお店という認識もありましたので、ぼったくられたとは勿論思わないですし、近頃忘れていたことを思い出したような心地でした。

質素倹約などと言ってダンピングに加担して、社会全体の貧さを招き、巡り巡って自分から豊かさを引き離すのはもうやめよう、そう思いました。

私は豊かになりたいし、周りの人たちも豊かであって欲しいです。
心にも、時間にもゆとりがあり、健康を気遣う余裕とリテラシーがあって、健全に安寧に暮らすことができる社会。私は日本がそんな国であって欲しいと願います。

良いもの、それは見かけだけじゃなく本質的に良質なものです。誰かの叡智や技術や手間暇によって実現するものだから、「安くて良いもの」なんてあってはならないと思います。
「安くて良いもの」を求めるということは、「良いものを作ることに相応の対価を払うこと認めない」と言っているようなものだから。
それは、ひいては自身が、労働に見合った対価を受け取れないことにつながります。

本当に良いものが正しく評価されて、受け入れられ、相応の対価を得られる世の中であって欲しいと思います。

だから良いものがわかる審美眼や見識をもっともっと深めたいです。
良いものには快く対価を支払う自分でいたいです。

これは近頃、日増しに強くなる思いです。

これはそんな未来に一歩近づくきっかけになった日だったのかもしれません。

さて、気になるお茶のお味ですが、本当に上品で幸せな心地になります。差し湯できるのでティーポット3杯くらいいけちゃいます。

こんな優雅なお茶を頂くのだから、とあたりをせっせと片付けてからお茶にしました。
整理整頓の癖をつけたいとこの頃考えていたので、このままこれを習慣化してしまいましょうか。そしてお茶をいただきながら、読書や内省の時間にしたいと思います。

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