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手段として見られる会話をやめて、ほんとうを話したい


大学1年生の頃、憧れだった大手予備校のスタッフとして人生初のバイトをしていた。志望校に合格し、倍率の高い大手予備校のスタッフの採用試験にも合格した私は、絶好調であった。

働いて1ヶ月経った頃の飲み会で、1年生の女子たちが、順に先輩の男性の中から推しメンを言わされることになった。それが、死ぬほど嫌だった。なぜそんなことで辞めたいのかもわからないと思うんだけど、こんなに、気持ちが悪い!と思うことは初めてだと思った。

だって、誰も、今ここにいる私、に、興味がないから。その時私は、"新しく入ってきた1女"の1人という記号になる。アミューズメントに使われている。不快。下品、巻き込まれたくない。個人ではなくなる。こんな体験は初めてだ。具合が悪い。

外界とは往々にしてそんなものだ、と思うだろうか。でも、本当に嫌だった。そういうもののために私の存在って使われるのか、と思った。アホみたい。

目の前の1つ年上の先輩の瞳孔が大きくなる。あーこれ期待されてんな、めんど。一つ学年が上になり新入生が入ったからって、都合よく何かがあてがわれると思うなよ。人の瞳孔が大きくなるの気持ち悪い。帰りたい。この人は私の過去には何ひとつ興味がない。高校の時に好きだった人の話をする場ではないことがよくわかる。

結局同期の女の子たち3人で、うまく誤魔化したりいなしたりしながら、なんとなく「お兄ちゃん感」が漂い、そういうものに加わったり一喜一憂しなさそう、そして変なふうにくっつけられなさそうな、学芸大の先輩の名前を言った。帰りは女子3人で、何かから守られるようにその先輩の後ろをついて歩いて帰ったことを覚えている。

10年も前の話をしたのは、この前そのバイトの時に一緒だった人と再会する機会があり、私が途中でバイトを辞めたことを心配していたと言われて、ふと記憶が蘇ったのである。それ以外にも基本的にはチャラサーノリがあったので、単にnot for meだった、いうだけの話なのだけど。「推しメン」の話をしたら「それはそうだけどさぁ」と言われたけど、「それはそう」は、やっぱり「それはそう」で、どうしても私には、つらいことなのだ。好きではない人をその場の盛り上げのために言わされるというのは、私にとってものすごく苦痛なのだ。

社会はそれほどあなたの個人的なことに興味がないんですよ、というのもそうだし、でしょうよ。と思う。私が高校の時に好きだった人の話は、誰も興味がないことはわかる。だけど、よくあるリップサービスだとか、サークルの新歓ではよくある、と言われても、私はホステスをするために、予備校で働いているわけではないし、2年生になった諸先輩方を喜ばせるために発話するわけではない。

はっきりいえば、そういう会話をできる人は、自分の価値が低く見積もられて平気なんだと思う。私は周囲の何かが盛り上がるための会話が嫌いなのだ。ゲロ吐きそう。

そこから5年後、私は23歳になり、大学院の授業がきっかけで、繋いでもらった人たちと、福祉系の新規事業を立てるチームにいた。

私以外は全員男性で、交わされる会話といえば「前にいたスタートアップの社長(女)点数つけるなら顔面何点?」
とか、
「経験人数何桁?」
とか、
「家に(女の子)を持ち帰る時に、マッサージしてあげると言って本当にマッサージをするとウケる」
とか、
「チョコミントが家にあると言って、家に呼ぶとイケる」

みたいな話をしていた。今なら思う、(なんだそれ、キモすぎるだろ、ていうか本当にこの人の"マッサージをしてあげる"に対して、ついていく女性がいるのか?)と、でも、なんか当時は本当に自我があやふやで、私はよく分かってなかった。

あと、チョコミントで家に呼ぼうとする人はキモすぎるだろ、おちついてほしい。
私は当時、やさしさと、目の前のお兄さんたちを傷つけないことが優先されていて「キモすぎるだろ」の一言が言えなかった。

今なら言えるのになーーー。

で、私はなんか、そういうのにノれる方がいいのかなと思ってそれなりのリアクションを返していたが、疲れてきた。

何かプロジェクトが先に進んだ、みたいな祝いとのことで高級レストランにチームのメンバーで呼び出されたと思ったら「ここのレストランに連れてった場合、必ずヤレる」と言った話をしていて、ご飯のおいしさが失われた。

あー、セックス飯だったかーー、と思う。私は基本的にセックスの代替として利用されている食事のことをセックス飯と呼んでおり、この世の食の中でも、下位に位置させている。なんかそれって、みんなで今分かち合おうとしている食事を、食事そのものではなくて、かつて何かの手段に使ったということの暴露であって、どんなに美しい食事も台無しだ。

私はその全てを「すごい!ゴットタンに出てくる女子アナみたいな立ち位置になることが人生で、あるんですね!」で済ませていた。

大学院により軸足を戻してから、それはホモソーシャルの会話だと知ることになった。7歳上のIT業界で働くお兄さんたちは、この世の全てを知っているわけではなかったのだ。あれは下品で、人間を舐めていて、そんな人が福祉のスタートアップなんてやってうまくいくわけがないだろう、と今は思っている。

外界の、長く生きている人が、全然正しいわけではなくて、私は私の実感として、もっともっと大切にされたいという主張があり、今はその実感だけで、自分の言葉を言えるようになった。27になるまでかかってしまった。でも、私はそういう中で、いると、違和感を抑えきれない。違和感があるということを誤魔化せない。私はもっと大切にされるべき存在だと、めちゃくちゃに全身が主張している。私はその場の賑やかしのための女性勢1人ではないんだよ。


「この中で結婚するなら誰?この中で付き合うなら誰?」という質問を焼肉屋でされたことがあるが、このタイプの人は代替「俺、結婚するならって言われるんだよなーー」で締めようとしてるのが見え空いたので、その人の出てこない変な選び方をして、場の空気をテキトーにいなした。その話題に絶対に載せさせないからな、という確固たる意志を持って外した。
不服そうな顔をしていた。お前の王国作るためにやってんじゃねーんだよ。

嘘の会話はいっぱいだったけど、私の人生は嘘の会話ばかりではない。その予備校のバイトを、不服な扱いと母の病で半年で辞めた後、私は歌謡曲バーでバイトを始めた。昭和歌謡が流れるバーで私は飲み物をただ運ぶ係だった。

水商売なので、リップサービスのひとつやふたつもあると思うだろうが、新規事業お兄さんたちにされたような嫌な会話はひとつもなく、居心地が良かった。わたしは常に好きな曲の話をし、お客さんも常に好きな曲の話をしていた。

わたしはそれから、自分でカウンターに立ったり、小さいコミュニティをやっているが、そこで聞いた話は、その場で誰が推しメンかを選ぶかなんかより、もっともっと美しくて本当の話だ。

初めてできた彼女のために、バイトをして買ったミッキーマウスの腕時計の話、

10歳年下の妻と駆け落ち同然で結婚した時に流した入場曲の話、

大学最後のスキーの大会で怪我をしてしまい後悔が残って1年卒業を延長してもう一度チャレンジした話、そこで彼を訪ねてきた他大の女の子との話、

大好きだったアイドルが今でも大好きで、変わらずに応援する人たち

引きこもっていてこの先もうだめだ!と思った時に、同窓会でであった後輩の女の子からふと届いた手紙のこと、

私のスナックにやってきて、強面で、部下たちを連れてきてパワハラまがいのことをしていたのに、小田和正の曲を流したら次第に心がやわやわになって、「東京に出る時に背中を押してくれた地元の女の子ヨシちゃんを思い出した」と言って涙ぐみ始めたおじさんは元気だろうか。

なんか、全部、本当なんだよな。その場で誰かが気持ち良くなるためにされてる会話とかではなくて、ひとつひとつがかけがえがなくて、その話をわたしがすると、「よく覚えているね」と驚いたような照れたような顔をする。

だってそれは本当なんだよな。私は他人を手段として使う会話が嫌いである。私がいる場所には、誰かを手段として使う会話は、したくないと思っている。それを私も時々してしまう時があるけど、なるべく気をつけたい。

わたしがかわす会話は、なるべく多くのほんとうでありたいと心から願っている。世界の真実がどこにあろうと、私がその扱いに違和感を感じたことだけはただ本当のことであり、そのことは誰にも否定することができない。

違和感がある。そして違和感のないものをつくっている。何も文句はないであろうよ。私は、これがほしいのだ。欲しいものが欲しく、それを手に入れている。周りの人のおかげで。もう、ほんとうのことしか話したくない。


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