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地元の小料理屋でバイトしはじめた

大学院修了して何やってるかというと、地元の小料理屋で週2バイトして、スナックやって、時々ライターやったり、それから今は人から初めてお金もいただいて衣装つくったり!やりたかったこと!ドキドキ!あと、修論の内容も発信しなくてはならない…。

に、しても、あまりにライフプランがなさすぎる。でも、節操がないように見えて、結構ちゃんとやってる。

地元の駅、飲食店がめっちゃ少なくて、数少ないご飯とお酒が楽しめるお店であるこの小料理屋さんはカウンターがあって、地域のお客さんたちの溜まる場になってる。開店して5年くらい経つんだけど、毎日店の前通ってて、いつも気になってた。先日、酔ってた時に、勇気を出して入ったら、その日に「近所なら時々手伝って〜♪」って言われたから、「オッケ〜♪」って感じで、バイトに入ってる笑


私が赤坂で立ってるスナックは、所謂いいところの企業勤めの人たちが多い。地域の小料理屋兼スナックみたいなところって本当にいろんな人が来る。認知症の入ったおじいさんがお金を持たずに毎日来店したり(パスケースにツケの代金を書いた紙をいれてあげている。)払えない場合はそのおじいさんのお家にTELし家族にも伝えておく。半分くらい目が見えないおじいさんには、わかりやすい位置に料理を置いてあげる。そういう、現場ゆえに起こる出来事を刻々と眺めている。


地元の中学(どこ中・どこ小)の話題、地主の人たちの苗字がどこまで親族なのかの話題の近くの神社のお祭りにみんなで行く話題。同じ場所に26年住んでるんだけど、私の人生でなんかすっ飛ばしてきたものを見ている感じがするのだ。オーナーママ、お客さんと一緒に大掃除とかしてるし、単身赴任で東京にいたけど元の地域に帰っちゃう人に、お祭りの季節にあそびにきてねって言ったり、なるほど、と思いながら見ている。大事なことです。

大学院は楽しかった、ケアとか、再生産労働とか、そのことに関して本を読んで、映像を見て話して、やはり寛容性が大事〜!とか、言ってる分にはいいんだけど、なんか、現場では、サービス提供しているけど、同じサービスならたくさん払ってくれる人とか、手がかからない人と、たくさんは払ってくれないけど手をかけたり心配しなきゃいけない人がいて、でもこれは介護サービスではなくて飲食店だから、むずかしい。でも、毎日来るってことはみんなさびしいし誰かとご飯を食べたいってことなのよね〜。

なんか、ケアと魔法少女アニメが絡み合ってて〜とか言いながらチヤホヤされてへへへとか言ってていいのだろうか、と思いながらまかない食べているおいしそうでしょう。


誰もを受容れることはできない。でも、誰もがこぼれ落ちる可能性があるから、なるべく優しい社会をつくっておきたいなあ、と思う。でもみんなにみんな同じ愛情を注げるわけでもないし、注がれる側も注がれたいわけでもないだろうと思う。それに、極上の愛情が存在するということは、当たり前だがそこには差があって、極上ではない愛情や返せない愛情が存在することに気がついたりする。そのバランスを見つめすぎると自分が人間すぎて悲しくなる時がある。等しくは愛せない。

でも、縫い物していると、もっと上手くなりたい、もっと上達したい、と思う。もっといいものが見たい、いい映画とか、いい画集とか見て、1人の方が身軽だし、自分にとっての美しい時間だけで埋めたくなる。他者に時間や想いを割けなくなる。のめり込んでしまう。

今生きている他者と交わる領域(ケアとかおしゃべりとかね)と今生きている他者とは交わらない領域(作品とか本とかと過ごす、創作や仕事をする)のバランス、難しすぎて禿げそう!
「誰もを受容れる社会について話す人」はやっぱり同じくらいの知見を持っている人じゃないと噛み合わない、みたいなパラドックスとかね。笑笑

これほど地域のお客様に目をくばったつもりの私だけど、全然母親がめちゃめちゃメンタル壊してヒーヒー言ってた時にガン無視して、大学のファッションショーの縫い物とかしてたし、そういうところがある。自分のしたいことの方が優先でいいのかなー。全く答えが出ません。出ないままずっと生きてる。対趣味でも対人でも、ラブに理性がないこと、美しくて残酷で直視したくなくなる〜。

こういうことばっか考えているから、小料理屋でテキパキ動けない(当たり前) 色々書いちゃったんで、店名書けなくなったんですが笑 個人宛のメッセージとかで聞いてください。大学時代イベントでやってたスナック彩菜を思い出すラインナップ〜。懐かし〜。

遊びに来てね。楽しいよ。

めっちゃピアスあいてる同い年の女の子が、色々教えてくれるんだけど、優しくてしっかりものなの。すごいのよ。

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