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10/30(土)「ラ・カチャダ」上映会@江原河畔劇場 with 石井路子さん

ドキュメンタリー映画「ラ・カチャダ」上映後、芸術文化観光専門職大学講師・ドラマティーチャーの石井路子さんをお招きし、「表現教育について」お話を伺った。

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石井路子(いしい・みちこ)
ドラマティーチャー。2004年から福島県立いわき総合高校において演劇教育を実践。高校生とプロの演劇人の協働を通じ、飴屋法水作『ブルーシート』(第58回岸田國士戯曲賞受賞)など多数の作品を世に送り出した。2014年度より大阪府追手門学院高等学校表現コミュニケーションコースを立ち上げ、表現教育を行う。2021年より兵庫県立芸術文化観光専門職大学講師。著書に『高校生が生きやすくなるための演劇教育』(立東舎)

▼他人に自分を開いて受け止めもらう

私は、もともと高校の国語の先生でした。
いろいろな経緯があって、校長先生から「正課の授業として演劇をやってほしい」と依頼を受けました。ですが、私は演劇の授業や芸術の専門教育を受けたことがなかったんです。そこから専門教育を研究を始めました。表現を教育の中に取り入れる方法や、生徒が表現を通して成長できるカリキュラムのつくり方をずっと研究してきました。

『ラ・カチャダ』の出演者の女性は、「前より良くなった」と言ってましたね。私も表現教育を実践してきた中で、人が健全になっていくことを体験してきました。

他人に自分を開いて受け止めてもらうことが、人の精神にはとても重要だということを、本作を見ても感じることができました。

▼「自画像」というメソッドを通して

私が、表現教育で取り入れている俳優教育のメソッドに「自画像」というものがあります。

「青年座」という劇団で行われているメソッドを利用したもので、高校一年生の終わりに2カ月程度で一緒に作っていきます。内容は、一人一人が自分自身に関する作品を作って、みんなで互いの作品を鑑賞するんです。

このメソッドのスゴい点は、生徒同士が自分とは「違う」ということを感じるのはもちろんですが、むしろ「同じ」ことを考えていたり悩んでたりすると感じられるところです。

みんなと同じだったり違ったりするから、自分も他人も違ってて良いと考えられるようになっていきます。だから、無理して人と合わせなくなったり、人のことを許せるようにもなっていきます。
またこのメソッドをやると、クラスが落ち着くし、グループがなくなる傾向があります。今の高校生は大変で、グループから外れると居場所がなくなるので排除されないように無理して笑っている場合もあるんです。
でもこのメソッドをやることで、一人でトイレにいけるようになるし、一人でご飯を食べられるようになっていきます。一人でいたい時は一人でいられるし、みんなといたい時はみんなといる、みたいことが普通にできるようになるのです。
つまり、周りを信頼をして、ありのままのいたいようにいられるクラスになっていくということです。

▼生きていくことに正解はない

教師の側が正解を無意識に求めてしまうから、子どもたちもそれに答えようとして正解を出そうとしてしまいます。

でも、生きていくことに正解なんて本当はないはずです。学校で本当に教えないといけないのは、古典の助動詞の活用よりも、「人は生きていて大丈夫だよ」ということだと思うようになりました。そのために、この表現教育というのを追求しているんです。

表現教育をやることで、自分のことを好きになるし、他人のことも受け入れられるようになっていくのだと思います。私がなぜ、このような効率の悪い教育(演劇教育)を20年近くやってきたかというと、ギスギスした社会を変えていきたいと思ったからです。

他人のこと想像できるように教育を受けていると、驚くほどにそういう優しい人に育っていきます。そういう人を増やしたいと思って、表現教育をずっと続けてきました。

でもそろそろ、次の世代を育成していかないと、この教育はついえてしまう。高校生を一生懸命を育てていくのは方法の一つではありましたが、目的意識がもう少しハッキリしている大学生に表現教育を手渡していきたいと思っています。

高校で教育を忙しくやってきて、学校以外で表現教育をすることがほぼ出来ていませんでした。今後は、そういうこともやっていきたいです。今まで高校生の「自画像」をやってきましたが、『ラ・カチャダ』のようにシングルマザーの人たちと一緒に作品を作ったり、街のいろんな人たちと作品を作ったりしてみたいと考えています。

(レポート作成:杉本悠 / 写真:堀内遥友・友金彩佳 / 当日ファシリテーター:歌川達人)
開催日:2021年10月30日(土) / 場所:江原河畔劇場

【監督のことば】
 私がこの映画の登場人物たちに出会ったのは、2010年、卒業制作となる短編ドキュメンタリーの撮影のために、スペインからはるばるエルサルバドルへ赴いたときのことだった。取材対象である現地のNGO団体が、街頭で物売りをして生活する人々の子どもたちのケアを主な活動内容としていて、マガリやマグダ、ルースやチレノやウェンディは、そんな母親たちのなかにいたのである。

 初めて中米を訪れた私は、このとき、自分とは完全に異質の現実と直面することとなった。私は当時23歳で、自分とそう変わらない年齢の女性が自分とは全く異なる人生を歩んでいて、子どもたちをできるだけちゃんと育てることしか考えていないという事実に、ショックを受けたのだ。

 ところが3年後、エルサルバドルへの移住を果たした私と再会した彼女たちは、なんと舞台の上に立っていた。あの内気で不安げな女性たちが劇団を結成し、家庭や市場での自身の経験を描く、ささやかな演劇の実験を披露していたのである。私は驚いた。そこにいるのが、かつて出会った人と全く異なる女性たちだったからだ。彼女たちはその頃、プロとして初公演となる劇の準備を進めていた。そこで私は、母親としての実体験を語るこの劇が創作される過程で行われる稽古を、一つひとつ撮影していこうと決心した。

 リハーサルを重ねてゆくごとに、幼児期の虐待、10代での妊娠、ジェンダーにもとづく暴力、性的虐待、貧困など、彼女たちの体験してきた恐ろしい出来事の数々を知ることとなった私は、やがて何か本質的な変化が目の前で起こっていることに気づいた。私は、演劇から力を得た女性たちが自らの声を発見するという実験、そのなかで彼女たちが自身を理解し再発見するという実験の立会人となった。そして、暴力的な現実が自分と子どもに対してもたらす影響や、そうした世代間の悪循環と闘い、打破することがこの実験によっていかに可能であるかに彼女たちが気づいてゆく様を、その目で見届けることになったのである。

https://www.yidff.jp/2019/cat009/19c012.html

#ドキュメンタリー #シングルマザー #ラカチャダ #とよおか月イチ映画祭 #江原河畔劇



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