「分別」とは?
来ていただきありがとうございます
おはようございます。とよみです。
ビタミン系のサプリを飲むようになってから
割と調子が良い日が続いているので
ビタミン不足って色んな方に該当するのでは?
となっていたります。
あぁ、でも、雨の日は駄目な感じです
さて、本題。
仏教用語って割と普段の生活に溶け込んでるなー
と思ったから何となく書くのですが…
「分別」(ふんべつ)という言葉。
Wikiさんでは…
善悪を識別できる見識を有していること。(ふんべつ)
仏教において、心、心所が対象に対してはたらきかけ、それを思い計ること。
詳細は「分別 (仏教)」を参照
種類ごとに区別や区分すること。(ぶんべつ)
ということらしいです。
私達は、日常に置いてどんな小さな事でも選び、判断を繰り返しています。
その際に使われているのが「分別」するというものになります。
占いだったり鑑定の時もそうなんですが
ご相談内容を聞いて、どの神様方とのご縁を結べば良いのか…
などの「判事事(ハンジゴト)」に置いて、この「分別」は
とても重要な視点の一つとなります。
私は私なりの価値観のもと、その「分別」を行い
両方の視点をできるだけ様々な角度から持つようにはしています。
ただまぁ、特殊な術が使えるとかそういうのは全く無い生身の人間なので
地道に視野を広げるようなことを繰り返すしかないですが。
そして、色々なものが時間と共に形骸化していくように
この「分別」という言葉も、割と形骸化というか
その環境の都合の良いように使われているな…とは思います。
その場で一番パワーバランスの重みを持っている人や
持っている集団の価値観に則った「分別」を求められる感じです。
ちょっと前に流行った「空気読め」がそんな感じだと思います。
しかしながら、善悪の判断も、それぞれの価値観や道徳観、
倫理観の元でしかなく、同じものを見ていたとしても、
受け取り方は人それぞれです。
つまり「分別」の形も、判断の基準も人の数だけある。ということ
そのため、正しく…はなくとも「分別」というのは
お互いに「落とし所」を見つけるために行われる考え方のひとつでは?
とか思っていたりするわけです。
私やあなたの中で出した「こうだ」という「分別」からの判断は
「わかる」という人もいれば「分別がない」と判断する人もいるでしょう。
今いる環境がどちらよりなのかを判断し
できるだけお互いの「落とし所」になる部分を見極めていく…
それを行うことが「分別」の本当の意味するところなのかもしれないですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回はこんな感じで
とよみ。
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