【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】正義論序説 無限遡行に抗って

うそく斎

「正しさ」について突き詰めてみると、無限遡行に陥らないだろうか。Aが正しいという根拠はB、Bが正しいという根拠はC、Cが正しいという根拠は…
多くの人間がとる行為はこれだろう。「ダメななものはダメ、良いものは良い」と遡行をうち止めるか、それを問う行為自体を否定する。つまり、自らの説く「正しさ」の根拠を答えられないのだ。
ではこう返すほかないだろう。「私が正しいと判断した。だからこうするのだ」さて、反論出来るのだろうか。
無限遡行に陥る限り、説かれる「正しさ」には正当性がない。無限遡行を止めようとして、「超越者が決めたことだ」と言おうにも、その超越者の正当性を問い詰めることは可能だ。一旦退けることにする。そこで、「正しさ」とは何であるかを考えるために、無限遡行を防ぎながら、その序説を記そうと思う。

「正しさ」とは何であるか→恐らく誰も知らない。知っているか否かさえ分からない

「正しさを知る」には何をすべきか→「正しさを知ろうとする行為」を行うべきである。

「正しさを知ろうする行為」を行うためには何をすべきか→ 「正しさを知ろうする行為」を邪魔せず、促進することである。

「正しさを知ろうする行為」を邪魔せず、促進するためには何をすべきか→その内容を我々は知らない。そのため、人々があらゆる可能性を試すほかない。

「正しさを知ろうする行為」を邪魔せず、促進するために、あらゆる可能性を試すにはどうすべきか→「正しさを知ろうする行為」を邪魔せず、促進するために、人々があらゆる可能性を試すための環境が必要である。

「正しさを知ろうする行為」を邪魔せず、促進するために、人があらゆる可能性を試すための環境のためには何が必要か→他者との権利の調停を行いながら、人の行為の自由を最大限認めるべきである。そして自由を阻害するものを吟味しながら除いてゆくべきである。

至ってシンプルながら、苛烈で過酷な内容である。我々は何の道標もないまま、申し訳程度に舗装された道を進むほかない。「正しさ」を探究する方法も知らないまま、探究するほかないのだ。これが私の現時点における、正義論の内容である。

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